triangle | ナノ

上司と部下

ゾロは気だるさを抱えたまま天井を仰ぎ見た。隣で小さく呼吸を荒げる女に配る気などない。脳から分泌されなくなったテストステロンと、それの代わりに分泌され始めたプロラクチンのせいだろう。

一気に押し寄せてきた倦怠感で、自身の筋肉すら重たく感じる。深く息を吐いたゾロは、まとわりついてくる細腕を適当にあしらい眉間にシワを寄せる。

社会人としての生活には馴れた気がする。まだ仕事は覚えられていないけれど、朝はちゃんと起きられるし、報連相とやらはバッチリだ。教育係は毎日なにやら嘆いているが、別に本気で嫌がっている風でもないので特に問題ないのだろう。

「ねぇ、ゾロったら…」

「もう終わったし帰れよ。」

「なにそれ酷い。」

「別に酷くはないだろ。」

なんとなく女が出来ても、相変わらず燃え上がることはなく、淡々と行為を繰り返すだけ。溜め込んだものを吐き出して、それ以上もそれ以下もない。

「私のこと愛してないの?」

「別に俺らそんな関係じゃねぇだろ。」

「じゃあなんで!?」

さっきまでの甘ったるい雰囲気はどこへやら。突然身体を起こした女は、キッとゾロを睨み付けると感情的に声を荒げる。

それでもゾロは何も思わなかった。

正直、集中しきれない自分がいる。目の前に居る裸の女より、もっと探りたい相手がいる。別に特別美人と言うわけでも、グラマラスというわけでもない、本当に平均的な普通のその人は──

「もう帰れよ。ヤッたし満足したろ?」

「酷い…」

さっきまで怒っていたはずの女は、途端にメソメソし始める。酷くめんどくさいことだ。こういう時は頭を撫でて、「ごめんな」とか「全部冗談だ」とか言った方がいいのだろう。別にそういった手段を知らない訳ではない。

けれどこの女は、そこまでして繋ぎ止めておきたい存在ではなかった。

「甘えたいならホストでも行ってこいよ。」

「なんで…」

「金が欲しいならやるつってんだよ。」

「ッ!!!─バカにしないで!」

金切り声を上げベッドから降りる女。床に散らかっていた服を乱暴に拾い上げると、そのままの姿で部屋を飛び出した。

追いかけて欲しいのだろうがめんどくさい。そうしたくなるほどの魅力がない。

「あぁ…、だりぃ。」

適当な女を抱いた翌日は、教育係の顔を見るのが本当に気まずい。別に付き合っている訳でもないのに、行為のことがバレるのではと警戒してしまう。

「バカみてぇだな。」

誰もいない部屋で、天井に向かって呟く。

どうしてイオナのことばかりを考えてしまうんだろうか。どうしてあのイオナは仕事以外の時にまで自分を咎めるのだろうか。

決して、彼女の意思が働いている訳でもないのに、まるでイオナに束縛されているみたいだ。

考えるほどにイライラして、それなのにどこかホッとする。不思議な理不尽な存在──

…………………………………………………………………

時間は少し遡る。

仕事終わり。ゾロは上司の運転する車の助手席でスマホを弄っていた。外回りについてこいと言われ車に乗ったは良いが、取引先と会うときには車内に置いていかれてしまう。

上司は30分〜1時間くらいで戻ってくるが、その時の笑顔がとてつもなく眩しく爽やかだ。イオナなら3秒ほどフリーズするほどだろう。

けれどゾロからすれば、それはどことなく差を見せつけられているように感じていた。

本当に力のある人間は相手を罵ったり、卑下したりはしない。何があっても動じず、飄々と立ち回り切り抜けてみせる。格が違うのだから、いちいち自分と相手を比べるようなことはしないし、自己を過大評価していたりはしない。

シャンクスはまさにそれだ。
エースにもそれらしいところはあるが、それはきっとこの上司の背中を見て育ったからだろう。

どこまでも男らしく、上に立つ人間としての信念みたいなものを持っている。

そんな上司なら嬉しいはず。今までたいしたことのない相手に散々中傷されてきて、それが嫌で仕事を辞めたり、辞めさせられたりしてきたのだから、こんな最高の上司は他にないと喜べるはず。

それなのに─。

「俺、一度会社に戻るわ。」

ゾロは運転席に座る上司に告げる。突然声をかけられた彼は、ステレオから流れるメロディに合わせてトントンとハンドルを叩いていた人差し指の動きを止めた。

「なんでだ?」

「まだ仕事覚えれてねぇし。」

「今日はイオナ個人の仕事が多いんだ。教えてる暇はねぇと思うぞ。」

「でも…」

「いいから、直帰するってメールを送れ。俺も会社に車戻したらオフィスには行かずに帰るんだ。お前が部署に顔だしたら、俺がサボったみたいだろうが。」

最初の台詞は本心から部下を気遣っているような言い方だった。けれど、後半の言い分は強引過ぎる。ゾロはなんとなくシャンクスの思惑を感じ取っていた。

「それ本心じゃねぇだろ?」

「んあ?なんだいきなり。」

「ほんとは俺とイオナが一緒に帰れねぇようにしてるだけだろ。」

自分でも、なんでこんな問いかけをしてしまったのだろうと思う。けれど勝手に口が動いた。しまったと思ったところでもう遅く、気まずさから窓の外へと視線を向けようとしたゾロだったが。

バックミラーに映ったシャンクスの表情が、一瞬、男の顔になったようにみえ、硬直する。

「お前はイオナと一緒に帰りたいのか?」

「いや、別に…」

「だったらもし仮に俺がそう思ってたところで、問題はないはずだ。違うか?」

「まあ、そうだけどよ…」

「俺が送ってやるって言ってんだ。喜べよ。」

普段と変わらぬ顔で上司は言うが、その口振りに反して"やはり"圧力のようなものを感じた。

ゾロはそれ以上なにも言えなくなる。

どんなに退社が遅い時間になっても、イオナは自然な流れで家の前まで送ってくれる。そのせいで、夜道を一人歩きすることになると言うのに…だ。

女が夜道を一人でほっつき歩くのは充分危険だし、一度電車を降りるせいで更に帰宅は遅くなってしまう。

真面目なせいか彼女は一切の不満を口にしないが、寝不足は翌日に響くだろうし、別々に帰宅した方がイオナのためにもなるのだろう。

それでも少しだけ残念は気持ちになるのは─
………………………………………………………

ゾロは瞼を閉じる。隣に温もりがあれば違ったのだろうが、今はひとりぼっちだ。それでも、頭に浮かんでくる教育係の呆れたように笑う笑顔を思い出すと、なんだかよく眠れそうな気がした。

prev | next