待て、そうじゃない半分ほど残っていたからあげ定食を、ペロリと食べ尽くしたゾロは、誰が何を言ったでもないのに二人分の盆を両の手にそれぞれ持ち、下げ善スペースへと持っていく。
丼が二つ乗った盆も、からあげ定食の大皿や小鉢、茶碗の乗った盆も片手で持つには重すぎる。それでも彼はそれらをヒョイと持ち上げ、キツそうにもない自然な動作で持ち上げた。
親切を受けたイオナはもちろん、チラチラと二人の様子をうかがっていた他の部署の女性社員もそれにはずいぶんと驚いた様子で、中にはうっとりした溜め息を洩らした者までいる。
奥の席を選んでいたせいで下げ善スペースまでの距離がそこそこあり、これから食事を摂る予定の社員ですら呆気に取られている状態。
そんな視線に一切気がついていないゾロは、いろいろな意味で本当にすごい。
変なところで腕力自慢をしてしまったせいか、洗い場を担当しているおばさんにまで絡まれた彼は少しだけ気まずそうだ。
テーブルを布巾で拭き、二人分の椅子を戻したイオナは、困った表情で後ろ頭を掻く後輩を生暖かい目で見つめ続けた。
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覚えられない。俺は方向音痴だ。何度もそう繰り返すゾロにイオナは「もう知ってる」「迷子の時点でね。」と呆れ顔。それでも必要な事だと思ったのか、社内案内を申し出た。
「安心して。会社にある全ての部署を案内する訳じゃないから。関連のあるところだけ紹介だよ。」
彼女はそう言って、渋るゾロの肘の辺りをクイクイと引っ張った。イオナからすれば、年老いた犬を急かすそれと同じ気持ちだったのだが、男の心情としてはアレだ。
「引っ張るなよ。」
「だったら歩いて。」
「しゃあねぇなぁ。」
「私以外の社員にはちゃんと敬語を使って。あと、すれ違う時は会釈もして。」
「ほいほい。」
イオナは自分が敬われることを望まない。教育係りだからと鼻にかけない。そのせいか、ゾロはどんどん奔放になっていく。
「飯食ったし、眠たくなってきた…」
「子供みたいなこと言わない。」
「母親みてぇな口調だな。」
「君のお母さんにはなれないよ。」
イオナは数歩後ろを歩く後輩を一瞥する。気だるそうに歩く姿はいただけないが、初日で、遅刻してきた身でこの堂々さは逆に恐れ入る。
少年漫画や、中高生の好むドラマなどでは、こういった問題児には特殊なスペックがあり、最初こそ怪訝な目で見られるが、後半では一目置かれる存在になるが。
現実ではそうは上手くいかないだろう。
すれ違う社員たちの視線が痛い。小さく会釈をするが、彼らは会釈をしながらもゾロを食い入るように見つめている。きっと緑の頭がいけないのだろう。
それでも、だ。イオナは自分のすぐ後ろに向けらるジロジロとした視線に対して、"大人としてどうなの?"と思った。
言葉には出さなくとも、自分の後輩に対する好奇の目に苛立つイオナ。ゾロはその原因こそ解りかねているが、彼女が苛立ち始めていることに"その歩調が早まったことから"薄々感づきはじめていた。
「もう案内いいわ。」
「え?」
足を止めたイオナは振り返り、後輩の顔を見上げる。彼は不機嫌そうな表情で後ろ頭を掻いていた。どうにも困った時はそうするらしい。
「どうせ今みたって覚えらんねぇし。そん時々で教えてもらえたほうがありがてぇわ。」
「それもそうかもしれないね。」
淡々と意見を述べる後輩に対して、彼女は申し訳なさそうに視線を伏せる。まるで身内の恥を恥ずかしむかのような仕草に、ゾロは違和感を覚える。
まさか、彼女がが「もしゾロくんが外国人研修生とかだったらどうするの!?」などと考えているとは思いもしなかった。
「んじゃ、俺の仕事場は?」
「食品課は顔出さなくていいの?」
「なんだそこ。」
「お友だちのいるところ。ルフィくんだったけ?」
「いいよ、めんどくせぇし。」
イオナは一瞬驚いた表情を見せたあと、「そう。」と小さく呟き、少しだけ残念そうに、もと来た道を戻り始める。
