ふたりきり
秋の深夜は普通に寒い。裏口から店を出ると、街灯の下でポケットに手を突っ込んで待つゾロの姿が見えた。
その立ち姿をみただけで胸がキュッと絞られる。
彼がフリーであるという事実が、感情の制御の邪魔をして仕方ない。
一度深呼吸したイオナは、意を決してゾロに駆け寄った。
「おまたせ。遅くなってごめん。」
「おう。そんな薄着で大丈夫か?」
「寒いけど平気。」
「もっとちゃんとしたもん着てこいよ。」
ゾロの視線が丈の短いスカートに向けられる。思わず後ずさってしまい、彼は不思議そうに「どうした?」と首を傾げた。
「うぅん。なんでもない!それよりどこ行く?」
「この時間だしな。」
すでに時刻は午前4時。
居酒屋などはとっくに閉まっている時間だ。
足蹴なく通ってたバーならやっているだろうが、男を紹介してもらっていた店にゾロを連れていく訳にはいかない。
「とりあえず歩くか。」
「うん。」
いったいどこに向かうつもりなのだろう。彼が極度の方向音痴だと知っているだけに、少々不安になる。それでもちょうどいい店を知らないイオナは足を進めるゾロについて歩くことしかできなかった。
「あっちで仲良くやってると思ってた。」
「それ他のスタッフにも言われたわ。」
「突っ走ってたもんね。」
「あん時はわけわかんねぇくらいアイツに固執してたからな。」
まるでずいぶんと過去のことのように言うけれど、あれから2週間ちょっとしか経っていない。この2週間でゾロの心にどんな変化があったのだろうか。
チラリとその表情を伺い見ると、彼は失恋直後とは思えない、スッキリとした顔をしていた。
「俺なりにやれることはやったし、別に未練が残るような相手でもねぇしな…」
本気なのか、強がりなのか。
ゾロはそう言って口角を持ち上げた。
不覚にもその横顔にドキリとしてしまう。二人きりであるというだけで、すでに心拍数は高まっていたのに、さらに大きく胸が跳ねてしまった。
こんなときに浮かれるなんて最低だ。
頭ではわかっているのに、心は騒ぎ続けてしまう。イオナは慌てて彼から視線を背けた。
「まぁ、最初から上手くなんて行くわけねぇんだよ。遠距離なんて。」
「愛があっても?」
「こんな時にからかうなよ。」
ゾロは呆れたみたいに笑った後、続ける。
「恋愛なんてこっちがどうおもってるかじゃなくて、あっちがどう捉えるかだろ。その点で、俺らはずっと終わってたんだって。」
「やけに淡白なんだね。」
「別れ話が濃厚だったらむつこいだろ。」
「まぁ、確かに…」
あっちへ行く前のゾロとは別人に思える。
もっと穏やかで温かなイメージだったのに、今の彼は少しだけ冷たい印象だ。
自分がゾロに夢をみていただけかもしれない。そう思ったイオナだったが、こんな短な会話で、彼の心の葛藤や、溜め込んできたジレンマが伝わってくるはずがなかった。
「県外でたらそんな気まぐれには会えなくなるぞっつってたのに、押し切ってあっちで就職して。応援してやってたのに、1ヶ月もしたら「逢いにきて」って泣きながら連絡してきて。かと思えば、急に音沙汰なし。それから2ヶ月して思い出したかのように「逢いたい」って電話。2ヶ月なにやってたんだよって思うだろ?」
「まぁ、そうだね。」
「アイツのいる地域に希望の職種がねぇし、あと二年院に行って時間稼ごうと思ってたんだけど、それを話したら泣いてゴネて話になんなくってな。大学出てフリーターはさすがに親も泣くだろ。こっちでならいくらでも就職はあんのに…」
彼が今、口にしているのは紛れもなく愚痴なのだろう。それでも嫌に思わないのは、その話口からまだ彼女を思いやる気持ちが見え隠れしていたから。
