その男、中途入社眩しい朝日とゴッタ返す通勤客の中にゾロは紛れていた。コンビニで買ったおにぎりと飲み物が、この人混みのせいで潰れてしまわないかと心配になる。
「マジでダリぃ…。」
心の声が駅の賑わいで掻き消されるが、だからと言って気だるさが抜け落ちることはない。ゾロは唯一頼れる存在である紙切れと、改札に書かれた名前を見比べホームを確認する。
「たぶんこっちだな。」
ルフィから手渡された紙に書かれた地図はきっちりと時刻表まで添えられていて、ナミが書いたものだというのはすぐにわかった。
きっちりとしたスーツを着崩した上からだらしなくコートを羽織り、通勤には不釣り合いのピアスが耳元でジャラジャラと揺れる。その上、緑の頭をしてるのだ。端から見れば危ない人なのだけど、本人はまったく気にしていなかった。
通勤客たちから若干避けられていることにも気がつかず、「わりと余裕があるかもしれねぇな。」などと考え真ん中のホームに立つ。
待ち時間もわずか、ゾロの視界に滑り込んだのは、同時にやってきた進行方向の違う2台の電車。
彼は知らなかった。それらが違うところへ向かう電車であることを。
どう考えればそんな答えが出るのかは謎なのだが、"同じホームから乗るのだから、進行方向は違えど同じ駅へと向かうだろう"と安易に考える。そして空いている方、会社とは反対側へと向かう電車に乗り込んでしまった。
そしてその"過ち"に気がついたのは終点になってから。
「なんで着かなかったんだよ。」
ゾロは不満げに呟き、グジャグジャになった地図を見る。ホームのプラカードに書かれた駅名は紙に書かれたものとは異なり、途中の駅にもそんな名前のところはなかった。
電車に乗り間違えているのだから当然なのだか、その事実に気がついていない以上どうしようもない。
眉間にシワを寄せ、首を傾げていたゾロは、新たにホームに滑り込んだ電車へと目を向ける。
「お、ちょうどいいところにきたな。」
なにがちょうどよかったのか。彼はその電車がどこへ向かうかも確認せず、悠々と乗り込んだ。
……………………………………
一方その頃。
イオナは寒空の下、コートも羽織らないでゾロの到着を待っていた。
新たな職員を迎える際、本来ならば、受付け案内を訪ねさせ、そこから秘書課へ回され、秘書課の華やかな社員に部署まで案内させるのだが。
突然、「外で待っててやってくれないか?」とシャンクスさんは言いだした。もちろん私は小首を傾げたけれど、頼まれまことを断るような無礼はしない。ただその時点で、約束の5分前だったため、薄着のまま慌てて会社を出ることになってしまった。
だというのに、約束の時間を過ぎても、一向にそれらしき人物は現れない。
何かあったんじゃないかと不安になる反面、社会人として遅刻をするのに連絡なしだなんてどうかしてると頭が痛くなる。
辺りを見渡したところで相手の人相をしらないので無意味と言えるが、それでもちらちらと時計に視線を落としながら、それらしい人物はいないかと探してみた。
当然ながらそれっぽい人はおらず、あまりの寒さに冷えた手にハーッと息をかけ、膝を小刻みに揺らす。営業で出入りする社員たちはみなコートを羽織っており、「なんでこんな薄着で?」と不思議そうな目を向けてくることにもまた堪えた。
「そんな薄着じゃ風邪引くぞ。」
その柔らかな口調と、フワッと後ろからかけられたコートの香りで、それがエースさんのものだとすぐにわかる。
「ありがとうございます…。」
「俺これから車だし、それ使ってていいぞ。」
まだ彼の体温の残るコートと、やんちゃそうな笑顔。その二つが妙に甘くて暖かく、照れ臭くて仕方ない。
そんな私の心情になど気がつきもせず、「風邪引くなよ。」とエースさんは駐車場の方へと向かった。
それから20分が経過した頃、もう我慢できずシャンクスさんに電話を入れると、「社内でも案内してんのかと思ったわ。」と笑い飛ばされる。
「とりあえず、戻ってこい。風邪引くぞ。」
「はい。すみません…。」
「なんでイオナが謝るんだよ。新人にはこっちから連絡いれてみるよ。」
いい大人が大きな遅刻をしているにも関わらず、待たせている側に連絡を入れさせるとは。どんな教育を受けてきた人なんだろう。
自分の持つ『常識』から完全にズレている感覚を持つ新入社員に、早くも不安は募る。
そして、シャンクスさんの待つオフィスに戻った私は、驚かざるを得ないことを耳にした。
「ま、迷子ですか?」
「あぁ。」
「えっと…。大人、ですよね?」
「そう言うなよ。」
上司は困ったように笑う。年齢に対して若くみえるその表情はたしかにかっこいいが問題はそこではない。呆れる私をよそに、シャンクスさんは顔の前で両手を合わせてウインクする。
「悪いんだが迎えに行ってもらえねぇかな。」と。
私は思わず頷いてしまった。
かっこいい人はなにをしてもかっこいい。そして、かっこいい人の見せる笑顔はかっこいいだけではない。なんとも言えぬ破壊力があった。
相手が別な誰かだったなら、例えそれが社長であったとしても断っただろう。
そう自覚した時にはすでに遅く、シャンクスさんはいそいそとポケットから財布を取り出した。
「じゃ、これ、タクシー代と電車賃な。」
ハイブランドの長財布から取り出されたのは1万円札。迷子の新入社員を探し出す目的で利用した移動費が、経費で落ちるわけがないのだからそのすべてはシャンクスさんの自腹なのだろう。そう思うと素直に受けとるのは躊躇われた。
けれど、たじろぐ私の手に、お札は無理矢理握らされる。シャンクスさんの手は温かだ。
「俺もビックリしたんだが、迷子になってる本人も、自分がどこにいるかわかんねぇんだと。まぁ、どこにいるかわかんねぇから迷子なんだけどな。ってわけで、金は多めに持っといたほうがいい。」
「へ?」
「すげぇ方向音痴って聞いてたから、嫌な予感はしてたんだ。」
シャンクスさんはにこやかに言葉を紡ぐが、話している内容は笑い事ではない。いい大人が、初出勤の日に迷子だなんて、許される訳が…。
「あと、新人にはイオナの番号教えといた。目印みつけたら電話してくるとよ。」
「そうですか…」
不安だらけだ。いや、不安しかない。仕事を教える云々の前に、会社にこられないだなんて。
「そういや、イオナ。いつまでそれ羽織ってんだ。」
「え?」
「それエースのだろ?」
「あ、はい。そうです。」
「外、寒かったもんな。珈琲いれてやるからまってろ。」
「いえ、私が…」
慌ててコートを脱いで手を出すが、シャンクスさんは変わってはくれない。「やりたいんだからやらせてくれよ」と言われても、上司に珈琲をいれてもらうこと対する申し訳なさは拭えなかった。
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