夜明け鈍く痛む頭を抱えて、サンジは朝食の支度をする。まだ日が昇る前、イオナが部屋を後にするまで彼は眠れなかった。
3日連続の寝不足。
こっそりとベッドを抜け出す音も、ドアを閉ざす音も。なにげない生活音だというのに、ひどく耳に残る。
そんな音すらも行為の余韻のように思え、胸が痛んだ。
なんとか普段通りの時間に起きてキッチンには立てたが、頭はクラクラしている。息を潜める際、身を固くしているためか関節痛もある。
そんな彼のいるリビングに一番乗りで現れるのは、朝のシャワーを終わらしたばかりのイオナ。
「お、おはよう。」
その一言を口にするのにひどく勇気が必要だった。そんなサンジをよそに、彼女はいつも通りの穏やかな表情で朝の挨拶を口にした後、続ける。
「サンジさん…。どうかしました?」
「え?なんで?」
「ボーッとしてるから。」
彼女はクスクスと笑った。その仕草も言葉遣いも、夜のあれとは大違いだ。
あれは悪い夢だったんじゃないかとすら思えてくる。実際、初めて行為を目の当たりにした翌朝は『夢だったか。』と思った。
二日目の夜這いを確認した時に、その希望は見事に打ち消されてしまったのだが。
サンジはダイニングテーブル、端の席に腰を下ろしたイオナに、コーヒーを差し出す。
「朝食はいらないかな。お腹空いてなくて。」
「ヨーグルトは食べられる?」
「うん。蜂蜜たっぷりがいい。」
肩をすくめて笑う仕草も、子供みたいな口調も、昨夜の彼女とは似ても似つかない。
知らぬ間にそんなことを考えてしまっている自分に嫌になり、サンジは彼女から目を背ける。
そんな彼をみて、イオナはまたクスクスと笑う。
「私の顔になにかついてました?」
「え?」
「みちゃいけないものを見たような顔をするから。」
後ろめたさを感じさせない。疚しいことなど1つもないような物言いだ。
船の中で、しかも他のクルーの寝ている部屋であんなことをしておいて平然としていられる。
それは、最初からバレても構わないと思っているか、行為自体を不道徳なものだと捉えていないからだろう。
前者ならともかく、後者であったなら大問題だ。
サンジはイオナの言葉をぎこちない笑顔でかわし、キッチンに引っ込んだ。
ヨーグルトの支度をしようと冷蔵庫を開いたところで、廊下に通じるドアが開く。
足音と共に聞こえる、刀の鞘が遊ぶ音。
「よう。」
「おはようございます。」
低い声で短く挨拶をしたゾロに、イオナが丁寧に挨拶を返す。あまりにも自然なやりとりで、気後れしているのは自分だけのような気がしてサンジは下唇を噛む。
イオナから、一番離れた位置に腰を下ろした彼はサンジに向かって声を張る。
「俺の飯は。」
「他の奴らが起きてくるまで待ってろ。」
「腹減った。」
「待ってろ。」
わざわざ特別に準備してやる気にならない。イオナのために皿に盛り付けたヨーグルトとフルーツを手に、サンジは強い語調で言う。
ゾロは不満げに眉を寄せるが、そんなことはどうでもよかった。
「ゾロさんもヨーグルトとかいかかです?」
イオナはゾロに敬称をつける。ゾロだけではない。全員に敬称をつけている。
どうやら行為の時と、普段は呼び方を使い分けているようだ。その自然な使い分けがまた、サンジを混乱させた。
「んなもんで腹が膨れるかよ。」
「食べないよりはマシかと…」
肩をすくめるイオナをチラリとうかがったゾロが、その険しい表情を崩すことはない。サンジはなに食わぬ顔を装って、彼女の前にヨーグルトを差し出した。
「おいしそう。」
「食欲がないときはグレープフルーツがいいんだよ。」
「へぇ。」
「蜂蜜とも相性がいいから。」
飾り切りしたフルーツを差し出しても、すでにそれに慣れてしまっているナミやロビンが、感嘆の声をあげることはない。
イオナのリアクションはサンジにとってうれしいものだった。ニコニコと盛り付けた皿を眺めるか彼女をみていると、寝不足の疲労感もブッ飛びそうだ。
原因であるはずのイオナが癒しとなる。
それもまたおかしな話だった。
イオナがグレープフルーツを口にしたタイミングで、ゾロが重々しく口を開く。
「持ってこいよ。」と。
「んあ?」
「俺にもそれ、持ってこい。」
彼は、そっぽを向いていた。
実に腹立たしい態度だ。
人にものを頼む態度じゃないだろうと声を荒げそうになったサンジの耳元で、イオナが囁く。
「ゾロさんって、素直じゃないですね。」
その柔らかな口調にどこか艶っぽさと甘さを感じ、毒気を抜かれてしまう。
「蜂蜜たっぷりにしてあげてくださいね。」
いたずらっ子みたいに笑うイオナが、あまりにも愛くるしくてサンジはしばらく放心していた。
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