一途な君のこと | ナノ

愛してる

フロアの仕事を始めてから3日、イオナはずいぶんと要領を掴んできた。

要領よくやれさえすれば、無駄な動きが減るため体力は温存できる。誰かのフォローに入るようなスキルはまだないけれど、足手まといにだけはなっていないと自負していた。

フロア仲間の名前も覚えたし、厨房メニューも一通りは作れる。それでもフロントに戻りたくないと思うのは、ゾロとの関係が良好だから。

これまでは持ち込みで済ましていた夕飯も、彼に誘われる形でまかないで済ませるようになった。

「ほんと要領いいよな。」

イオナが作ったまかないをゾロがガツガツと頬張る。どんぶりものにしたのが正解だった。食べている姿がすごくツボで、ついつい見惚れてしまう。

異性に手料理を振る舞ったのはいつぶりだろうか。

イオナは記憶を探ろうとするが、あまり過去にいい思い出はないので蓋をした。

こうしてゾロと会話をするようになってから、こういうことはよくある。その都度、自分の過去を嫌に思うのに、つい思い返してしまうのだ。

自然とイオナの箸が止まる。

「どうした?」

「え?」

「いや、なんにもねぇならいい。」

ゾロは気がつくタイプ。イオナにとってそれは少しだけ不安要素だった。あまり深くは関わってはいけないと、心の中で警戒音が鳴り響く。

「手を抜くためなら努力は惜しまないから。」

「え?」

「要領いいのはサボりたいからなんだよ。」

イオナが至って真面目な顔で言うと、ゾロはすごく「なんだよそれ」と笑う。

聞き返すとき片方の眉を持ち上げる仕草も、無愛想にみえる鋭い目付きも、いつみてもかっこいい。

その都度、胸が熱くなり心拍数が影響をうけるのに、イオナはその感情の意味を理解しきれていなかった。

彼女が再び箸を動かし始めたところで、ゾロのスマホが鳴る。彼はあからさまに表情を変えるので、嫌でも相手が恋人であるとわかってしまった。

また箸が止まる。

「悪ぃ…」

申し訳なさそうにスマホを耳に当て、ロッカースペースを指差すゾロ。あっちで電話してきていいか?と聞いているのだ。

イオナがどうぞと手で合図をすると、彼はいそいそと視界から消えた。

途端に胸がザワつく。

どうしてこんな気持ちになるのか。

悔しさにも似た感情が込み上げてきて、それを誤魔化すようにガツガツと丼を頬張る。

冷蔵庫にある材料を好きに使ってかまわないと言われ、まかないを作るようになったのは昨日から。

昨日はメニューの一つを作ったのだが、今日はオリジナルメニューの鶏の照り焼き丼だ。

ネットで拾ったレシピを改良し、温玉まで乗せる力の入れっぷりだったのに、すごく美味しいのに、何故だか涙が出そうだった。

前回同様、盗み聞きしたいわけでもないのにロッカースペースから声が漏れ聞こえてくる。

「連休取れたから…。おう。絶対だぞ!ああ…、そーだよ。ん?あぁ。当たり前だろ。」

すごく優しい語調だ。普段、執拗に口にする「るせぇよ。」が嘘みたいに思えるほど、すごく温かな相づちの打ち方。

初めての耳にしたときには、感銘を受けたはずの彼の電話での口ぶり。

今では聞いているだけで辛い。

「ったく…。あぁ、愛してるぞ。」

(ほほう。「愛してる」ってのは、あんな風に口にするものなのか。)

おどけたように胸中で呟くが、本当のところは胸が痛くて仕方ない。

だから、どうして…

瞼に向かって集まってくる熱。
目頭を押さえて深呼吸する。

落ち着け、落ち着けと何度も自分に言い聞かせた。

私には関係ないでしょう?と…。


どうにも彼らの通話は愛の言葉で終わったらしい。

頭を掻きながら戻ってきたゾロに、「ロッカーじゃ音は防げないよ」と指摘する。

彼は顔を真っ赤にして「るせぇよ。」と呟いた。

唇をムッと閉ざすのも、眉を寄せるのも、目を伏せるのも、些細な仕草だ。

それなのに心臓がバクバクしていた。
せっかく作った丼がどうでもよくなるくらい、ゾロに気を持っていかれてしまう。

再び、丼を食べ始めた彼は照れ臭いのか、先程よりも勢いよく口に頬張る。イオナは食べるのも忘れてゾロに見惚れている。

客観的にみれば、興味深い光景なのだろう。

休憩に入ったばかりのエリカが休憩室に入っていた。彼女は二人を交互に見た後、「あれ?お邪魔だったかしら?」などとおどけてみせる。

イオナは慌てて視線を彼女に向け、ゾロはあからさまに視線を背ける。彼がチラチラとイオナへと目をむけるのは、電話での会話が筒抜けになるのではと恐れているからかもれしない。

