一途な君のこと | ナノ

イメチェン

火曜日の昼前。

イオナは鏡に映った自分を見つめていた。

そこにあるすっぴんの顔は、まだ十代であることを踏まえても、少々幼くみえる。それが元の顔立ちのせいだということは、誰に指摘されるでもなくイオナ自身がよく理解していた。

まだあの頃の面影は消えていない。

だからこそ、ずっと化粧や服装を変えることで誤魔化していたのだけど…

過去に向き合えと言われているわけではない。忘れたはずの古傷を抉ろうとされているわけでもない。

それでも、不安が沸き上がるのだからどうしようもなかった。

勧められるがままに持ち帰らされた雑誌。

ちょっと似合うとおだてられただけで、それに乗せられてしまう自分は"あの頃のまま"のただの馬鹿だ。それがわかっているのに、いつものように「めんどくさい」という便利な言葉で全てを片付けられないのは、きっと影響を受けているから。

ゾロに好かれたいと思っているから。

実際にはどんな系統の服装が好きかとか、どのような娘がタイプであるとか、そういったことを聞き出した訳ではないのだからそこまで深く考える必要はないのだろう。

それでもイオナは自信がなかった。
自分の判断が正しいのか。それとも間違っているのか。ひっそりと悩む。

もう振り返ることも、思い起こすこともないと考えていた過去を、無意識のうちに思い出しながら。
……………………………………………………………

「ありがとうございましたぁ。またいらしてくださいね。」

若い女性店員の声に、イオナは小さく頷くだけ。店の玄関まで紙袋を運んでくれた店員は、あれやこれやとコーディネートをしたがるお洒落な人だった。

彼女は無愛想なイオナに根気強く笑いかけ、一方的に「あれが流行りだ。」「これが可愛い。」と服を勧めたかと思うと、その際のわずかな表情の機微を感じ取り、全体像を決めていった。

ノーと言えないイオナにとってそれは有り難いことで、おかげで、初めてのブランドショップを相手に、嫌な思いをすることなく、迷う必要もなく店を後にすることができた。

店員の「絶対にモテモテですよ。」という言葉に、イオナは少しだけ表情を緩める。一瞬、ゾロのことを頭に浮かべてしまった自分が恥ずかしかった。

「ありがとうございました。」

小さくお礼を言い、受け取ったばかりの紙袋を下げて歩き始めたイオナの髪はすでにダークブラウンに染められている。そのスタイルもウェーブのかかった長髪ではなく、ナチュラルボブ。

彼女が最初に出向いたのは美容室だった。

いつもの店に行くのはなんとなく躊躇われ、初めての店に行ってみたのだが、初対面の美容師に希望を伝えることにすごく緊張。結局は雑誌を指差して、「こんな感じで」と呟いた。

けれど押しの強いスタイリストに勧められるがままに、希望よりやけにフェミニンな「愛されボブ」というスタイルに。

美容師の言った「せっかくイメチェンするならおもいっきり変えちゃいましょうよ。」という台詞は、その無責任な響きとは裏腹に、魅力と説得力のあるものだった。

イオナは空いている方の手で、毛先のフワフワした濃い茶色の髪に触れる。カットしたての髪特有の硬い毛先が、指先からこぼれ落ちた。

長かった髪は肩に届かず、馴染みのないシャンプーの匂いが鼻孔をくすぐる。生まれ変わったとまでは言わないが、一歩前に前身できたような気がして気分がいい。

だからといって、戸惑いがないわけでもなく。

「絶対笑われるな…。」

爆笑するエリカの破顔が目に浮かぶ。
前髪をちょっと切りすぎただけのスタッフに、へんてこなアダ名を付けるような女だ。ここまでガラリと雰囲気を変えてしまえば、最低でも1ヶ月はネタにされてしまうだろう。

普通に考えればそれだけで気が重くなりそうな話だが、イオナが意識していたのはゾロの反応だった。

彼が一瞬でも可愛いと思ってくれるのなら、すれ違い際に呼び止めてくれるのなら、その他諸々の苦労など別にかまわない。

興味を持ってくれるのなら、それだけで十分に嬉しい。

失恋したばかりのゾロに付け入ろうとは考えていないし、媚を売りたい訳じゃない。望むのならば、これまで通りの関係で居続けたい。

一大決心してまでも起こした行動に対して、やけに謙虚すぎることを思いながらも、イオナは彼のことばかり考える。

次のバイトであった時、ゾロはいったいどんな顔をするのだろうか。期待と、気恥ずかしさと、ほんのちょっとの不安とが胸中でせめぎあっていた。

そんな感情の抗争をよそに、彼女の足取りは無意識のうちに軽くなり、口元はふにゃふにゃと緩んでしまう。顔の筋肉を引き締めるのに必死だったイオナは、正面から歩み寄ってくる顔見知りに気がつかなかった。

