一途な君のこと | ナノ

待ってろ

タイミングを逃した。

あの日は正しくそれだろう。ついでを言えば、あの日以降、何度となくチャンスはあった。その都度、臆病が顔を出し感情の勢いを止めてしまう。

11月も半ば、ゾロはイオナの部屋にいた。彼女はベッドで深い寝息を立てている。最初の頃は緊張でガチガチだったイオナも、添い寝に馴れたのか背中からギュッとしてやると十分も経たずに眠りに落ちる。

その様子はまるで無防備に思えるが、そのくらいの緊張感の無さが互いに心地いいのも確かだ。

小さなすれ違いを発端に距離はずいぶんと近づいた。けれど、だからといって一線を越えた訳じゃない。

ただ、正面から抱き合っただけ。
本音を少しだけ吐き出しただけ。

口にこそ出さなかったが"お互いに胸に秘めているつもりでいる好意"のその一片を匂わせただけ。

結果だけ言えば、それ以上に踏み込むことができない。その領域を警戒してしまっている。どちらかが、ではなくお互いに、だ。

ゾロはトイレの個室に篭り、深く溜め息をついた。喫煙者はこんな時に煙草を吸いたくなるのだろうか。悶々とする胸中を上手く吐き出す先が見つからない。ランニングでもしてこようかと考えるが、寝ぼけたイオナが不安がるのではと思うと安易に部屋を出ることが出来ない。

「深い関係になりたくないのか。」と聞かれれば、「なりたい」と答えるだろう。なりたくならないのであれば、今現在トイレに篭っていたりはしない。

せめてイオナから求めてくれれば、理性の箍(たが)などアッサリと外れ、これまでの躊躇いなど忘れてしまうほどに深くハマれるだろう。

自分がここまで臆病だとは思ってもいなかった。そういった意味で自嘲気味に口角を持ち上げたゾロは、スマホを操作しアドレス帳を開く。

友人も、バイト仲間も、家族も、ここでだけは平等に五十音順に並べられる。ゾロはとある人物の名前にを見つけ出すと、小さく息を呑んだ。

ずっと連絡してなかった、忘れてしまおうとすらした相手。自分を本当の意味で縛り続けていたその人の番号を選択する。そして、スマホを耳に当てた。
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過去

薄暗い部屋の中で、オレンジやピンクの照明がヒラリヒラリと煌めいている。肌に馴染むようなシーツを握りしめるゾロの両腕の間で、胸元を隠すようにして涙で濡れた顔をしかめる顔馴染み。

ずっと好きだった相手。
それでいて手の届くことのなかった相手。

身近であり孤高の存在であったその人が、無防備にも自分の真下にいる。身体を沈めれば肌を密着させることの出来る状態で、ここにいる。

彼女とその恋人との間ですれ違いが起こっていたことは知っていた。長く付き合っていても、それだけはどうしようもないことだったのだろう。

それでも、彼女は喧嘩の中に幸せを見出だしていたし、その恋人のことを常に想っていた。相手も多忙の中、彼女のワガママを聞き入れる努力を怠らず熱心に向き合っていた。

誰もが羨むほどお似合いのカップルだった。

でも二人は別れた。
たった一本の電話で、「じゃあね」の一言で関係を終わらせたのだ。

そこにゾロは漬け入った。罪悪感と高揚感が混雑した中で、ただ口先だけの慰みをかけ、彼女をホテルに連れ込んだ。

けれど結果はこれだ。

「信用されると思ってる?」

「なんだよ、いきなり。」

「散々いろんな女の子弄んどいて、今さら真面目な顔したって、そんなの信じられる訳ないじゃない。」

「それは…」

「最低だよ、ゾロくん。」

普段は気丈な彼女が、別れたことを口にした時すら泣かなかった彼女が、ここに来て初めて涙を流した。

強引に押しきった訳じゃない。確かに乗り気では無かったが、誘ったとき確かに頷いた。

それでも拒絶された。

たくさんのものを手に入れてきた自分が、初めて拒絶された。理由も分からぬまま、好きな女に「最低だ」と罵られ泣かれた。

これまでみてきた世界が幻だったのかもしれない。

そう思えてくるほど苦痛で、孤独を感じさせられる出来事だった。
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現在。

ジーッ、ジーッ、ジーッ

ベッドで眠るイオナの頭上で、充電器に繋がれたスマホが震える。彼女は震動に合わせて小さく身動ぎしたものの、それ以上の反応をみせない。

トイレから戻ったゾロは、薄暗い部屋の中で唯一光るその画面に視線を向け、顔をしかめた。

─いつの間にアドレスなんて交換しやがった。

同じ店で同じ時間帯に働いているのだから、連絡先くらい交換するだろう。常識的に考えて、それは普通なことだ。ただ…

普段ならそう気にならないことでも、敏感に反応してしまうこともある。

ゾロは思わずイオナのスマホを手に取る。使いなれない機種のそれは扱いにくかったが、難しい操作をする訳じゃない。

この時ばかりは罪悪感よりも独占欲が勝ってしまった。

その間も耳の奥で繰り返される、電話口から聞こえた懐かしい優しい声。あの頃に感じていた情などとうに忘れてしまったが、それでもその声色が心地いい事実は変わらない。

例えそれが理不尽な懺悔だったとしても─
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