(だからなんだって言うんだ。)
シャンクスさんの優しさは誰に対しても振り撒かれている。そうわかっていても、ドキドキしてしまうのは、単に異性からの親切に慣れていないからだろう。
そこまでわかっているにも関わらず、仕事が手につかなくて仕方ない。
(今日はもう終わり!)
そう胸中で断言する。翌日に繰越せば、それだけまた大変になるのはわかっているが頑張れそうになかった。
いそいそと帰り支度を進めていると、「今晩暇だろ?」とお隣から声がかかる。暇だと決めつけられていることにも驚くが、ニッと笑うエースさんの屈託のない笑顔にはもっと驚かされた。
仕事のときには見せない、隙だらけの破顔。
こんな顔を向けられては、無下には出来ないではないか。
「はい。暇ですけど…。」
「ならちょっと付き合えよ。」
「私でいいんですか?」
「イオナがいいから誘ってんだよ。」
後ろめたい気持ちもないのか、エースさんは堂々と言ってのけるが、誰が聞いてもそれは口説き文句だ。一瞬呆けた顔をしてしまうが、すぐに切り替える。
エースさんが異性関係に無頓着なのは、社内でも有名すぎる話だ。
リアクションがおもしろいからと一人の女子社員を執拗にからかってみたり、ドジなバイトのフォローをこまめにしてみたり。思わせ振りな態度は多いが、そこに恋愛感情など微塵もない。
仕事とプライベートは切り離すタイプらしいのだが、相手の勘違いするようなことは是非ともやめた方がいいと思う。
彼の言葉に呑まれてしまいそうになっていた自分の間抜けさにこめかみを押さえつつ、「わかりました。」と返事する。
満足そうな笑顔がまた憎い。シャンクスさんといい、エースさんといい、自覚がないというのは本当に罪なことだ。
………………………………………………
会社から徒歩圏内にある、カウンター席しかないような小さな焼き鳥屋。香ばしいタレの香りにお腹をならしつつ、使い込まれたのれんをエースさんに続いて潜る。
「イオナをこんなとこ連れてきたってバレたら、シャンクスさんに大目玉食らいそうだな。」
「焼き鳥好きですよ。フレンチよりも断然。」
「俺も。レストランとか食いにくいよな。」
「あのフォークの背にライスを乗せるの苦手です。」
「わかる。バタースプレッターとかいらねぇし。」
異性と二人きりの食事は学生時代以来で、周りの目やらなんやら気になってしまって仕方がない。それでも焼き鳥屋という敷居の低い店だったおかけで、緊張はそこまでしなくてすんだ。
ビールを乾杯した後、先出しのポテトサラダを口に運ながら先輩の様子をうかがう。ポテトサラダには枝豆と鶏のささみ、蓮根と人参が入っており、和風の味付けだった。
今度作ってみよう。そう思ってしまうほどには美味しく、箸が進みすぎる。エースさんも気に入ったのか、黙々とポテトサラダを頬張っている。
呼び出したからにはなにか重要な話があるのではないか。もっといえば、きっと「中途採用の社員」について、言っておくべきことがあるのでは?
こちらかは訊ねるような真似はしないが、話を聞き出す必要はある。話しやすい空気になるよう、あえて口を慎んでいた。
注文していた焼き鳥が大将から手渡される。皿を受け取ったのはエースさんで、「熱いうちにくえよ」と前に置いてくれた。
「ありがとうございます。」
「いちいち礼なんていいよ、それより…」
そう言いつつ、ねぎまを一本頬張ったエースさんは、ハムスターみたいに頬を膨らませモグモグしながら言葉を続ける。
「中途くんだけどな、来週からだと。高卒でフリーターしてたらしいんだけど、シャンクスさんがみた限り、責任感はありそうだって。」
責任感?それを持ち合わせている人間が、何故フリーター?