彼女はすれ違う社員のいちいちに会釈をする。ゾロはそれを真似しながら、コイツらは俺の仕事には関係ねぇヤツらなんだよな?自己紹介しなくていいんだよな?と胸中でいちいち突っ込みする。
名札には各々の所属してある部署のカラーのラインが引かれているが、それをみたところでゾロは彼らが自分には関係のある人間なのかが謎だった。
「ここがうちの部署。玄関から辿ってみる?」
「帰りでいいよ、めんどくせぇ。」
部署についた時、やはりゾロは気だるそうにしていた。それだけじゃない。シャンクスが結んでくれたネクタイが緩められている。もう!とイオナがそれを閉め直すと、彼は少しだけシャキッとした面持ちに戻った。
先にドアに触れたのはゾロだった。先に中へ踏み込んだのももちろんゾロで、彼は「おはようございます」ではなく、「うぃーす。」と若者らしい挨拶をする。
そんな無礼な新入りに、黙々と働いていた社員たちは無関心を貫こうとしているようにみえる。彼らは異端分子は受け付けたくないスタンスなのか、それとも、「うぃーす」などという軽い挨拶を聞いたことがなかったのか。
そのどちらでもあり、どちらでもない気がした。
イオナがどうフォローするか迷っていたところで、気安く声をかけてくれたのはエースだった。
「遅かったな、イオナ。」
「社内案内してましたので。」
返事をしながら、エースの背景となっている部署内を見渡す。ほとんどの社員は席にいたが、シャンクスの席には《外出中》のプレートが置いてある。
「そういや、さっきルフィからメールきてたぞ。社食でイチャイチャしてたんだろ、お前ら。」
「え!?」「は!?」
二人は同時に声をあげ、顔を見合わせる。互いが互いの性格を完全に理解しているわけではないが、どちらともイチャイチャなんて単語は不釣り合いな人格であることは明白だ。
「そ、そんなんじゃないです!」
「まあ、そんな照れんなって。」
「違いますから!私はただ…」
イオナは懸命に訴えるが、その必死さが逆にエースにはウケてしまい、おかしがられる。ゾロは一気に不機嫌になり、小さく舌打ちする始末。
「俺、これから外だから、後はよろしくな。」
「よろしくって、何をですか?」
「この場の空気を、だよ。」
エースはさぞ楽しそうに言う。
そこでやっと気がついたのだが、先程まで無関心だったはずの同僚たちが好奇心に瞳を輝かせている。もちろんそれは、エースさんのカリスマ性に魅入られて、ではないのだろう。
「それはエースさんがなんとかしてください!」
ムッとした表情を作るイオナと、完全にぶちギレる一歩手前のゾロ。他の社員はゾロの放つ殺気のおかげか不自然な動きで目を伏せたが、エースは違う。
「そんな恐い顔をしてくれるな。俺は見かけ通り喧嘩、弱いんだからな。 」
ポンポンと新入社員と方を叩くと、オフィスを出て行ってしまう。イオナは一瞬、追いかけなくてはならないような錯覚に陥り、それが間違いであることを思い出す。
「それじゃあ、ゾロくん。あの…」
仕事を聞き入れらる状態ではないであろう人物に向き直った彼女は、殺気に煽られながらも訴える。
「気を取り直して仕事、頑張ろう。」と。
無論、それが受け入れられる訳がなかった。彼の殺気は熱風のようにイオナの肌をジリジリと焦がす。ビクビクしながらも、熱心に仕事内容を説明するが、彼はコメカミの青筋をピクつかせるばかりで話にならない。
なによりそのオーラに耐えるのに必死で、イオナ自身仕事の内容なんてめちゃくちゃだ。
「ちょっとルフィんとこまで案内しろ。」
ゾロは唐突にそう言い出す。エースさんとのやり取りから30分後のことだ。イオナは説明途中の資料を手にしたまま、「え、でも…。」と曖昧な返事。
それに更に腹を立てたゾロは、資料を放り出すと、どかどかと早足で出入り口に向かう。
「待って、ゾロくん。」
「いいから食品課の場所教えろ!」
最悪だ。絶対、他の社員はおもしろがってる。
この修羅場をたのしんでるんだ!
