文化祭まであと少し | ナノ

プロローグY

(なぁんか、今日のゾロくんは他人行儀だったような…。)

そっけないのはいつものこと。視線が噛み合わないのもいつものことなのだけど、なんとなく歯切れの悪い感じがした。

いったいなにがあったのだろうか。

自分が原因であることにまるで気がつかないイオナは、他人事のように小首をかしげる。

(まぁいっか。部活の時にでも…)

どうせあれこれ想像してみたところで意味はない。ならば本人に聞いてみるのが一番だろう。イオナは勝手にそう納得し、昨晩お世話になったばかりのローに声明るく声をかけた。

「先輩、昨晩はありがとうございました。あれ、わかんなくて困ってたんですよっ。」

「あ、あぁ。」

「先生に聞くより先輩の方がわかりやすいんですよね。」

「………。」

沈黙。何故に沈黙。

しかし、彼のこの反応はいつものこと。

メールやLINEでは饒舌だというのに、直接話すとどうもぎこちない。それでも彼はいつも優しかった。

「宿題なら、俺がやってやると何度言ったら…」

「気持ちはありがたいんですけど…。でもやってもらっちゃったら、私の勉強になんないんですよね。」

「………。」

なにか言いたそうな無言に、イオナの口元は自然と緩む。半分ニヤケながら、俯くローの顔を覗き込んで見つめてみると、彼はその視線に慌てて顔を背けた。

いつみてもその反応がおもしろく「ププッ」とおもわず笑いが漏れる。

ローは一瞬驚いた顔をあげイオナをみたが、目が合うやいなや、すぐに顔を伏せた。

その反応がまた面白くて、イオナはケタケタと声をあげて笑い始める。

「先輩…、ハムスターみたい…。」

「ハムスター?」

「そーです。動きが、動きが…、キョロッ、サッ、シュンッって…」

「意味がわからん。」

否定の言葉を述べながらも頬を赤らめ顔を背けるローの頬に、爪先だったイオナの手が触れる。

この時点で文句を言われればやめるつもりだったが、彼が特に抵抗する様子もないので、そのままその痩せた頬を摘まんでむにょんとひっぱってみた。

「ほら。頬、よく伸びますよ。まるでハムファルガー先輩じゃないですか。」

「おい、やめろ。」

頬をビョーンとされながら、ローが声をあげる。しかし、頬に込められた力が緩まることはない。

「やめませんって言ったら?」

「怒る。」

「…………。」

無言のままにたっと笑うイオナ。

おもわずまたローはぎこちない様子で視線を反らした。それをみて、彼女はクスクスと笑った後と言う。

「じゃあ、やめません。」 と。

呆れた顔をしながらも、内心照れまくるローは反応に困った。やられていことは嫌だが、イオナがこうしてじゃれついてくるのは嫌いじゃない。

(それでも抵抗くらいはしておくべきか…。)

一応、目を細め批判的な表情で沈黙してみせるけれど、ビョーンと伸ばされた頬のせいでコミカルにみえてしまうらしい。

「先輩、やっぱおもしろい…」

「イオナ…」

呆れたように声をあげる先輩の頬を爪先だったまま摘まんで引き伸ばし、明るく笑う。あまりにイオナがたのしそうにするものだから、ローはそれ以上の抵抗をしようとはおもっていなかった。
……………………………………………

そんな彼女の姿をみていたのは…

少しはなれた場所で、なんとも言えない苦々しい表情を浮かべたまま鋭い目付きをするエースと、その隣でちょっと困ったような笑みを浮かべるサボ。

エースの方はイオナと顔見知りと呼べるほども親しくもない先輩に釘付けだが、サボは言い争うボニーとド派手な先輩へも視線を向けていた。

「いやなら止めてこいよ。」

「お、おう。」

余程ショックだったのか、瞬きも忘れているエースにサボはやはり苦笑い。

「このままじゃ、どこにもってかれてもおかしくねぇよな。」

「うるせぇよ。」

「ほら、しっかりしやがれ。」

ペシッと頭を叩かれ、やっとエースの身体に力が戻る。それでも背伸びして男の頬を引っ張るイオナから、目を反らせないのは確かなのだが─。

「俺はボニー止めてくるわ。お前はイオナ捕まえてこい。」

「いや、でも…」

あんなに楽しそうにしているのに、邪魔していいのだろうか。

自分の好意を守るためなら、"相手もその周囲も傷つけてかまわない"なんていう考えの奴はたしかにいる。

でも、エースはそこまで残酷にはなれなかった。

そうこう考えているあいだに、サボはとっととボニーの方に向かっている。ヒラヒラと手を振るその背中を一瞥したあと、もう一度楽しげにじゃれる二人にエースは目を向けた。

(邪魔とは言われねぇだろーけど…)

深い溜め息が漏れる。

イオナの性格を知っているだけに、邪険に扱われる心配はしていない。

ただ…

(あの先輩、背ぇ高ぇよな。)

