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教育係と後輩

エースと飲んだ翌日、胃に多少のムカつきと頭部に鈍い痛みを抱えながらもイオナはゾロの実家へと迎えにきていた。

特別やましいことをした訳ではないのだが、早朝に先輩から「昨晩のことは秘密だぞ。」といったメールをもらってしまったせいか、ちょっとだけドキドキしてしまう。

それでもこの後輩よりはマシなのだろう。

「毎朝迎えにこないと迷子になるなんてアレだよね。」

「なんだよ。」

「もう1ヶ月近く経つ訳だし…」

「別に覚えてねぇって訳じゃねぇよ。」

「なら…」

「ただ自信がねぇだけだ。」

「─うん。送迎必須だね。」

後輩の大きく開いた襟元に付けられたキスマークをみていると、溜め息を付きたくなる。ワイシャツの似合わない筋肉質な首筋。それだけでも色っぽいのに、故意に付けられた鬱血は更に扇情的だ。

この人は隠しだてしないタイプなんだと思い込もうとしても、情事を連想させられるソレは朝から刺激が強すぎる。イオナは意図的に視線をそちらへ向けないように気遣いながら、気をそらすべくして声をかけた。

「ゾロくん、昨日はシャンクスさんとなんの仕事したの?」

「別に」

「へ?」

「なんにもしてねぇけど。」

「あのさぁ。」

「車に乗ってただけだ、普通に。」

「そんなことってあるの?」

ジットリした目を向けてくる先輩に、ゾロは小さく舌打ちをする。といっても、気分を悪くしたというわけでもなく、それはある種のクセのようなもの。呆れ交じりの視線など、とうに慣れっこでいちいち気を悪くするようなことはない。

彼は眉間にシワを寄せ、何か考えているような顔をしたまま進行方向を真っ直ぐと見据える。駅までの道のりなど覚える気は更々ないが、それでもイオナが疲れた顔をしている日くらいは"真面目に覚えようとしているフリ"をするくらいの良心はあった。

しかし、そんな後輩のことなどお見通し。真面目腐った顔してるけど、なんにも考えてないんだろうな。とイオナは胸中で本日何度目かの溜め息をついた。
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ゴッタ返す改札を抜けて駅のホームへ入る。電車を待ちながら、イオナの質問に適当に答えるゾロの意識は彼女の横顔。

決して目立つ顔立ちではない。これといったチャームポイントはないものの、バランスのいい配置と控えめなパーツをみている限り化粧映えしそうだ。幾人もの化粧を落とした顔をみてきているだけに、化粧品には疎いゾロでもそれくらいはわかった。けれど、本人にそれを言ったところで鼻で笑われるだけだろう。

触れてみたい衝動に駈られながらも、なんとか理性でねじ伏せる。さすがに会社の先輩に衝動的に手を出すのはまずい。そこらで知り合った、一期一会のナンパ女とは違うのだから。

「ネクタイちゃんとして。」

「自分でやれるよ。」

「ほんとに?」

からかうようなイオナの視線。不覚にもドキッとしてしまうのは何故だろうか。慌ててネクタイを締めるフリをしてみせるが、結べないものをどういじくったってうまくできる訳がない。

しばらく奮闘していたゾロだったが、イオナが爪先立ったのに気がつくと観念したのかネクタイから手を離した。

「覚えなきゃダメだよ。社会人なんだから。」

「イオナだって出来るようになったの最近だろ。」

「今だに結べない人に言われたくないけど。」

首筋にちょこちょこと指が触れる。イオナもまださして上手くない。シャンクスに結んでもらう時には、首に指が触れるようなことはないし、そこまで時間はかからない。それでも彼女にそうしてもらっている時間は嫌いじゃなかった。その間、無意識に息を潜めてしまうので息苦しくもあるのだが。

出勤ラッシュの波に押されるようにして会社に滑り込む。会社ではエレベーターは使わない。その方が健康的だとシャンクスさんが言っていたからだ。

イオナとゾロは、エレベータに箱詰めにされる社員たちを尻目に、ゆったりとした足取りで階段を登る。最初こそしんどかったけれど、今では慣れっこで、混んでいる時間においてはエレベータよりも楽だと感じているほどだ。

誰も使わない階段に二人きり。

でも、慣れっこ。

一緒にいる時間が長くなれば無言も辛くなく、会話をするにしても特別気遣うことはない。

「ゾロくんってさ、彼女いるの?」

「それっぽいのはいた。」

「それっぽいって?」

「別に付き合うとかそんな話した覚えはねぇし。別に会おうと思えばいつでも会える女がいたってだけだよ。」

「へぇ。なんで過去形なの?」

「昨日別れた。」

「わぁ、タイムリーだ。」

多少息切れしている口調でイオナはおどけてみせる。薮蛇になってしまったとでも思っているのかそれ以上はなにも言わず、歩調を速めた。

彼女は少しだけ前をせかせかと行く。イオナがどんなに頑張ったところで、ゾロからすればそれはほんの少しの前進だ。息を切らす先輩の背中に向かって彼は落ち着いた調子で声をかけた。

「なぁ。エースさんタバコ吸わないよな。」と。

「そうだね。どうかした?」

「シャンクスさんは?」

「吸わないよ。昔は、吸ってたって、言ってたけど…、ほんと、なのかな?」

「ふーん。じゃあ、お前、昨日一体誰と居たんだよ。」

「なんのこと?」

階段の踊り場で立ち止まったイオナは、不思議そうな顔をして振り返る。

まだ階段を登り終えていないゾロをポカンとゾロを見下ろすが、彼が一歩踏み出す度に目線は近づき、すぐに見下ろされる側と見上げる側の立ち位置が逆転した。

「タバコの臭いがすんだけど。」

「え?」

「お前から煙草の匂いがする。」

「えぇっと…」

なんのことだろう。イオナはそう言いたげな表情で、コートの匂いをクンクンと嗅いでみる。自分ではわかりずらいものなのか、何度もその動作を繰り返すが首を傾げるだけだった。

そんな彼女のしぐさが余計にゾロを苛立たせた。もとより、なんでそんなことでイライラしてしまうのかもわからないが、なんとなく腹が立った。

服に煙が染み付くくらい喫煙者と一緒にいた。
染み付いた匂いにも気づけないくらい…

「忙しそうにしといて余裕あんだな。」

「な、なんのこと?」

手を出したくなる衝動が抑えきれない。
それがどんな意味をする感情なのかを理解する前に、身体が先に動いてしまう。

苛立ちをおくびを隠さずイオナに詰め寄るゾロ。それから逃れるために後ずさった彼女は追い詰められ、背中が壁にぶつかる。

驚きと困惑、そして若干の怯え。

戸惑う教育係の頭の横に手をついたゾロは、グッと顔を寄せた。イオナは困惑しきった様子で、「どういうつもり?」と声を震わせる。

どうして自分はこうも衝動的になんだろうか。

そう2分後に反省するともしらず、ゾロはただ聞きたかったことを、嫉妬交じりの問いかけを口する。

「答えろよ。昨日誰といた?」と。

それは独占欲だ。
これは嫉妬だ。
この感情は…

困ったように眉を寄せるイオナ。「えぇっと。」「あの、」と口ごもるのは、単にこの状況に緊張しているからなのだろう。

それがわかっているからこそ、ゾロは更に顔を寄せた。呼吸をすれば息のかかる距離。目はそらさない。そらさせない。

どんな奴と、どこで、何を…

考えるほどにモヤモヤした。心底嫌な気分だ。

熱い息がわずかにこぼれる薄いピンク色に、自身の唇が吸い寄せられ──

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