ほんのひととき
イオナの住むマンションを出てから数分。ゾロは半歩後ろを歩くイオナに問いかける。
「ラーメンでいいか?」と。
「いいけど、場所わかるの?」
「なんだよ、バカにしてんのか?」
「してないよ、けど…」
本人は濁す気なのかもしれないが、そこで黙られるとその続きが気になってしまう。立ち止まりイオナの横顔をうかがうと、彼女は含み笑いを浮かべていた。
「なんだよ。」
「遠ざかってるよ?」
「は?」
「バイト先から遠ざかってるんだよ。このままじゃ閑静な住宅街に向かっちゃう。」
淡々と言い切ったイオナは、吹き出しそうになったのか口元をふにゃふにゃと緩める。
「なんでもっと早くに言わなかったんだよ。」
「面白かったから」
「なにが」
「道間違ってるのに、自信満々に歩いてるゾロが。」
挑発的な口調と目配せだが、身長差があるため、どうしても見上げられるかたちになってしまう。口元を必死で引き締める様子と、自然な上目使いのせいで、からかわれているのに嫌な気はしなかった。
もちろんそれだけじゃない。
「どんだけ悪趣味なんだよ。」
直視し続けるには照れ臭く、おもわず顔を背けてしまう。振り返り、元来た道を戻ることにすると、イオナはやはり半歩後ろをついてきた。
隣に並べばいいのに。そう思う反面、隣に並ばれたらそれはそれで緊張してしまいそうだとも思った。彼女のときどき見せる、好奇心に揺れる瞳をプレッシャーに感じることがある。
「ちゃんと道案内しろよ。」
「やだ。思うがままに進んでみてよ。」
「あのなぁ…」
「時間はあるじゃん。」
「腹が減ってんだよ。」
「ふーん。」
半歩後ろだと、彼女の表情がわからない。けれど、頬を緩めているであろうことは、その雰囲気で十分にわかった。
「で、ラーメンでいいのか?」
「うん。」
「オシャレな店につれてけ、とか言わねぇの?」
「えぇー。勘弁してよ。」
「なにをだよ。」
イオナとの会話は、何故かテンポがよくなりがちだ。突っ込んでおいてアレだが、おもわず笑ってしまい、振り返ると彼女もまたクスクスと笑っていた。
………………………………………………
最初に道を間違えたこともあり、ずいぶんと歩かせてしまったようだ。ラーメン屋で時計を確認すると、イオナの部屋を出てから30分以上経っていた。
カウンターの下にある彼女の足は、ヒールのあるパンプスの中に収まっており、こんなのでよく歩けるなと思うと同時に、文句1つ言わないイオナの態度に驚いた。
「足、痛くねぇの?」
「痛いけど、どうかしたの?」
「いや、文句とか言わねぇから。」
相変わらずの淡々とした口調と、不思議そうに小首を傾げる様子のバランスの悪さに笑いそうになる。小首を傾げるときは、もうちょっと可愛らしく話せないものだろうか。
別にブリッコや甘え上手が好きというわけではないが、可愛らしい一面というのを見てみたい気持ちがないわけではない。
「文句言われたいんだ、変なの。」
「そんなんじゃねぇよ。 」
「でも、言われなかったことが不安だったんでしょ?」
「そーじゃねぇって。ただ、靴もそんなだし、歩かせて悪かったなと思って…」
ゾロはしまったと思う。何故だかわからないが、イオナとの会話となると、余計なことを口走ってしまう節があった。
歯切れ悪く言葉を終わらせたゾロに見つめられ、彼女はメニューに戻していた視線を泳がせる。
本人はいたって普通にメニューをみているふりをしているつもりなのだろうが、どう考えてもその瞳の動きは落ち着きが無さすぎる。
なによりほんのり頬が赤く染まったのが印象的だ。
「いいよ、別に。楽しかったし…」
「なにが?」
「ゾロと話してて楽しかったから。苦じゃなかった。普通に楽しかったんだってば。」
「プッ…」
眉に力をこめた難しい顔で、語尾を強めに言い切った彼女の姿があまりにも可笑しくて、なにより可愛くておもわず吹き出してしまう。イオナはさらに顔を赤くして、ムッとした顔をするが、それすらも可愛くて仕方なかった。
「ほら、早く選べよ。」
「言われなくても選んでるってば。」
「そんなピリピリすんなって。」
「うるさい。」
ムスッとしたまま、イオナはメニューを睨み付ける。横から覗こうとすると、フイと身体ごと背を向けられた。真顔でそれをされれば心配にもなるが、彼女自身が笑いそうになっているのだからそれ以上のちょっかいを出さずにはいられない。
「俺にも見せろよ。」
「そっちにあるでしょ?」
「減るもんでもねぇのに。ケチだな。」
「それより早く選んだら?」
「俺はいっつも醤油チャーシューだし。」
「決まってんならメニューいらないじゃん。」
呆れたように呟いたイオナは、店主に注文を言う。味噌バターラーメンを食べるらしい。醤油チャーシューも頼んでくれたので、「餃子も」と付け足しておいた。
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