手探りと手応え
コンビニから戻ったゾロから袋を受け取ったエリカは、その中を確認し思いっきり顔をしかめる。
「頼んでたとの違うんですけど。」
「我慢しろよ。」
「はあ?」
「タダ飯食えるだけいいだろ。」
「失礼なこと言わないでよ。私はちゃんと情報提供してるじゃない。」
「ダチの情報売って飯を食うなよ。」
ゾロは呆れたように笑う。外の寒さに対して、屋内の暖房は暑すぎた。上着を脱ぐタイミングを間違えたせいか、額には汗の粒が滲んでいる。適当に汗を拭い、イオナの分を冷蔵庫に入れていると背後にエリカが立った。
「イオナ、なんかいるって?」
「いや。」
「ボーッとしてた?」
「まあな。」
イオナに元気がないことは、ロッカーで顔を合わせた時には気がついていた。当然ながらその場で根掘り聞くようなことはせず、気にかけていたのだが──どうやらエリカは全てお見通しだったらしい。
「ちょっとそれ、私の飲みたかったヤツ。」
「こっちはイオナのだ。」
「なんで?」
「こっちのがそれより美味いんだろ?」
不満げなバイト仲間に対して、ゾロは挑発的にそう言うと冷蔵庫をバタンと閉めた。それは普段のエリカならイライラしそうな返しだったか、彼の意図を汲んでか、呆れたように溜め息をつくだけに留まった。
「あんたって一応女心はわかってんのね。」
「なんだよ、一応って。」
「別に。」
それでも不満はあるのだろう。思いっきりの膨れっ面で、元居たパイプ椅子まで戻り腰を下ろすエリカ。ゾロはそれをみて、再び呆れたような顔をする。
「せっかくイオナが落ち込んでる理由を教えてあげようと思ったのに。あんたはほんとに女心を理解してるわ。」
「あぁーあ、さっきのは皮肉だったのな。」
「いいの?知りたくないの?」
「あれはイオナのだ。交渉されたって、やんねぇよ。」
いつもよりずっとつれない態度のゾロに、エリカはからかい混じりに食い下がる。けれどやはり彼は乗ってこない。
これではまるで、こちらから話したがってみたいじゃないか。
エリカ的にそれでは面白みがない。
「じゃあ、知りたくないんだ。」
もう一度声をかけると、彼は冷蔵庫に近い位置にあったパイプ椅子に腰を下ろし、少しだけ表情を固くした。
「なぁ、エリカ。」
「なによ。」
「お前のやり方を否定する気はねぇけど、あんまり人の善意に甘えんなよ。」
「は?」
「お前が常に金欠だから俺は奢ってるだけだ。普段から世話にはなってるし、助かってることもあるしな。」
「なにが言いたいのよ。」
「別に秘密話が知りたくて、お前とつるんでる訳じゃない。そんな関係なら最初からいらねぇだろ。」
まっとうな台詞だ。けれど、イオナのこととなるとあたふたしがちなゾロが、このタイミングでこんなことを言い出すとは思ってもいなかった。エリカは面食らう。
「あんま自分を安売りすんなよ。」
「安売りって…」
「根はいい奴なんだから、俺らの前でくらいいい奴らしくしてろよ。」
エリカの表情があからさまに決まりの悪いそれになる。いつもなら優位に進められる話の流れで、言い含められるとは思ってもいなかったのだろう。
ゾロは逆に、冷静でいられる自身の精神状態に快さを感じていた。イオナのことになるとグラグラしてしまう事に対する情けなさを、常に感じていたのだから尚更だろう。
なんとなく上手くやれる気がする。
不思議とそんな自信が持てた。
「なによ、気持ち悪い。」
悪態つくその声色に、まんざらでもない感が滲む。というより、少しだけ照れている風でもあった。僅かに頬を染める友人を盗み見したゾロは、感情の振れ幅が大きなところはイオナとよく似ているな、と考える。もしかすると、エリカがイオナを助けようとするのは似た部分を無意識に感じ取っているからなのかもしれない。
彼女はゾロの買い与えたドリンクに無言でストローを差すと、ぎこちない動作でそれ口元に運んだ。そして小さく一息ついた後に、ポツリポツリと話始めた。
「今日、イオナの昔の知り合いに会ったの。」と。
それまでは普通の会話をしていたのに、優男と会った途端にイオナの様子がおかしくなってしまった。顔色が悪くなり、後悔のようなことを口にした。不安げで、それでいて悲しげだったと。
