地味と平均点背後に立つ、今しがた追い越した後輩に呼び止められたイオナは、足を止め、振り返った。眉間にシワを寄せる彼は、どこまでも目付きが悪い。それでも威圧感がないのは、後ろめたさが滲み出ていたから。
「なに?」
「いや…」
ただ罪悪感で呼び止めただけ。伝えられることなんてない。ゾロの気持ちはなんとなくわかっていた。わかっていたからこそ、イオナは彼から目を反らさない。
どんな言い訳をするの?どんな風に取り繕うの?
それはただの好奇心。
今のところ"いい加減な人間"にしか見えない彼を、シャンクスさんは「責任感が強そうだ」と言っていた。元フリーターで、敬語の使い方も知らない。遅刻魔、方向音痴のあげく、態度ばかりのデカいこの人はどんな台詞を吐くのか。
恐いもの見たさにも近い感覚で、イオナは期待する。そんな彼女の眼差しに当てられたゾロは、ただ気まずそうに視線を伏せ─
「お洒落しろよ。そしたらちっとはマシになるだろ。」
「は?」
「地味なのは服装だけだつってんだよ!」
「はぁ…」
この男。真剣な顔して、いったい何を…
笑ってはいけないとわかっている。けれど、予想外の感想を、言い訳ではない"率直な意見"─ 受け取り方によってはポジティブにも取れる檄─を飛ばされたせいで思わず「プッ」と吹き出してしまう。
「な、なにがおかしいんだよ!」
「いえ、別に…」
「な、なんだよ。俺をばかにしてんのかッ!?」
「いやあ、してないはず。あ、でもちょっとだけしてるかもしれない 。」
「ふざけんな、おい!」
よかった、君みたいな後輩で。そう言いたくなるほどに、間抜けな彼の言動は少しだけこの先の不安を和らげてくれる。
彼は社会人としては至らない部分も多いが、それ以上に素直だ。大人の大好きなくだらない嘘はつかない。取り繕うような真似もしないし、誤魔化す器用さもない。それに合わせて、頭で足りない部分は気迫と勢いで補える力強さもある。
一見"いい加減"なようにも見えるが、本質的なところはただの"いい加減"とは違うのかもしれない。
彼の中には彼自身の定めた『芯』があり、それを守るため、はたまたそれを裏切らないようにして生きているのではないか。
もしそうだとしたら、責任感は人一倍強いだろう。
イオナは一気にそこまで考え、一度固く結び直していた口元を緩めた。
「俺、間違ったこと言ったか?」
「うぅん。正しいと思う。」
「………。」
「誰だってガッツリお化粧して、お洒落でハツラツとした服を着れば地味じゃなくなるかもしれない。けど、私はそうしない。そうしていない理由があるから。」
彼はやはり真面目な顔をしていた。相手の話を聞く耳を持っている。それもまた意外だった。指示は聞きたくないが、相手の心情は知ろうとする。営業職なら独自のやり方で上手くやれるのかもしれない。
もっともそれはスーツをきっちり着こなせるようになってからの話だが。
「私さ、苦手なの。自分を変えるのも、目立つのも。普通がいい。地味がいい。平均点が好きなの。」
「平均点って…地味はマイナスだろ。」
「そうかな?派手なほうが残念だとおもうけど。それより…」
イオナは踵を返し、再び歩み始める。彼は指示をしなくとも無言のまま続いた。
「ルフィくんだっけ?お友だち。その人の前では、ちゃんと私を先輩っぽく扱ってくれる?」
「は?なんで。」
「表向きだけでも上下関係はちゃんとしておきたいから。相手は他所の部署の人間だし。わかるかな、この理由。」
「なんだそれ。めんどくせぇな。」
「めんどくさいって言わないで。」
「あぁー。めんどくせ。」
「次めんどくせぇって言ったら罰金かな。」
「は?だりぃこと言うなよ。」
決して顔色をうかがっている訳ではないが、歩幅を早めイオナの隣にならんだゾロは、チラチラと彼女の顔をうかがい見る。
ちゃかされているとわかっていても怒らない。不馴れなことには戸惑いこそしてみせるが、感情的になったり、不機嫌になって当たり散らしたりしない。これまでの上司、先輩の態度を思い出し、ゾロは首を傾げる。
一体この女はなんなのだろう。と。
「ダルいも禁止。かったるいも禁止。ネガティブな言葉は基本的に禁止。」
「それ、業務に差し障るだろ。」
「基本的に。なので例外は認めます。」
「へぇ。」
「へぇじゃなくて。はい。でしょ?」
少しだけ余裕が出てきたのか、イオナは親しみを込めた口調で話しかけてくる。もちろん、親しみはあるが、馴れ馴れしさはそこにない。彼女のこの慎ましさが、妙に居心地がよかった。
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