「何食べてんの?めっちゃおいしそうじゃん。」

「いるならあげるよ。」

「ほんと?」

もくもくと食べ続けるゾロをよそに、エリカはイオナから受け取ったばかりの丼をマジマジと眺める。

「あんたご飯作れんのね」

「不味いものなんて食べたくないもん。それなりにはやるよ。」

「素直に練習したっていいなさいよ。」

からかうような言葉にムッとした。

練習なんて失礼な。一度、確認がてら作ってみただけだ。と視線で訴えると、彼女はヘラヘラとしながら箸を動かし始めた。

イオナは新調したスマホを手に取り、あれやこれやと機能を弄ってみる。

元カレのメールと電話が執拗で耐えられず、着信拒否やアドレス変更も効果がなかったので買い換えたのだ。

数分後、食べ終わったゾロもスマホをいじり始めた。

彼が「ごちこうさまでした。」と小さく呟いたのがツボで、イオナがつい吹き出してしまいそうになったのというのは秘密だ。

マイペースに食事を続けるエリカは、紅茶で口の中を空にした後ゾロに問いかける。

「で、彼女と別れんの?」と。

その質問にヒヤリとしたのは紛れもなくイオナ。愛の囁きまで聞かされてしまったのだから、もうこれ以上、彼のノロケは勘弁してほしかった。

「んな訳ねぇーだろ。」

ゾロは短く答える。
その言葉自体にトゲはないのに、強い怒気が込められている。彼のこめかみには青筋が浮いていた。

「あぁ、ごめんごめん。そんなイライラしないでよ。」

それに気がついたのが、慌てて取り繕いつつもエリカは懲りずに質問を続ける。

「で、どのくらい付き合ってるの?」

聞きたいようで聞きたくない。
そう思うのは何故だろう。

「3年…」

ゾロは少しだけ間を置いて答えた。

途端にイオナの思考が斜め上に向かう。

3年って…
1年が12ヵ月だから…
36ヶ月で…

36ヶ月って…

「ど、どんだけ!?」

どのくらいの間をあけたかはわからない。
どうして1ヶ月単位で計算したのかもわからない。

ただわかるのは…

愛してるの気持ちが、
大好きの想いが、
それだけの時間継続しているということ。

イオナは驚きのあまり声を荒げ立ち上がる。

椅子がガタンと音を立てて後ろに転がり、その音にまた驚いて振り向いて、取り乱している自分がなんだか情けなく思えた。

自分自身に対して落胆している彼女に対して、微妙に驚きの入り交じった笑顔を向けながら「なんだよ。」とゾロは言う。

─この人は誰かを愛せる。
─大切な人を想うことができる。

さっき聞いた、彼の「愛してるぞ」が頭の中で反響する。

こだまするみたいに遠退いてゆくのに、繰り返し響いて、遠退いて、一度消えるのに、また一から繰り返される。

どうかしてしまいそうだ。

「いや、あの…「イオナってば続かないから」

反射的に口を開いたまま口ごもるイオナを見兼ねたのか、エリカが軽い調子で口を挟んだ。

「とっとと終わらせちゃうのよ、毎回。面白いくらい物語もなく、思い出もなく、サラッと終わっちゃう。まるで早送り。」

茶化すような言い方だ。でも本当のことだから、否定は出来ない。むしろ、触りだけ話して、深くを探らせないようにする話し方がエリカらしい。

他人事のようにイオナはそう思った。

対するゾロは大真面目な顔で「相手が悪いんだろ。」と言う。眉を寄せて、どこか不満げな表情だ。

そういう言い方をする人は初めてだ。

「なんでそう思うのよ。」

「は?」

「イオナが悪いって思わないの?」

「あぁ。思わねぇよ。」

「へぇ。それってどういう意味?」

「どうって…」

エリカの言葉の追撃に、ゾロはチラチラとイオナを伺いながら対応する。本人の前で軽はずみなことを言うのは躊躇われたらしい。

けれど、イオナは二人の会話を聞いていなかった。

─違う。相手が悪いんじゃない。
─私に原因がある。私のせいだ。

─向き合わなかったのも、取り合わなかったのも、求めなかったのも自分だ。それなのに…

「で、なんであんたはポカーンとしてんの?」

エリカにコンコンと額を叩かれ、イオナはハッと我に返る。二人に顔を覗きこまれていたことに気が付き、彼女はわずかに赤面。

「休憩時間終わるぞ。」

「へ?」

「戻るぞ、フロア。」

「あ、う、うん。」

どうしてだろう。

あんなに拒んできたことなのに、こんなに欲しがっている自分がいる。 こんなに羨ましく思っている自分がいる。

「頑張ってねぇ。」

エリカの気のない声を背に、空になった丼を持ってゾロとイオナはパントリーに向かう。

イオナの頭の中は酷く混沌としていた。

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