エースだって充分長身なのだが、ローはそれ以上だった。この状況で声をかけるとなると、どうしても相手に見下ろされる形となってしまう。

些細なことではあるものの、それがなんだか耐えられなかった。

好きな女もイチャついていた男に見下ろされるだなんてそんな─

ギュッと拳を握ったエースの"燃え上がるような嫉妬の視線"に気がついたのは、他の誰でもなく当事者であるローだった。

二人の視線がカチリと噛み合った途端、ローは慌てた様子でイオナの腕を振り払い1歩下がる。

それどころか、顔の前で両手のひらを彼女にかざして、無言で制止を促しているではないか。

イオナはそんなローの態度をどう思ったのか、一度小首を傾げた後、彼の視線を追って─

「あっ。エースじゃん。」

─よりにもよって、このタイミングで見つかってしまった。エースの表情は固くなるが、対するイオナはそんなことにも気がつかない。

「そんなとこに突っ立ってなにしてるの?」

「いや、別に…」

あいかわらずカラコロと笑みを浮かべている。そこにいるのが彼女だけなら笑顔で言葉を返せただろう。

でも、その隣にはバツが悪そうな表情で、自分の頬を擦っている男がいる。エースは小さく舌打ちした。

ローがイオナを拒んだのは、後輩に情けないアホ面を晒したくないがためと、ちょっとした照れ隠し。

しかし、エースはそう捉えていない。

(アイツ、俺に遠慮しやがった。)

見せつけられることで感じていた敗北感から生まれた傷に、今度は劣等感を塗り込まれる。

ギチリと奥歯を噛み締めたエースへとイオナは歩みより、その顔をグッと覗き込む。

「どうしたの、エース?」

「どうもして…って」

慌てて顔を伏せた彼だったが、突然頬を摘ままれ、もう一度イオナへと視線を向けた。

「─にゃにしゅんだ…」

彼女はいたって真面目な表情で、こちらをジッと見据えている。

「変な顔してるんだもん。」

「いいきゃら、はにゃしぇよ…」

「もう眉間にシワ寄せない?」

「あぁ。」

「ほんと?」

「わかっらかりゃ、はにゃせ…」

チラリと先ほどまで二人居た方へと視線を向けると、すでにそこにあの男はいなかった。また気を使われたような気がして、さらに胸がチクリと痛む。

しかし、そんなエースの気持ちなど、イオナが知るよしもなく─。

「エースははにかんだ顔が似合うのに…」

パッとエースの頬から手を離した彼女は、いつものように彼の顔を見上げながらにこやかに笑った。

……………………………………

「あの二人。なにやってんだ?」

「知らねぇよ、ここでボコられてた俺が知ってる訳ねぇだろ。」

「ホモ野郎」だの、「ぶっ殺すぞ」だのと罵り合っていたキッドとボニーの仲裁を終わらせたサボの頬は真っ赤に腫れている。

どうにもずるいもので、この場にいたハズの1年たちはすでに撤退。キラーはボニーのとの相性が悪いからという理由で止めにも入らない。

結果的に止めに入ったサボの頬に、(キッドに向けて)ボニーが繰り出した蹴りがぶちこまれるという残念な展開を迎えた訳だったのだが。

今の彼にとってそれは過去のこと。

なにせ視線の先では──。

さっきまで3年の頬を摘まんでいたはずのイオナが、不機嫌な顔をしたエースの頬を楽しそうに引っ張っているのだから。

誰がみたって邪魔の出来ないその様子に、サボは苦笑いしながらボニーへと視線を移し──そして、現在キッドとなにやら言い合っているキラーへと視線を移した。

「つーかお前、キラーさんに謝っとけよ、いい加減。」

「はぁ?」

「お前のせいであの人ひでぇ噂流されて…」

「レスリング部の上に覆面つけて学校きてるとか、ゲイだろ。間違いなく。」

「どういう観点からみりゃ、そんなことになんだよ。」

「間違いねぇよ。喧嘩になった後、ちゃんとYahoo!知恵袋でも相談したんだから。」

「ちょ、おま。また余計なことを…」

ペチリと額を押さえて、宙を仰ぐサボを前に、なにがなんだかわけらないといった表情で椅子の上に胡座をかくボニー。

『あの女、絶対ぶっ飛ばす。』

『やめとけ、キッド。あんなのでも、イオナの友達だろう。』

『うるせぇ。あんな下品な友達がいたら、イオナが売女になっちまうだろーが。』

『それは、俺が許さん。』

『てめぇにそんな権限があるか。』

そんな彼らのやりとりは、ボニーの耳に届いているのかいないのか。

ただひとつ、サボが口にできるのは──。

「まぁなんでもいいから、とりあえず足は閉じろ。」

「うっせぇ。」

品のない彼女を気遣う言葉だった。

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