子守唄は誰のために | ナノ


逢魔時

あの最悪の明け方以降、サンジはゾロとイオナの行為を目にしていない。深夜に彼女が男部屋を訪ねてくることもなくなった。けれど、二人の関係が途切れた訳でもないようだ。

深夜にゾロがベッドを抜け出しているのがその証拠。二人はこの船のどこかで逢瀬を重ね、より親密になっているのだろう。

ゾロはいったいどういうつもりなのか。
あの日言っていたことは本心なのだろうか。
イオナは一体何を考えて…

繰り返し、自問自答した。けれど、すでに疲弊していた脳は思考を鈍らせる。なにより、他人の心の内など、考えたところで無駄でしかないのだ。

一日に吸う煙草の本数は増え、ずいぶんと喉が乾くようになった。ぼんやりしている時間が増したせいか、煙草の灰がよく床に落っこちて困る。

サンジは思う。どうして諦められないのだろうかと。決定的な場面を見せつけられても食い下がり、傲慢な感情を押し付けようとした。その結果は惨敗で、なにも言えぬまま引き下がってしまった。

もう、それで十分なはずだ。
傷つくのも、傷つけるのもこれ以上は勘弁だ。

精神的には限界のはずなのに─

「イオナちゃん。」

換気扇に吸い込まれる煙草の煙を視線で追いかけながら、サンジは無意識のうちに呟く。その名前を口にする度に、彼女のほんわかした笑顔が瞼の裏に蘇る。どれだけ見たくない場面を見せられても、イオナの笑顔はそれ以上に鮮明だった。

夕飯の支度は整っている。ルフィが飯はまだかと騒ぎ立てれば、すぐにでもテーブルに並べられるだろう。もう少しだけ、あと数分だけ感傷に浸っていたい。

人差し指と中指の間に挟んだ煙草。先端の灰色を払い、再び口元へと運ぶ。煙草はいい。なにかを変える力を持っている訳ではないけれど、一時的に気分を軽くしてくれる。

不意にコーヒーが飲みたくなった。濃いコーヒーを淹れようと考え、ずっと閉ざしていた瞼を持ち上げる。そこでサンジはハッとした。

「あの、サンジさん?」

「…えっ?」

「私のこと、呼びました?」

どうして…。そう訊ね返そうとした唇を慌てて閉ざす。誤魔化すように煙草をくわえ、動揺を静めることに専念する。

あんなことがありながらも、イオナの態度が変わることはなかった。諦めきれないのはそのせいだろう。

「気のせいでしたね。 」

きっと彼女は肩をすくめたはずだ。見なくてもわかるのは、それがイオナの癖だから。

「なにか飲むかい?」

平然を装おって問いかける。返事があるまでに間があった。居心地の悪さから、煙草を吸い上げる。先端の1センチが灰になった。

「煙草を一本、いただけますか?」

「たばこ?」

「はい。」

「これ、けっこうキツいけど…」

「じゃあ、やめておきます。」

サンジは自然な流れでイオナの表情をうかがい見る。イオナは視線があうなり、上目使いに微笑んだ。

その笑顔をみて確信する。彼女は煙草など吸うつもりはなかったのだ。まんまと乗せられてしまったサンジは、動揺をさらに誤魔化すべく深く煙草の煙を吸い込んだ。

逃げられはしない。
イオナへの想いから。
その存在から。

「ゆっくり話をしようか。」

無意識のうちにその台詞が唇からこぼれ落ちていた。同時に吐き出された煙が、換気扇へと向かう。

「あっち、かまわない?」

サンジはドアを指差す。イオナはその指の先をみることなく、コクりと頷いた。







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