定食と危機感 初めての社員食堂に対する感想は、一言で言うならば『定食屋』だろう。数種類から好きなものを選べる上に、白米や付け合わせのキャベツだけでなく、メインや副菜まで無料でおかわりすることが出来る。
一通りの説明をした後、イオナが「もとが多いんだから、おかわりしようなんて誰も思わないって。」と愚痴っぽくこぼしたが、ゾロは大食いの友人の顔を思い出し「そうでもないだろう。」と胸中で突っ込んだ。
イオナはAランチ、メインが唐揚げのセットを選んでおり、ゾロはCランチの牛丼定食と単品の天ぷらうどんを選んだ。食堂の一番端、出入り口からは遠いが、なるべく目立たない位置に向かい合って腰を下ろす二人。それはイオナのゾロに対する気遣いだったのだが、もちろん彼は気がついていない。
「食べきれるかな。」
「食えねぇなら食ってやるよ。」
「いや、それはっ。その…」
「なんだよ。俺、なんか変なこと─」
「言ってない!なんでもないから。」
自分のトレーを見つめながら不安そうな顔をしていたイオナが、急に動揺し始める。ゾロは本気で意味がわからないと言いたげに首を傾げたが、イオナは顔を真っ赤にして首を左右に振る。
自分の食べ残しを食べてもらうなんてそんな、いくら相手がバカでも、初対面の人になんてお願いできるわけがない。
だいたいそれはか弱い女の子がしてもらうこと、私みたいな人間が…。
ゾロは先輩後輩の関係性について、会社としての上下関係についてを理解していない。だからこそ、イオナを普通の女の子として扱おうとしており、そのせいで男慣れしていない彼女は動揺を繰り返す。
そんな中でも、なんとか「いただきます。」と両手を合わせた彼女は、付け合わせのキャベツを口に運ぶ。ドレッシングがおいしい。
さて、どれから食べようか。
普段は社員食堂を利用しないイオナは、食べきれない不安を抱えつつもお浸しに箸を運び─
「なぁ、からあげくれよ。」
「え?」
「どうせ食えねぇなら、先にくれつってんだよ。」
突然の催促に唖然とするイオナ。彼女に対して、ゾロはやはり堂々としており──返事を待つことなく、箸に挟まれたからあげが宙を舞う。
皿に乗っていた中で一番大きかったそれを、パクリと一口。モグモグと咀嚼する姿は思春期の男の子のようで、どこか可愛らしい。
「あの…」
「やっぱうめぇよな、からあげ。」
「あぁ、うん。私まだ食べてないんだけど。」
「ん?なら食えよ。」
圧倒的に図々しい。それでも、嫌な気がしないのは、相手が自分より年下であることがわかっている上に、彼の行動そのものに嫌味がないからだろう。
ガツガツと牛丼を食べ、うどんを啜り、黙々と食べ進めていくゾロの胃は宇宙かもしれない。エースも本来は大食いなのだが、今の彼は身体のことを気にして摂取量をセーブしているため、イオナはその事実をしらない。
彼女にとって、ここまでガツガツと食事を摂る男性を見るのは初めてのことだった。
「ごちそーさん。」
イオナがまだ半分ほどしか食べ終わっていないにも関わらず、ゾロは両手を合わせた。丼には米粒ひとつ残ってなく、その豪快な食べっぷりに反して根本的なマナーはわかっているらしかった。ただ単に食い意地が張っているだけかもしれないが。
箸を顎を黙々と動かしながら、イオナはそろそろきつく感じてきた胃の圧迫感をどうしたものかと考える。まだ盆に乗ったどの皿にも料理が半分ほど残されており、このままでは食事を残すことになるのは確実だ。
食べられないと言えば、目の前にいるこの男は本当に食べてくれるのだろうか。私の食べ残しを?待て待てそんなのはおかしい。
付き合ってもない相手の食べ残しなんて…
深く考えすぎてグルグルし始めたイオナの箸の動きは自然と止まる。もとより、食べられそうにないものを押し込むような真似はしないので、この場面ではこのまま下げるか、ゾロに食べられないと告げるしかない。
完全に動きをとめ、料理をみつめ続けるイオナ。
先輩の不自然な様子にゾロは若干眉間のシワを濃くし、心底不思議そうに首を傾げる。
なんで食わねぇんだ。虫が入ってた?なら、押し黙る前にクレームだろ。腹が痛い?食えねぇならそういえばいい。
なんなんだ。一体なに考えてんだ?
基本的にサバサバとものを言う女の子にしか興味がなかった。なに考えているのかわからないタイプは不気味だし、気の小さい女は鼻から言い寄ってこない。
だからこそ、ゾロにとってイオナは異端であり、異例であり、謎でしかない。
自分に対してみせる頑なな態度と、あの上司に対する尊敬以上の感情が込められた熱い視線。なにより、ところどころでみせる甘さのせいで妙に意識させられる。
チャラついた女とばかり遊んでいた反動か、はたまた新しい環境で覚えるアウェイ感からか。イオナを妙に受け入れてしまっている自分がいる。
珍しく悩むことを快諾している脳みそ。違和感だらけの状況に、心地の悪さを覚えるゾロだったが、イオナが箸を置き手を合わせたところで反射的に言い放つ。
「もういらねぇなら食ってやるっての。」
「へ?」
「ほとんど減ってねぇじゃん。」
「ほっといて、くれないかな。」
こっそり下げてしまおうと考えていたイオナは、後輩の申し出にビクリと身を震わせた。しかし、相手はそんなことはおかまいなしと、勝手に盆を引き揚げ、その代わりに自分が空にした丼の乗る盆を手渡してくる。
しかも、彼は別に"そういったこと"を気にしないのか、イオナが使っていた箸で残っていた定食を食べ始めた。
なんで、どうしてこの人は…
イオナは頭を抱えたい気持ちになる。
ゾロの身なりに興味を持っていたらしい女子社員がヒソヒソしていたことに気がついたからでもあり、自分の箸を抵抗なく使われたせいかもしれない。
とにかく、ゾロは異端だった。よくわからない。不思議な存在であり、理解し難い、常識に囚われやすい自分には"扱いにくい"存在。
好き嫌いの問題じゃない。同じ価値観の領域にすら居ないのだからそんな感情すら持てない。
イオナにとって、シャンクスは憧れであり、尊敬している相手だ。常識があり、包容力があり、統率力、洞察力に優れている。誰もが憧れる存在だと思っている。
ただ、その誰もというのは、"同じ価値観の世界"の"同じ価値観の領域"で暮らしている人たちのこと。
だからこそ思う。
この人は違う。絶対に違う。と。
偏見や軽蔑ではない。これまでの常識が壊されることへの不安。見てきた世界を否定されることへの恐怖。目指してきたものを見失う絶望。
そのすべてのきっかけを孕んでいそうな後輩。ゾロに対して覚えるのは、純粋な警戒心だった。
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