クリスマス・イヴ
イルミネーション輝く街並みが、頬を指すような冷たさを忘れさせてくれる。気合いの入ったお洒落をした女たちと、落ち着きなく視線を泳がせる男たち。
浮き足だった空気は温もりを求め、数多くのカップルに思いがけないプレゼントを届ける。
誰もが浮かれたいと願うそんな日に、イオナとゾロはバイト先にいた。
慌ただしくオーダーを捌き、散らかった客室を片付け、新たな客を迎える。パーティーメニューの出が良い分、厨房はてんてこまい。それでなくても忙しいのに、酔っぱらった客をうまくあしらわなくてはならない。
個室で行きすぎた行為がないように監視したり、客からのセクハラをうまくかわしたり。普段以上に注意を払い、慎重に接客する。
一時間辺り100円の時給アップが店長からの提案だったが、それ以上の労働であることは間違いない。
恋人とねずみの国に向かったエリカと比べると、ずいぶんと味気ない過ごし方。けれど、二人は別にそれを残念だとは思っていなかった。
どこかの大学生が利用したパーティールームは想像以上に散らかっており、そのくせ閑散としている。
床に散乱したクラッカーの残骸も、中途半端な食べこぼしも、テーブルで倒れたままになっている氷の残ったグラスも。
それらが厄介であればあるほどにイオナは嬉しかった。
「こんな日にバイトなんて色気がねェよな。」
床に散らかったゴミをほうきで掃き集めながら、溜め息混じりに呟くゾロ。体格がいいせいで、手にしたほうきがずいぶんとちっぽけに見える。
捲った袖から見える手首や手の甲をチラチラとうかがいながら、イオナは表情を緩くした。
「ゾロは色気がほしいの?」
「いやっ!そう言う意味じゃねェって…。」
「じゃあ、どういう意味だったの。」
「別に。ただ思ったことを言ったまでだ。」
「へぇ。」
一緒に片付けをする相手がゾロでなかったら、猛スピードで身体を動かしていると思う。イオナはテーブルに残された皿やグラスを、ゆったりしたテンポで清掃用の台車に乗せていく。
「なんだよ。その反応。」
「ゾロの思う、色気のあることってなんなのかな?って。」
「んなこと、どうでもいいだろっ!」
絞られたままの照明のせいで確認はできないけれど、わずかに語調を強めたゾロの頬がわずかに赤く染まっているのは間違いない。
「やっぱ、エッチなこと考えてたんだ。」
「─っ、とっとと手ェ動かせよ。」
「ゾロだって全然片付け進んでないじゃん。」
「うっせぇ。」
片付けをダラける理由が自分と同じだったらいいなと、イオナは思う。
バイトが終われば一緒に過ごせることはわかっているけれど、それでも一分でも長く傍にいたい。
ゾロと居られるのなら、作業が遅いと怒られることくらいなんてことなかった。
テーブルの上にあった食器やグラスが片付く。
固く絞ったダスターでテーブルの上を拭くけれど、水滴などでずいぶんと濡れていたせいか、水の跡が残ってしまう。
乾拭きして、アルコール消毒して、また乾拭き。その手間すらも、ゾロと居られる口実となれば『嬉しいこと』なのだから不思議だ。
ゾロはめんどくさくなったのか、一度集めたクラッカーの残骸をほうきの先で撒き散らし始めた。
もう一度全部を集め直す手間を思えばあり得ない行動だけれど、その分こうして過ごせる時間が伸びるのなら儲けもんなのかもしれない。
「そういや、エリカは旅行だったっけな。」
「うん。夢の国だって。夜は併設された高級ホテルだって言ってた。」
「へぇ。」
もう掃除はやめてしまったのだろうか。ゾロはソファに腰を下ろすと、ほうきの先で床をツンツンさるばかり。
「掃除しないの。」
「休憩。ちょっとくらいいいだろ。」
「うーん。どうだろう。」
イオナはいたずらっぽく肩を竦める。本気で時間稼ぎモードに入っているのか、ゾロはそれを了承ととらえたようで口角をもちあげた。
テーブルを拭き終わったところで、メニュー表に手を伸ばす。ラミネートされたページを一枚ずつめくり、その表面をアルコールを滲ませたダスターで撫でていく。
やけに視線を感じて顔をあげると、ゾロと目が噛み合った。
「どうかした?」
「最近、めんどくさいって言わねェなと思って。」
「え?」
「口癖だったろ。めんどくさいが。」
「確かにそうかも。」
ゾロと携わるまではいろいろなものが煩わしくて、どうにでもなれと思うことばかりだった。わざわざその気持ちを自ら口にしたりはしないけれど、感想を求められた場合は、その都度「めんどくさい」とすべてを拒絶していた。
けれど、最近はいろいろなものに興味がある。エリカが楽しみにしていた豪華なホテルも、ゾロの誘ってくれた剣道教室も。
暇潰しでしかなかったバイトも、ゾロと逢う口実になったときから楽しみで仕方ない。
同時に、これまでは囚われることのなかった『悩んだり、悔やんだり』といったマイナスな感情とも向き合わなくてはならなくなったけれど、それでも今を『めんどくさい』とは思わなかった。
思わぬ指摘に呆然としていると、ゾロが何気ない調子で切り出した。
「来年辺り、行ってみるか?」
「へ?」
「旅行。」
「りょ、旅行 !?」
「なんだ、その反応。」
あまりにオーバーな反応をしてしまったせいか、呆れた風な笑みを向けられる。
突然旅行に誘うことが、ゾロにとっては自然なことなのだろうか。考えるほどに訳がわからなく、イオナは「え?」と「だって。」を繰り返す。
「行きたくねぇなら無理にとは言わねぇけど…」
「そ、そんなことない。でも…」
付き合ってもいないのに旅行なんて。と言いかけて、口をつぐむ。
一緒に過ごす時間が増えるほどに、自分はゾロの特別なのではと錯覚してしまう。クリスマスの誘いを受けてからは特にそうだ。
けれど、それが自惚れだった時、傷つくのは自分だ。
今の関係は何を言っても許されるほど、完全なものではない。『友達以上。恋人未満。』という絶妙な距離感であるからこそ、保てている関係だと言える。
距離を詰めようとしたり。逆に距離を取ろうとしたり。そんな駆け引きで崩壊してしまう可能性は捨て切れない。
「付き合ってもいないのに」という台詞の奥には、「恋人にしてほしい」という想いが見え隠れしているように思えた。
だからこそ、イオナは余計な台詞を口にするの前に言葉を濁す。なにか言いかけた押し黙ったゾロはどう思ったのか。のっそりと腰をあげた。
「来年まで待つ必要もねェな。暖かくなったらどっか遊びに行こうぜ。近場でも遠出でも。イオナが行きたいとこに。」
「えぇっと、あっ。う、うん!」
ぐーんと伸びをしながら、軽い口調で放たれる誘いの台詞。
誘ってもらえたことが素直に嬉しく、それがら来年ではなく数ヵ月後のことになったことで更に現実味を帯びてきた。
たとえ、友達であろうと、恋人でなかろうと、ゾロとの思い出が増えるのは嬉しいことに変わりはない。
イオナは機械のボリュームや、設定を調整する。再び掃除を始めたゾロの横顔が、心なしか嬉しそうに見えた。
「早く終わらせないと怒られちゃうかな。」
「もう充分遅れてんだろ。」
「まあ。確かに。」
どこかぎこちなくなってしまった会話。
普段なら不安になってしまいそうな素っ気ないゾロの態度だけれど、それが照れからくるものであるのが明白なだけに、イオナは無意識に口元を緩めてしまった。
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