夕方自分のことが嫌になる。
あの場に出向いたのも、あの場を覗いたのも自分の意思。無理矢理見せつけられた訳ではないことを充分に理解していた彼は、ただ自身を責める。
どうして?なんで?を繰り返したところで、見たものが全て。イオナはきっと、ゾロに恋慕の感情を持っているのだろう。
というよりも、二人はすでにそういった感情のもと、あぁなっているのかもしれない。
(最初からてめぇの付け入る隙なんてねぇんだよ。)
頭の中のゾロが挑発するような口調で言う。普段なら強気に言い返すところだが、今日ばかりは違った。
「言われなくてもわかってたさ。 」
わかっていながら、その現実を受け入れなかった結果がこれだ。この有り様だ。
「それでも…好きだったんだ。」
二人が深夜に逢瀬を繰り返している現実から目を反らし、あるはずのない希望を抱いていた。それで何かを変えられるはずはないとわかっていながら、諦めきれなかった。
瞼に焼き付いた光景が、頭の中で繰り返される。
苦しい。たまらなく悔しく、涙もでない。
こんな状態でも包丁を握る手は順調に動くのだから不思議だ。夕食に使う予定の食材は、無意識のうちに適当な大きさに刻まれている。
煙草はいつもよりもずっと早いペースで短くなり、気がつけばまた一本新しいものを手にとっていた。
一つ溜め息をついた後、それに火をつけたところで、甲板に続くドアが開く。
誰が入ってきたかなど、いちいち確認しなくてもわかる。鞘同士の遊ぶ音がキッチンへと近づくが、サンジは顔をあげなかった。
「お前、良い趣味してるよな。」
「…なんのことだ。」
「俺らがヤってるとこ、覗いてただろ。」
ゾロは躊躇うこともなく言う。この男は一体なにを考えているのか。
「毎晩起きてるみてぇだし、勘づかれてることは知ってたが…」
返事をしないサンジをよそに、彼はグラスに水を注ぐ。ゴクゴクと喉を鳴らしてそれを飲み終えると、まるで日常会話でもするかのような口調で続けた。
「別に俺はアイツのこと好きじゃねぇから」と。
無言で煙草をふかしていたサンジは、ここでやっとゾロへと視線を向け、低く唸るような声で訊ねる。
「じゃあ、なんでてめぇは… 」
「知るかよ。知りてぇならアイツに聞け。」
「どういうことだ?」
「そんなピリピリすんなよ。」
「てめぇのことだろ。なんで他人事なんだ?」
ただの怒りや苛立ち程度なら、衝動的に脚が出ていただろう。底のない憤怒の感情のせいか、不思議と思考は冷静だった。
対するゾロも、普段とは反応の違うサンジに対して、何かを感じ取ったらしい。さきほどまでのダルそうな物言いを改めた。
「俺は頼まれたから抱いてるだけだ。ただの好き者なら、いつか飽きるだろ。」
「頼まれれば誰でも抱くのか、てめぇは。」
「誰でもは勘弁してくれよ。イオナのことは特別好きって訳ではねぇが、嫌いでもねぇしな。」
「そんな半端な気持ちで──」
そこまで口にして思う。ゾロはイオナから頼まれたのだ。だから抱いているのだ。
どんなに相手を責め立てたところで「求められたから応じた」という答えがある以上、それはなんの意味もない。
拳を降り下ろしたところで、ただの八つ当たりに過ぎなくなってしまう。
「──いや、なんでもない。」
「なんだよ、やけに大人しいな。」
「なんでもねぇよ。ただ、ちょっと馬鹿馬鹿しくなっただけだ。」
こういった時に冷静であるのも辛い。
感情のままに怒り狂えるくらい、愚か者だったなら。いや、今の自分も充分に愚か者だ。
自嘲めいた調子で言葉を紡ぎ、煙草の煙を吐くサンジに対して、ゾロは「へぇ。」と感嘆の声を漏らす。
続けて、「お前のことだし、俺はてっきり女の気持ちがなんたらつってイオナの肩を持つかと思ってたわ。」と小さく笑った。
「肩を持つもなにも、イオナちゃんが望んでることなら仕方ねぇだろ。」
「そっちじゃねぇよ。」
「は?」
「感情もねぇのに女に触れるな!とか訳わかんねぇこと言いそうだろ、お前。」
「だからそれは…」
指摘があまりにも的確過ぎて、返す言葉に困る。どうしていつものように反論できなかったのか。サンジ自身は、普段の己の言動との矛盾に気がついていなかった。
「俺がイオナに惚れてたら困る理由があるんだろ。」
「それは…」
「いつもみてぇな訳わかんねぇこと言えなくなるくらい、イオナのことが気になってんだろ。」
図星だ。サンジはとうとう口ごもる。なにも言い返さなくとも、ゾロはもう勘づいているだろう。
無言のまま視線を伏せた彼に対して、ゾロもまたなにも言わない。グラスに水を注ぐと、それを手に取ったまま廊下へと続くドアから出ていってしまった。
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