「わかったから落ち着いて。」
慌てて追いかけて、腕を掴み引き留める。あと一歩でオフィスから出てしまうところだったと、イオナは心底焦っていた。
「うっせぇよ、だいたいお前がダラダラ飯食ってるから、あいつに見られたんだろ。」
「え?私のせいなの?」
「地味な上に飯食うの遅ぇし、仕事の説明は無駄に長ぇし。要点だけ言えよ。つか、そんなグズだから契約社員なんだろ。だいたいなんだよ、その甘ったるい匂いは…」
「え?匂いってなんのこと?」
最初こそ嫌そうな顔をしていたイオナだったが、最後の一文のせいで驚いた表情で小首を傾げる。
途端に自分の口にした台詞の内容を思い出し、ゾロは額に冷や汗を滲ませる。冷たい視線はその他大勢の社員から送られてくるものだろう。
「ねぇ匂いって、なに?」
「いや、その…「おい、お前ら廊下まで聞こえんぞ。」
そこでタイミングよく現れたのはシャンクスで、イオナは後輩と上司を交互にみて困った顔をする。少なくとも気まずいのはゾロの方なのだが。
さすがに言いすぎたと自覚のあるゾロは、教育係のことをチラチラとうかがい見るが、彼女の視線はシャンクスだけに向けられており──その他のものなど見えていないようだ。
「おい、新入り。あんま俺の部下にキツいこと言わないでくれよ。どの子もナミちゃんみたいに気が強い訳じゃねぇんだ。それに、俺からしたらイオナは可愛くて仕方のねぇ後輩だ。」
「か、可愛い!?」
ゾロが返事をする前に、イオナが裏返った声をあげた。すでに顔は真っ赤で、あからさまにあわあわと唇の縁を震わせている。可愛いと言われたのはことが嬉しいのか、それとも憧れの上司にそう言ってもらえたからうれしいのか。ゾロにはそこがイマイチわからず、イオナを観察していたのだが。
そんなゾロの様子をおもしろがったシャンクスは、またもやからかいの言葉を放つ。
「そんなに妬くなよ。まあ確かに俺はモテるけども。だ。」
「妬いてねぇよ。」
「そうか?もっと俺を構えって顔してたぞ。」
「そんな訳あるか。」
完全に敬語を忘れたゾロはイオナの腕を掴むとシャンクスの隣をすり抜けようとする。その時、ポンポンと肩を叩かれ、余裕を見せつけられたような気がしたのは言うまでもない。
彼は不機嫌な表情のまま、ずかずかと廊下を進む。一人で飛び出さなかっただけマシか。とイオナはゾロを評価するが、二人で出てきたことをどう思われたかと思うと逆に気が重い。
ただ、この無礼な後輩に罵られたおかげでシャンクスさんから『可愛い』と言われた訳で。
「食品課行こっか?」
「あぁ。」
ゾロは気まずそうに視線を伏せたかと思うと、慌てて腕を離し、何故か前をズンズンと歩き始めた。
「場所、わかるの?」
「いや。」
「だったら…」
「悪かったよ。」
「なにが?」
「地味だなんて言って悪かった。俺は別に」
「いいの。子供の時からそうだから。それに…」
「だからって…」
「平気。地味な自覚はあるし!!!」
イオナはニッコリ笑う。本当のところを言えば、本気で気にしていなかっただけなのだけれど、ゾロにとってそれは強がりにしか見えなかった。
立ち止まった彼をすり抜けるようにして前を歩き始めた先輩に向かって、彼は後ろめたさを吐き出すように声をかけた。
「待て、そうじゃない!」と。
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