「こんにちは。今、さぁ…って、あれ?」

やけに軽い調子の声かけに、イオナの表情が固くなる。道を塞がれ、足を止めた彼女は、まるで感情のない目で対峙した男の顔をみあげた。

「イオナちゃんじゃん。すんごいイメチェンだね!全く気がつかなかった。」

巻くしたてるように喋る男は、イオナがエリカと出逢い、男を紹介してもらってもいたbarの店員だ。

ずいぶんと会っていなかったせいか、はたまた最初から彼に興味がなかったせいか、突然出てこられても反応に困る。交わす言葉も見当たらない。

馴れ馴れしげに肩に触れようとした男の手を、イオナは一歩後ずさるようにして避ける。それでも彼は特に気にする素振りもなく、言葉を続けた。

「髪型とメイクで女の子って変わるもんだね。すんごくかわいいよ。最近店にこないから心配してたんだけど、こんな可愛くなってるなんて…」

営業文句にしか聞こえない。すらすらと並べ立てられる賛辞の言葉に、イオナはやはり反応に困り、小さく眉を寄せるだけ。

「またお店に来てよ。いいヤツに声かけとくからさ。じゃあ、またね。」

社交的すぎる男のマシンガントークに、口を挟む隙も与えられなかった。挨拶の言葉すら返していない彼女は、少し前までは慣れっこだったはずの心のない褒め言葉に暫し唖然としていた。

……………………………………………

買ったばかりの服を身に付けたイオナは、気恥ずかしさを誤魔化すように早足でバイト先へと向かう。

中でもよりカジュアルなものを選んだつもりだったのに、髪型のせいかすごく女の子らしくみえる。これまでの服装とのギャップのせいか違和感が酷く、照れと不安でごちゃまぜだ。

なんとか誰とも出会うことなく休憩室に着いた彼女は、そのドアを押し開いたところで一度足を止める。パテーションの向こうに人影が見えたからだ。物音を立てぬようそっと覗き込むと、そこにいたのは運悪くエリカだった。

パイプ椅子に深く腰掛け、相変わらずの気だるそうな態度でスマホをいじっている。顔は見えないので機嫌がいいのか、悪いのかはわからなかった。

からかわれるとわかった上でイメチェンしたというのに、いざ彼女を前にすると尻込みしてしまう。

なにも言わずにロッカーの方へ逃げ込むという手段もあるにはあるが、どちらにせよバイトが始まればバレてしまうだろう。

なにより、ここで隠せば"後ろめたいこと"があると思われてしまう。勘ぐられ、カマをかけられで、いろいろ喋らされることになってしまう可能性を考えると、ちゃんと向き合った方がいい。

わずか0.5秒程度のうちにそこまで考えたイオナは、いつもと変わらない調子で「おはよう。」とエリカの背中に声をかけた。

「んあ、あぁ、おは─」

寝ぼけたような声をあげ、彼女は振り返る。そして、一瞬のフリーズのあと、何度か瞬きを繰り返し、盛大に吹き出した。

「ぷっ、きゃはは、どーしたの、それっ!」

「別に。」

「ぷぷ。いきなり、そんなの、ウケるって…。」

ウケるってなんだよ。ウケるって…。

悪気はないのだろうが、悪戯心はあるだろう。ケラケラと笑い続けるエリカをスルーし、ロッカーの方へと向かうイオナ。

そんな彼女の背中に向かって、エリカは言う。

「似合ってる、似合ってる。大丈夫だって。」

「さっきまで笑ってたくせに。」

「そりゃ笑うわよ。突然そんな風になったら。」

「そんな風って…」

ムッとした顔をするイオナに対して、「だって、」「でも、」とエリカは笑い続ける。

「もういいから。」

「嘘っだぁ。ほんとは気になってるくせにぃ。」

「別に。エリカからの評価とか─」

「おはようっ。」

空気の読めないタイミングで響き渡る、男にしては高めの声。イオナとエリカが同時に出入り口の方に顔を向けると、その声の主はフリーズしていた。

「やいやいじゃん、おはよ。」

「おはよ。」

「あ、あ…。おう!」

気だるそうに挨拶したエリカに続いて、イオナが声をかけると、やいやいくんの頬はみるみる赤く染まった。彼はそのまましばらく口をパクパクさせていたのだが、突然我に返ったように、パッと顔を伏せると慌ただしくロッカーの向こうへと消えた。

「あぁーあ。余計なのまで落としちゃって…」

「なにが?」

「あんたがよ。」

ニヤニヤするエリカと、そんな彼女を呆れたように見つめるイオナ。どんなに見てくれが変わったところで、性格は変わらない。

「言ってることがわかんないんだけど。」

「嘘付け。ほんとはわかってんでしょ?」

「だからなんのことよ。」

「別にぃ…」

考え方や想いや気持ちは簡単に変わるものじゃない。だからこそ、見つけられるものがある。

歯切れの悪い「友人」を尻目に、イオナはロッカーへと向かう。その向こうにやいやいくんがいることなどすっかり失念していた。

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