triangle | ナノ

挑発

ゾロがイオナにイチャイチャを見せつけたその日。

この部署の責任者であるシャンクスは、教育係であるイオナと、新人のゾロが喧嘩をしているのをみるのが好きなのだろうか。

とエースは一人頭を悩ませていた。

元フリーター、態度のデカいヤンチャな大型新人。

それを真面目一本で生きてきた女子社員に押し付けたこと事態も、無理があることだったのだろう。

最初の頃のゾロはできないなりにイオナの言葉に耳を傾けており、周囲は「どんな化学反応が!?」と興味を持っていたのだが。

今のゾロは、あえて彼女を振り回すことを仕事にしているような状態であり、イオナがあちらこちらに頭を下げる毎日となっている。

そんなあまりに可哀想すぎる状況を見兼ねたエースは自分が教育係を引き受けようと考え、シャンクスにそれを提案したのだが、見事に却下された。

このままコンビやらせとけば、アイツらの本質が見えるかもしれないぞ。と。

シャンクスは普段から何を考えているのかわからないタイプの人間だ。多少、恋愛のことでブレることもあるようだったが、よほどのことがない限り、感情を露見させたりはしない。

そのため、エースにも彼の言葉が本心かどうかがわからなかった。

ただ、憧れの上司だった彼に対して「趣味の悪い上司だな。」と、初めての軽蔑のような感情を覚え始めてしまったことだけは確かだ。

「他の部署からも文句きてますし、やっぱまずいと思いますよ。」

「なにがだ?」

「わかってんでしょう?」

エースの目が、険悪な雰囲気の根元である、イオナとゾロに向けられる。今は就業時間を越えているため、このオフィスにいるのはあの二人とエースとシャンクスだけ。

そのせいか、普段はゾロを空き部屋に連行して言い聞かせをしているイオナが、その場で彼に注意を行っている。

どうにも、ゾロが彼女のUSBを無くしてしまったらしく、それを謝りもしないで「知るかよ。」と投げてしまったようだ。

イオナはひたすらに「あれは別に大事なものではなかったからいいが、企業秘密が含まれるものだったなら…」と言った台詞を投げ掛けていたが、ゾロが理解しているとは思えない。

というより、適当に聞き流しているような態度で、イオナの顔色をチラチラとうかがっているだけだ。

その様子はまるで、子供との距離を掴めずにいる母親と、思春期の息子のやりとりのよう。

「あれはあれで面白いと思うけどな。」

「なにが…?」

シャンクスが人差し指を唇に添え、「シー」のポーズを取る。そして、イオナの方を見ていろと、目配せとジェスチャーだけで伝える。

エースもしぶしぶといった風に、視線を戻したのだが。

「ゾロくん、あのさぁ。」

「あぁー。うるせぇ、もうわかった。」

「なにが?」

「会社の秘密は漏らしちゃダメって話だろ。勤務内容なんてよそでバラすかよ。女子じゃあるまいし…」

イオナと対峙したときだけはずいぶんと饒舌なゾロ。部署の女子社員にキャーキャー言われた時には、その殺気だけで人を殺せるのではというほどに苛立ちを露見していた。

けれど、今はどうだろう。

イオナに耳を摘ままれても「痛い痛い」と言うだけで、文句は言わない。

「あのね。ゾロくんに漏らす気がなくても、場合によっては"盗もう"とする人もいるんだよ?だからこそ、みんなデータ管理は厳重にしてるし、会社のパソコンでエロサイトは観ないの!」

「なんだよ、エロサイトが害みたいな言い方しやがって。俺んちのパソコンは…」

「どうにかなってるかなんて、自分じゃわからないでしょう?なんなら今度見てあげようか?ほんとに安全かどうか。」

「なんだそれ。俺んちに上がりたい口実か?」

憤りの口調と言うわけではないが、いささか強い口調のイオナに、ゾロは相変わらずの減らず口を返す。

彼は妙に頭の回転が速いために、じっくりとものを考えるタイプのイオナは度々困惑させられているように思える。

そして今日も─

「部屋に上がりたい口実」と言われたことがよほどきたのか、一拍ほどのタイムラグの後、イオナは顔を真っ赤にして「違う!」と否定の声をあげた。

「さては今朝のあれも嫉妬なんだろ。」

「冗談じゃない。どうして私が…」

「俺んちなら、いつでも歓迎だぜ。」

「ふざけないで!」

完全にちゃかされている。からかわれている。それでも言い返さないと気がすまないのは、イオナの本質にある負けん気の強さのせいだろう。

中小企業の正社員ではなく、大企業の契約社員となったのもそのせいのように思える。

どこに勤めているのかと聞かれたときに、雇用契約の話をしなければ「へぇ」と羨望の眼差しを向けられるのは当然なのだから。

実際にそれはイオナだけの意思ではなく、母親の思惑も含まれた結果なのだが、まさか礼儀正しいイオナが毒のある親の元で育ったとは知らないエースはぼんやりとそんなことを考える。

強い口調で、それでも押さえ気味の声量で言い返すイオナ。そんな彼女をうかがうゾロの目は普段のそれよりいくばか優しい。

兄が年の離れた妹を怒らせて面白がる時の目。いたずらに人の心を引っ掻き回しておきながら、「怒ってるとこもかわいいな。」などと言ってのける自分勝手な大人の目。

今のゾロの目は、どうみてもそれと同じ色をしている。

その瞳にはたっぷりの愛情が込められているのは確実で、つまりはゾロはイオナにそういった感情を抱いているということなのだろう。

エースはおもわず苦笑を浮かべ、隣にいたはずのシャンクスへと目を向ける。が。

すでに彼はそこにはいなかった。

エースの呆けている間に、シャンクスはイオナに歩み寄っていた。ゾロの表情が途端に険しくなるが、それくらいで怖じ気づくタマじゃない。

当然のことのようにイオナの背後に立ったシャンクスは、自然な動作でその肩に手を添えた。

そして、顔を赤くしてプクプクしていたイオナの耳元でなにやら囁く。

軟派な男がやるよりも、洗練された動作。相手を気遣い、思いやるような振るまいと、鼓膜という急所を狙う悪賢さ。

そのどれもをみせつけたかった相手は、イオナではないのだろう。

イオナの身長に合わせて身を屈めたシャンクスの目は、不機嫌は感情を隠しもしないゾロを捉えており、その瞳からはあからさまな余裕が取れる。

照れで沸騰しそうになっているイオナは、そのときめきから抜けきれていないおかげで、男二人の間で巻き起こっている"火花散る争い"には気がついていない。

シャンクスはゾロの想いに気がついているのだろう。では、イオナの気持ちには気がついているのだろうか。

どちらにしても、今のエースは傍観者だった。

「おいおい…」

「俺が見たのはシャンクスさんの本質っすよ…。」

ポツリと呟いたエースはまだ知らない。
これから自分がどれだけの迷惑を被ることになるのか。 どれだけの心変わりを目の当たりにすることとなるのかを…

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