自覚する
あまり働くモチベーションでない時に限って忙しくなる。それだけならまだしも、エリカが後輩スタッフを怒鳴り付けるというおまけ付きだ。
おかげさまでメソメソしている暇はなくなり、気がつけば気持ちもずいぶん持ち直していたが、どちらにせよ疲労感ははんぱなかった。
女子高生時代にオープニングスタッフとして入店したエリカにとって、このバイト先は後輩だらけ。時間帯でだけで言えば、最年少でありながら一番の古株だった。
そのせいかよく他のスタッフと意見が衝突する。もしくは至らない部分を指摘し、長々と説教をする。
それでスタッフがやめてしまったことなどは未だない(らしい)が、ピーク中のバタバタ中にごたつかれるのは本当に迷惑だった。
ちなみにイオナがバイトを始めたのは夏になる直前。大学入学後から通いつめていたショットバーのスタッフに引き合わされた、エリカに誘われたのがきっかけ。
その当時はバイトをしていなかったし、とにかく時間をもて余していたため、暇潰しのつもりだった。そのため他のスタッフと馴れ合うような真似はあえてしなかったし、シフトも控え目にしていた。
が、今では真面目に週6勤務である。
たったの2週間でこんなことになるとは。
イオナは未だ怒りの静まっていないエリカをなだめすかす。叱られていた後輩スタッフは彼女より年上のくせにシュンとしているのだからいたたまれない。
日和見思考というより、すべてにおいて我関せずで生きてきた自分がこうして誰かの仲裁をしているのとに心中では戸惑ってしまう。
飲み歩いていた日々も、男で遊んでいた日々も、ずいぶんと過去のように思えたが、まだたいして時間は経過していない。
自分の心持ちが変わっていくのは、嬉しいことのようで、どこか常に不安の付きまとうものだった。
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グダグダと長いミーティングが終わり、イオナは視線でゾロを追いつつも、未だ不機嫌の解消されていないエリカを気遣う。
彼女の主張は的を射ているのだが、とにかく口が悪いので相手が重要な部分がどこなのかわからなくなる。
馴れているイオナや、古株のスタッフは余裕だったが経験の浅いスタッフは下手に言い返したり、シュンとしてしまったりでとにかく拗れやすいかった。
これまでどうやって解決してきたのだろうと眉を寄せるイオナに、やいやいくんがおいでおいでと手招きをする。
ゾロはホールのスタッフとなにやら言葉を交わしていた。そちらが気になって仕方ないが、そこまであからさまに食いつけない。
イオナは仕方なくやいやいくんに歩み寄った。「お疲れさま」と互いに挨拶を交わしたはいいが、その後、彼は言いにくそうに視線を泳がせるばかり。
ゾロが帰ってしまうかもと気持ちが焦る。
「どうかした?」
「いや、えぇっと…」
めんどくさい男だ。
たどたどしい態度に対して、思わず眉を寄せてしまう。ゾロのことで頭がいっぱいで、彼に気を配る余裕はない。
不機嫌そうな顔をしたからか、やいやいくんは不安げな表情を見せる。まるでどうして怒っているの?とでも聞きたげな顔に、珍しくカチンときそうだった。
そんな温度差のある空気の中で、彼は突然、意を決したような顔をして言い放つ。
「これから空いてる?」と。
反射的に首を横に振っていた。
そこで彼は食い下がり「明日の昼間とかは?」と続ける。
すぐさま「無理」と言いかけたが、過去の経験から気がついた。きっとこのやり取りは無限に続くだろう、と。
とにかく濁して一時撤退だ。
バイト仲間ということもあり、心証を悪くしないような対応したかったため「わからない。」と返事を濁す。
続けて「またメールするから」と言いかけたところで、ゾロが大きな声で言う。
「おい、イオナ。外で待ってるわ。」と。
あえて周囲に聞こえるように言ったよね、今。
もともと約束してあったとはいえ、こんな誘われ方をするとは… 。ポカンとするイオナの目に、表情を暗くするやいやいくんは無論映らない。
なにより、「これからなにやんのよ。」とニヤニヤするエリカの声は何故かノリノリだった。
言うことだけ言って部屋を出たゾロを追うように、やいやいくんもまた部屋を後にする。「チャンス到来じゃないの。」と冷やかすエリカは本当に悪戯っ子の顔。
「彼女と別れたんだって。だから、その話を聞くだけ。そんなんじゃない。」
「ふーん。つまり、パントリーで 泣いてたのは嬉し泣きか。」
「違うから。」
「どーなんだか。」
「怒るよ?」
「冗談よ。本気にすることないでしょ?アンタがそんな浅ましい女じゃないことは私がよく知ってるっての。」
ヘラヘラと笑っているが本心はどうなのか。「とっとと帰る支度しないと」と髪をほどくエリカの背中をみつめるが、自然と溜め息が漏れた。
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ロッカースペースにはすでに誰もいなかった。
イオナとエリカは小さな更衣室に入ることなく、そのまま着替え始める。会話は特にない。
というよりエリカがド派手な下着姿のまま誰かと電話を始めたため、話す時間などほとんどなかった。
イオナはロッカーの扉に取り付けられた小さな鏡に映った自分と向い合う。
明るめの胸元まである髪。軽くウェーブがかったそれは、大人びた印象にしたくて選んだものだった。
特に目立つ髪型でもないし、ありきたりのものなのに、過去に囚われているせいか「遊んでいた」印象から抜け出せない。
『軽そうに見える。』
その事実が今は酷く胸に刺さる。
過去のことは変えられない。
当時から自分自身がずっと嫌いだった。
でもそれを選んだのも自分だ。
ばっちりメイクをして、露出の高い服を着て、ドライな関係を築けそうな男に脚を開いて、その時限りの不安を埋めて。
最初は違ったにせよ、自分の意思で汚した身体だ。
その背景をすっきり忘れて…だなんてできない。
これからゾロと会ってどうするつもりなんだろう。
自分は彼に何を求めているんだろう。
どんな話を聞き出したいんだろう。
ドキドキするのは期待からだけじゃない。どちらかと言えば不安の方が大きい。
ゾロの恋愛に憧れていたからこそ、別れてきた事がショックだった。苦しかった。
そんな人とこれから会って、自分はなにをするつもりなんだろう。慰めるという口実を使って、どんなことをするつもりなんだろう。
別に彼が欲しい訳じゃない。
ただ見ているだけでよかった。
恋人を大切にしている彼を応援しているだけで…
違う。そんなのは嘘っぱちだ。
本当は行ってほしくなかった。別れて来てきたことに少しだけホッとしている。自分に悩みを打ち明けてくれることが嬉しい。
自分の思っていることが、感じていることが、あざとくて酷いことだとわかっていても止めらない。
期待してはいけない。幸せを望んではいけないと理解しているのに、また欲しがってしまう。
引き返そうとしてももう遅い。
「ダメだ、好きになってる…」
二度とするもんかと決めていたはずなのに、知らないうちに恋をしてしまった。
そう自覚した時、自然と指先が震えた。
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