子守唄は誰のために | ナノ


逢魔時

生け簀のガラスに背中を預け 、イオナは小首を傾げる。海の美しい部分だけを切り取ったかのようなガラス面。通りすぎる魚たちの動きに合わせて、影が揺らめく。水中に差し込む光に浮き立つ彼女の白い肌は、やけに幻想的だった。

ここは男部屋と同じフロアにあるアクアリウムバー。密室を避けたところ、人気のない場所はここしかなかった。

正直言って、気持ちが落ち着かない。サンジはアルコールの入ったグラスを口に運ぶ。普段は鋭敏なはずの舌が、緊張のせいか全く味を感じない。

「この間の話だけど。」

「はい。」

「あれは、その…」

まずは何から訊ねればいいのだろう。限られた時間で、このモヤモヤの全てを伝えることは不可能だ。言葉を選ぶのにも慎重になる。

口ごもるサンジに対して、イオナは相変わらず落ち着いていた。

「サンジさんが知りたいのは、私とゾロさんとのことでしょうか?」

「うん…。いや、その、うん。そうだ。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。なんて言ったらいいのか、まだ…。」

「そんなに緊張しないでください。」

「……………。」

イオナがクスクスと笑う。肩をすくめる姿は、話の内容に対して軽薄なようにも思えた。もっと慎重な話をしたいのだ。そう思うのに、彼の唇は思うように言葉を吐けない。

喉がカラカラだった。渇きをなんとかしようと、アルコールを流し込むけれど、望んだ潤いは得られなかった。

「私、眠れないんです。昔から、眠りが浅い方ではあったんですけど、船に乗り込んでからは特に酷くて。」

なにも言わないサンジをフォローするかのように、イオナは一方的に話し始める。

「あの夜も、ブラブラしてました。ナミさんからはチョッパーくんからお薬を貰えばと言われていたんですけど。どうしてもそれが嫌で。」

「嫌?」

「眠くなるお薬は、もしもの時に起きられなくなるでしょう?」

「もしもの、時…?」

「だから、なんとか眠くなる方法を探っていたんです。そうしたら、たまたまゾロさんが甲板にいらして。」

イオナは饒舌な唇を閉ざした。それ以上は悟れというのだろう。ところどころで確認するように言葉を繰り返していたサンジは、彼女のそのうっとりとした表情を前に沈黙する。

なんの感情もない相手に、このような表情はできないだろう。イオナにとって、ゾロは特別な存在なのかもしれない。

なにか言わなくてはならない。そう思うのに、やはり言葉が見つからない。自分はなにを伝えるために彼女をここへ呼び出したのか。

考えるほどにわからなくなってくる。

「イオナちゃん、あの…」

「ずっと考えていたんです、あれから。サンジさんの質問、どういう意味だったんだろうって。」

イオナは宙を仰いだ。その表情はどこか晴れやかで、意味深だ。質問とはなんのことだろう。どれのことだろう。

頭の中がごちゃごちゃしている。
アルコールの入ったグラスをカウンターに置き、ポケットから煙草を取り出す。火をつけようと口にくわえるけれど、火が見つからない。

ポケットをがさごそしていると、イオナがまたクスクスと笑った。

「なにがおもしろいの?」

「いえ。」

「火がないんだ。」

「みたいですね。」

彼女との会話はペースが掴めない。サンジはやっとのことで、ライターを取り出した。くわえた煙草に火をつけ終えたところで、どこからかルフィの声が聞こえた。

腹が減ったと騒いでいるのは明白だ。

「ルフィの奴…」

このままここに居たとしても、なにも言えなかったに違いない。イオナは曖昧に微笑んでいる。どうしましょうと訊ねるような表情ではあるけれど、どうにもそれが魔性の笑みのようにしか思えなかった。

「飯を作ってくるよ。」

「はい。」

「じゃあ…」

何も言えなかった。何も聞けなかった。それが、悔しくて仕方ない。イオナに背を向けたサンジからは、小さく舌打ちが漏れた。


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