triangle | ナノ

上司で課長

「あぁー。今日は「暖めますか?」って聞いてくれなかったな。」

一人暮らしにしては広いリビングのソファに腰を下ろしたシャンクスは、ネクタイを緩めながら脱力ぎみにぼやく。

会社からの帰宅途中、いつものコンビニに立ち寄った。

500ミリリットルの缶ビールを2本と大きな鮭の入った和風テイストの弁当を購入したまではいい。顔馴染みの店員がいなかったことに気を取られてしまい、弁当を暖めてもらうことを忘れて帰宅してしまった。

夕飯が弁当なのはいつものことなので特に問題ないが、それが冷たいとなるとやはり淋しい。

ふと台所にあるレンジに目を向ける。

それは昔同棲していた恋人が置いていったものであり、家事に疎いシャンクスは一度も使ったことがなかった。

(俺、なんで一人なんだろうな…)

「仕事ばかりしている」とか、「私を見てくれない」とかそんなことを嘆かれるだけならまだいい。ただ、涙ながらに「他の男と結婚したい」と言われるのはずいぶんと堪えた。

しかも「したいと思っている」ではなく、「したい」と断言されたのだ。よくよく聞いてみると、この家に住んでいながら、その男とも関係を持っており、お腹にはその男の子供がいたらしい。

その頃丁度、新しくできた部署で課長を任されところだった。あちらこちらから集められた部下たちの、それぞれの力量を見極めながら、自分自身の仕事をこなす日々。慣れない部下を労りすぎたせいか、家に帰れない日も多かった。

たまに暇を作って帰宅すれば、かまってくれと泣きじゃくる恋人をめんどくさいと思わなかったこともない。

当時は仕方ないと開き直るしかなく、改善を試みる余裕も考えもなかった。

けれど、幸せそうにしている元彼女となったその人をみた途端に、酷く後悔した。仕事をもっと上手く部下に回せていれば、自分の要領がよければ、あの笑顔は自分の隣で輝いていたのだろうと。

淋しさを誤魔化すように仕事漬けになったはいいが、充足感はそこにない。頑張っているうちにエースという、可愛すぎる部下は出来たが、彼もまた自分と同じような『過ち』を犯すのではないかという不安が生まれた。

後悔を糧に…などというが、そんなのはなかなか出来たものではない。人は後悔を重ねる度に保身的になる。もし、経験したのが酷い後悔だったなら、たった一度のことでも心は損壊され、弱くなって、殻にこもってしまうだろう。

シャンクスは自覚していた。

同じ過ちを犯したくないと無意識に思っている心が、誰かを好きになるのを拒んでいることを。

今だ鮮明に思い出される元恋人の面影に胸を痛めながら、冷えた弁当の蓋を開く。思い出せば辛いだけなのに、一人になるとつい考えてしまう。

あの時の子供ももう幼稚園に通っている歳だろうとか、自分も父親になれていたのだろうかとか。

そこでふと思い出すのは、浮かない顔で仕事をこなすイオナと、彼女のすべてを諦めたような深い溜め息。

てっきり結婚前の腰掛け程度に入社してきていたと思っていた彼女が、日に日に暗くなっていく。おまけに一向に仕事を辞める雰囲気もなく、それどころか正社員でも避けて通るような部類の作業まで淡々とこなしてしまう。

学歴もよく、仕事も良くでき、精神的にも落ち着いている、多少地味ではあるものの、社会人としては文句なしの彼女が何故、そこまで滅入っているのか。

恋人と別れたのだろうか。はたまた、どこかでセクハラ被害にあっているとか、通勤中の電車で連日チカンされているとか。

そんなことばかりを気にしていたシャンクスは、本当の理由を聞いて脱力してしまった。彼女の希望を叶えてやれる権限はないが、そのアシストなら余裕でできるのだから。

「最初から相談してくれてりゃいいものを…」

冷たい米は喉に詰まった。ビールでそれを流し込みながら、あまり素直とはいけない真面目な部下のことを真剣に考える。

冷たい鮭は骨が取りにくく、もうめんどくさくなって小骨については噛み砕いて飲み込んだ。煮物も、お浸しも、食べ慣れた味なのに親しみは感じない。旨いわけもなく、かといって不味いわけでもなかった。

「エースちんに電話してみようかねぇ。」

弁当の3分の2を平らげ、2本目のビールを開けたところでシャンクスは独りごちる。

なんの用事がなくても、なんとなく誰かの声が聞きたくなることがある。そういうときには必ず、エースに電話するのだ。

「って、ダメか。今アイツ…」

(イオナと飯食ってんだわ。)

全部を口にするまでもなく、シャンクスはビールの缶に口をつける。イオナが誰かと食事している。その相手がエースである。その二つの項目にモヤモヤしてしまうのは何故だろう。

シャンクスにはわからなかった。

「イオナは笑ってたほうが可愛いのにな…」

ポツリとそう呟いたタイミングで手元が狂い、まだ半分ほどビールを残した缶が床に落ちる。

「やっちまったな…」

トクトクと缶から溢れる液体が、カーペットの色を濃くする。それを片付けに駆けつけてくれる存在がないことにすこぶる悲しくなった。





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