真面目に生きてきたイオナにとって、フリーターは未知の生き物だった。友人でも人妻となりパートやアルバイトをしている友人こそ数名いるものの、バイトメインで生計をたてている人は知り合いには一人もいない。
「いくつの方なんです?」
「ルフィと同じだから23だろ。」
「資格は?」
「普通自動車と大型バイク。」
「デスクワークには必要ないですね…」
「でも、どこでも連れてって貰えるぞ?」
明るく言い放ったその言葉の意味…。そこになんの悪意もないことは充分にわかっているのだが、彼氏はいないんだろ。と言われているような気がしてシュンとなる。
なにが寂しくて、年下の中途正社員にお出掛け連れてってもらうってんだ。
「そんな必要ないですから。」
「彼氏でも居るのか?」
「いません。」
「なら一緒に出掛けるくらい問題ないだろ。」
「なんのためにですか?」
「へ?」
エースさんはなぜかキョトン顔。まるでこっちがおかしなことをいってしまったかのような反応だが、会話を思い出しても問題点は思い当たらない。
「後輩にまで手を出さなきゃいけないくらい、男に飢えてるようにみえます?」
少しトゲのある言い方だったろうか。いや、完全に感情的な物言いだ。食事に誘ってくれた先輩に対してこんなんでは、異性となんたら、など不可能だろう。
きっとエースさんもそう思ったはずだ。
イオナは居たたまれなくなり、ジョッキに半分ほど残っていたビールを一気に飲み干す。喉の内側からシュワシュワする苦味に、うぷっとなった。
慌てておしぼりで口元を押さえたところで、「あぁ、いや、そうじゃねぇよ。」とエースさん。
どうやらこちらの発言の意図がわからず、少しの間フリーズしていたらしい。
「相手は後輩なんだし、ちょっとくらい使いっパシりにも使えるだろ?男と女じゃなくて、仕事仲間としてうまくやっていけたらあっちもやりやすいんじゃねぇかと。」
「はぁ…」
「もっと他のヤツとも壁を作らず楽しく仕事やろうぜ。少なくとも俺は仕事を楽しんでる訳だし。」
それはエースさんが正社員だからです。
反射的に言いかけるが、寸で言葉を飲み込む。それとこれとは別の話だ。混同させてはいけない。別に契約社員だから仕事を楽しめない。なんてことはない。
正社員と仲良くしている契約社員はいくらでもいるし、仕事の差がどうこうなどと思っているのは小数だろう。
ただ…
「中途くんの性格を知らないので、なんとも言えないんですけど…」
疑ってしまうのだ。
「契約社員の話なんて聞きたくないかもしれないです。」
入社した時、私自身が正社員でないことを、契約社員であることを負い目に感じていた。それと同じように、正社員である中途くんは契約社員を下にみるのではないか。
「それらしいこと言われた時は、俺に言えよ。こっちで対応してやるから。シャンクスさんがなんと言っても、俺がきっちり話をつけてやる。だから、楽しめ。な?」
「エースさん…。」
「頑張れ」でもなく、「我慢しろ」でもなく、「楽しめ」と言う先輩。異端のようにも思えるが、どこかシャンクスさんに似ている気がした。
エースさんが、ジョッキを空にしたタイミングで、店主が「サービスだよ。」と軟骨の唐揚げを出してくれる。今思えば、まだポテトサラダしか食べてなかった。
まずは焼き鳥を食べるべきだったのかもしれない。ただ、揚げたての軟骨があまりに美味しいそうだったので、ついついそれに箸がのびた。
ちょっとだけスパイシーな衣と、コリコリとした食感がたまらない。おもわず、んー。と声が漏れる。
「旨いだろ、それ。こっちも旨いから食ってみ。」
「ありがとう、ございます。」
差し出されたのはタレのかかったつくね。口の中の軟骨を飲み込みながら皿を受け取り、串を左手でつまむ。そして、右でもった箸でスゥーっとつくねを抜いた。
途端に隣からへぇと感心したような声が。
「どうかしましたか?」
「いや、串から外すんだなあと。」
「え?」
「そんな上品な食い方するヤツは初めてだったんで、ちょっと驚いた。」
「上品だなんて、そんな…」
口元が汚れるのを嫌って、串を抜いてから食べる女性はわりと多い。この反応からして、もしかするとエースさんは女っ気が本当にないのかもしれない。
まあ、あれだけ仕事をしてれば当然か。
普通に考えればエースさんは仕事のし過ぎた。本来ならば課長補佐という役職があてがわれるはずなのだが、勤続年数が足りないとかで保留になっている。