「わかんなかったんだよ、アイツがなにをしてぇのか。付き合ってる間、ずっと考えてたけど、3年向き合った今でもさっぱりわかんねぇ。」
「わかりたかったんだ。彼女のこと。」
「そりゃそうだろ。付き合ってたんだし…」
急に胸が苦しくなった。きっとどこかで期待していたのだろう。恋人を置いてこっちに帰ってきて、着信を入れてくれた彼に。今日こうして時間を作ってくれたことに。
それでも現実はそこまで上手く進まない。
聞き手のイオナからすれば、彼の心は彼女に囚われたままのように思えた。
「なんかノロケ話を聞かされたみたい。」
心で呟いたはずの言葉が口から溢れる。ゾロは驚いたように足を止め、イオナの表情を伺い見る。それでも言いかけてしまったことだ。言葉を押さえられなかった。
「別れたくなくて泣くとか、逢いたくて泣くとか、そんな風な感情をぶつけられる人と付き合ったことないんだよね。」
「は?」
「感情を出せるのはゾロに心を許してるからでしょ?彼女のこと理解してあげたいと思うなら、離しちゃダメだよ。そんな素直な娘と別れるなんてもったいないよ。」
自分の感情とは矛盾した答えだ。本当は誰のものにもなってほしくない相手に復縁を勧めるだなんて、頭がどうかしている。
真っ直ぐにゾロを見据えると、彼は話を最後まで聞けよと笑った後、グッと伸びをしながら、ごく自然なことを話すかのような口調で衝撃的なことを口にした。
「あっちにも男が居んだよ、アイツ。」
「へ?」
「二股っつーの?こっちに居たときも、そんなことが何度かあったし、ダチの彼氏に手ぇだしたとかでハブられてたりとか…。」
「待って。じゃあなんで逢いたいって泣くの?」
「それがわかりゃ苦労しねぇよ。」
心底呆れた。そんな状態でありながら、彼女を繋ぎ止めようとしていたゾロにも、大切にしてくれる人を裏切り続ける彼女にも。
呆れと同時に沸き上がるのはもちろん苛立ちだ。
「ダメだ。無性にイラついてきた…」
「なんだよ、急に。」
「急じゃない。これは必然の流れだ。」
「おい、イオナ。口調まで変わってんぞ。」
いつものように可笑しなものをみるかのような目を向けられるが、今日ばかりはほだされていられない。
「なんで先に二股のこと言わないかな。私、彼女のことかばっちゃったじゃん!」
「俺だって、まさかイオナが感情移入して、アイツの肩を持つとは思ってなかったわ。いつもみたいに客観的に話を聞き入れるもんかと…。それと、今はもう元カノな。」
「元カノだろうが、今カノだろうが、どうでもいいよ。問題なのは二股してたってこと。二股許してたってこと。あり得ない。納得いかない。」
「つまり、俺にも怒ってんだな。」
「当たり前じゃん!」
夜の町にイオナの怒声がキーンと響く。ゾロが今のはまずいだろ、と言いたげな表情を浮かべるが今のイオナには関係ない。
「飲もう。」
「今度はどーしたんだよ。」
「うち、この近くなの。飲もう、うちで。」
「ちょっと待てよ。」
「コンビニ寄っていっぱいビール買おう!」
「おい、待てって…」
呼び止めるゾロを抜かして、イオナはズンズンと歩く。困ったような素振りをみせながらも、ゾロは素直についてきてくれていた。
どんなに想ってもその気持ちが伝わらない相手がいる。それを知ったとき、ゾロはどんな気持ちだったんだろう。
たくさん傷ついたくせに、本当の理由を、彼女が悪く聞こえる最低の理由を隠していた人。
きっと彼は伝わらなかったこと自体、自分のせいだと思っているのだろう。だから彼女の悪を何一つ口にしないで…
そこまで考えたところで、イオナは強く拳を握る。傷つけた相手の名誉を守ろうとするゾロに、よりいっそう腹が立った。
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