トラウマというほど大袈裟なものではないとはいえ、過去になにかあったであろうことはうっすらと感じていた。それを知っている優男、その『誰か』が偶然同じ町にいたことにゾロは驚いた。
「そいつって…」
「昔の男ではないみたいよ。だから、イオナがアレとくっつく心配はない。」
「アレって…。エリカ、お前な。」
「優男なのよ。ほんと、すごく親しげだった。それなのになんか違和感があるっていうか… 。んー。悪い奴ではなかったんだけど。」
その人物とイオナの間に漂う雰囲気に、なにか引っ掛かるところがある。漠然とした違和感に対する気持ち悪さは、エリカの中で自然と膨らみ続け、今では相手に対する不快感に繋がってしまっているようだ。
「どちらにしても、アレの存在はイオナにいい影響はないわよ。」
あまりに大袈裟な主張にゾロは苦笑いを浮かべる。
そんな緊張感のないゾロの態度に 「地元に居たくないからこっちに出てきたのに、その原因の一人に会うなんて可哀想だと思わないの?」と彼女は更にぷんすかするが、ゾロからすればそれは"運が悪かった"としか言い様のないことだ。
イオナのことが心配であることに変わりはないが、それと相手の存在についてはまた別問題。
「なによ。あんたならアレのとこに特攻仕掛けてくれると思ってたんだけど…」
膨れっ面をするエリカを、ゾロは曖昧な言葉で嗜める。
きっとこの出来事がもう一日早くに起きていれば、
表立ってはなにもしないだろうが、胸中では酷く取り乱していただろう。下手すれば、彼女のいう通り、特攻していたかもしれない。
久しぶりに会ったビビと昔のように会話できたこと。 それは確実に自信に繋がっていた。
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バイト終わり。
イオナは少しだけ疲れた顔をしていた。どうにも、もう一人のフロントスタッフがクレーマーに捕まったらしく、そのフォローに回ったていたらしい。
本来ならばそういった客は店長や契約社員が対応すべきなのだが、この店にはそんな頼れる大人はいない。大人であるべき人たちが、一番幼稚で逃げ腰なのだ。
「プリン、ありがとう。」
その声色からも疲労感が伺える。もともとの精神的な疲れもあるのだろうが、それを踏まえてもクレーマーとの攻防はよほど大変だったのだろう。
「あれ、旨かったか?」
「うん。すっごく。」
「ならよかった。」
イオナが柔和な笑みを浮かべる。無性に抱き締めたくなった。なんだか今日はそんな気分である自分に驚くと同時に、そんな自分のあからさまな心境の変化に戸惑いを覚える。
「帰るか。」
「うん。」
イオナの部屋に入れば二人きりだ。傷つけたくないという想いは変わっていないのに、それ以上に"触れたい"衝動が強くなる。
どうやら自分は、いつかエリカの話していた『性的嫌悪障害』とかいうやつではないらしい。
一度指摘されたせいで、それがずっと気がかりだった。性的嫌悪障害を患った女性は男そのものがダメになりがちだ。それに対して男は『大切な人』とのみそれが出来なくなるパターンが多いらしい。
調べれば調べるほど、不安は煽られ続けたが、それが杞憂に終わってしまうであろうこの先がみえ、心がずっと軽くなる。
自分が不安定なときに誰かの力になるなんては無理な話で、大事なときに慎重になってしまうのは、自信が持てないせいだった。
ゾロは半歩後ろを歩くイオナを伺い見る。隣を歩けばいいのに、彼女はいつもその位置だ。
「大丈夫か?」
「うん。ちょっと疲れただけ。」
「ならいいけど。」
イオナは曖昧に微笑む。バイト前のあれこれをエリカから聞いていたために、ゾロもあまり掘り下げて聞くようなことはしない。
それにしても顔色が悪過ぎないか?
店を出る前より更に、つらそうな表情。精神的なもの云々ではなく、体調が悪そうにもみえる。
「歩くの辛いなら、タクシー使うか?」
イオナは一瞬躊躇う仕草をみせたが、そのすぐ後に小さく頷いた。
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