うちの部署からは仕事内容ではなく、勤続年数を重要視するなんてと不満の声が漏れたが、当の本人は「気にすんなって」と笑っていた。
あの時は「どうして?」と思ったが、今ならわかる。
きっとエースさんは心の底から仕事が楽しいのだ。
私は串を外して食べる理由について、串の先で喉を突いて痛い思いをした経験があるからだと説明した。エースさんは「見た目によらずおっちょこちょいなんだな」と笑う。
今のことではない。幼少期の話だ。
そう訂正すればよかったのだろうが、あまりにも楽しそうに笑うので何も言わないでおく。ケラケラと笑う先輩の笑顔は少年のように明るく、眩しかった。
「そんな笑わないでください。」
「せっかく上品な子だなって思ったのに、ドジ自慢されたら笑っちまうだろ、普通。」
「ドジ自慢なんかじゃないですよ。」
「そうか?普通のヤツは喉をついたりしねぇぞ。」
「だからそれは…!」
やはり訂正しよう。そう思い口を開くが、「いいよ、わかってるから。」とジョッキ片手にあしらわれ、串の件についての会話は終わってしまった。
その後もたくさんの話をした。思えば、こんなに誰かと長く会話したのは久しぶりだ。不満や愚痴を吐き出した訳でもないのに、胸の奥にあったつっかえが取り除かれたような気すらした。
…………………………………………………
ほどよく酔っぱらったエースさんと歩く夜道は、月明かりと街灯で明るい。それでいてまだそこまで深い時間でもないのに、人気はなかった。
「正社員になりたいんだって?」
唐突に切り出された質問。酔っているからなのか、ちょっと舌っ足らずなところがかわいい。
「せっかく大学も出たので」
「大学は関係ないんじゃねぇの?」
「そうなんですけど…。短大や専門学校出た友達はみんな正社員なのにって、ちょっと後ろめたくて。」
「気にすることないだろ、そんなの。」
「でもこの先が不安なんですよ。契約切られたらほんとにおしまいっていうか…」
今後、自分一人で生きていくことを考えると、やはり正社員の方がいい。親にもそう言い聞かされていたし、私自身もずっとそう思っていた。
しかしエースさんの意見は違うらしい。
突然立ち止まった先輩は、不思議そうに顔を覗き込んでくる。それに合わせて足を止めたはいいが、顔の距離がずいぶんと近くて緊張してしまう。
「あの、どうかしましたか?」
声が裏返るのは距離のせい。
たった、数秒のことなのに手のひらにべっとりと汗をかいてしまうのは、基本的にこういった経験が少ないからだ。
いい大人がなにをやってんだろう。
こちらの反応にどう思ったのか、エースさんはおもいっきりの笑顔を浮かべる。まるでキャンプファイヤーの炎のように、温かで力強い笑顔だ。
心拍数が跳ね上がる。恋をしている訳でもないのに。ドキドキするのは雰囲気のせいだろう。
トンっと肩に乗せられた手のひらが熱い。その部分だけ、切り取られたみたいに感覚が浮き上がった。
「ほんっとバカだな。」
こちらの気持ちなどつゆ知らず、呆れたみたいに笑ったエースさんは、言葉を続ける。
「老後が不安なら結婚すればいいだろ。」と。
それが出来そうにないから悩んでるんです。そう言おうにも、この顔の距離がそれを拒む。
「なんだ、俺の顔になんかついてるか?」
「いえ、全然。」
そんなに顔を見つめすぎたろうか。
慌てて視線を伏せる。
「早いとこ見つけないとシャンクスさんみたいに、一生独り身だーなんてことになるぞ。」
前に向き直ったエースさんは、軽くのびをして歩き始める。私は慌ててその背中を追った。
「でも、シャンクスさんだって恋人くらい居るんじゃないですか?」
「いない、いない。飯はコンビニで買うか、外食するかで、洗濯物なんて全部クリーニング屋だぜ。みてらんねぇっての。」
コンビニ?外食?
洗濯物をクリーニング屋?
会社でのイメージとは異なるそれらに驚いて、またひとつ興味をもってしまう。プライベートではどんな風なんだろうかと。
今感じているのが恋慕の感情であることは理解できても、そんな淡い想いにはしゃぐことが許される年齢ではないことくらい、自分が一番理解している。
「プライベートのシャンクスさんみたら、誰も付き合いたいとは思わねぇよ。まぁ、俺もあれだけどな。」
酔っぱらっているからなのか。はたまたプライベートのエースさんがそうなのか。一方的に紡がれる言葉に私はただ耳を傾けていた。
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