連休三日目
酔いのせいか、それとも寝不足だったからか。なんとか眠れたのは日曜の朝方だった。イオナは二日酔いで鈍く痛む頭を抱えたまま出勤。
休憩室にいたのは昨日、他店ヘルプに出向いていた契約社員様と、二日酔いで顔色の優れないスタッフたち。
目立たぬよう、こっそりとロッカーへ向かおうとするイオナだったが、怒り狂う契約社員に「なんで二人も急に!?」と詰め寄られる他スタッフを目の当たりにするとどうするべきかわからなくなった。
どうにも、昨夜(正確には朝方まで続いた)の祝勝会のせいで、二人のスタッフが体調不良を訴え、休暇を希望したらしい。
スタッフたちは各々スマホを取り出し、連絡のつくバイト仲間に事情を説明し始める。一人ならともかく、二人抜けるのは大打撃だ。
イオナはそこでやっと、スマホの電源を落としたままだったことを思い出す。
ポケットからスマホを取り出し、電源を入れようとしたところでドアの方から「俺が入ってやるよ。」と聞き慣れた声がした。
脳内でなんで?がコダマする。
込み上げてくる感情は様々で、言葉にできるほど簡単なものではなかった。勝手に目頭が熱くなる。泣いてはダメだと思うほど、さらに熱は強くなる。
「なんで、お前が居んだよ。」
そう言ったのはやいやいくんだった。驚きとは違う、どこか焦ったような口調だ。対するゾロは落ち着いている。
「コイツが電話出ねぇから。」
真後ろから声が聞こえて初めて、彼が歩み寄ってきていたのだとイオナは気がついた。不自然にならないよう、彼女は振り返る。
「今日の夜戻ってくるんじゃなかったの?」
「昨日戻ってたんだよ。今日からバイト入ろうと思って電話してんのに、出ねぇから…。心配したろ。」
優しい口調で言わないでほしい。
彼女に触れてきたくせに。
彼女を抱いたくせに。
彼女と…
思うところはたくさんある。それでも気にして貰えていただけ嬉しかった。
「昨日も出勤してたんだから許してよ。」
終わってからでも連絡の手段はあった。そこを指摘されないように、少しだけ強い口調で言う。ついでに鋭い視線を作ってみせると、彼は「ったく。」と困ったような、呆れたような顔をした。
その表情をみた途端、気が緩む。
胸に飛び込んで逢いたかったと言えるような間柄なら、きっとそうしていただろう。
でもそんなんじゃない。泣いてしまいそうだった。泣いて、泣いて、迷惑なんて気にせず、泣いてしまいたい気分だった。
「とりあえず、人手不足なんだろ?暇だし、俺も出るわ。」
ゾロは契約社員に向かってそう言った。もちろん、それを突っぱねる人はいない。
「ほら、着替えんぞ。」
ポンッと軽く頭を叩かれ、イオナは目を丸くする。
「タイムカード、遅れてもしらねぇぞ。」と微笑むゾロはやっぱり呆れたような顔をしていた。
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ピークの一段落した頃、イオナはパントリーに溜まった食器を片付けていた。
業務用の食洗機があるとはいえ、放置されてカピカピの皿については手洗いした上で通さなくてはならない。客室から下げた際に、せめて湯につけてくれさえすればまた違うのだが。忙しい時はそれどころでないのも確か。
泡まみれになったスポンジでごしごしと皿を洗う。ゾロとは最小限言葉を交わしたものの、深いことは話せていなかった。
聞きたいような、聞きたくないような。
複雑な心境と戦うイオナに、「電話、なんで出なかったの?」と訊ねたのは、やいやいくんだった。
昨夜の酔いに任せた会話については一切触れてこない。その点では彼は大人なのかもしれない。
「ゾロがかけてきてるとは限らないでしょ。」
「へ?」
「彼女が電話してくる可能性もあるってこと。」
「あぁ、そっか。」
納得したように頷くやいやいくん。この手の修羅場予測は、経験したことのある人か、もしくは身近に経験した人がいる人じゃないと理解し難い。
彼はどっちの人間なのだろう。
続けて、やいやいくんがなにか言おうとするが、それを遮ったのは、汚れた食器を持ったゾロだった。
「ったく、なんでお前ぇはそうやって…」
「だってそういうのやる娘、どこにでもいるし。」
「大事な要件だったらどーすんだよ。」
「そういうことなら留守電に入れるでしょ。」
ゾロとまた会話できるのが嬉しかった。それでいてなんだか照れ臭くて、イオナは手についていた泡を彼に向かって投げる。
「やめろっ、おい、汚れんだろーが!」
「うるさい!うまく避けろ!」
変なテンションだった。
嬉しくてでも、どこか複雑な。
自分でもどうしていいのかわからない。どうしたいのかもわからない。頭の中も、心の中も、ごった返したままだ。
「ゾロのバカ!」
「なんだよいきなり…」
「泡食らえ!ばか。」
「だからなんで…」
二人のやりとりをどう思ったのか、ゾロより先にそこに居たやいやいくんは「ごめん、俺行くわ…」と小さく呟く。その気まずそうな声を聞くまで、存在を忘れていた。
イオナはパントリーを出る彼と背中に向かって、独り言のように謝る。ゾロもまた「やっちまったな」と言いたげな表情でその背中を見送っていた。
「ゾロのせいだからね。」
「泡飛ばしたのはおめぇだろーが。」
「違うし。予定より早く帰ってくるゾロが悪いんだし。」
まるで子供みたいな口調で言うが、自分の口にした言葉に傷ついた。
早く戻ってきたのは自分のためではない。それ以前に、彼が逢ってきたのは大好きな恋人だ。頭を下げてまで繋ぎ止めるほどに、大切にしていた彼女だ。
それでも今こうして舞い上がっていたのは、今こうしてゾロがここにいるから。恋人とではなく、自分の近くに居るから。
そんな風に自分本意にしか考えられないことを、ひどく情けなく思えた。同時に、自分自身が急に嫌な奴に思えてきた。
だから私はダメなんだ。
何に対してそう思ったのかはわからない。ただ、イオナは胸中でそう呟いて目を伏せる。
悔しいやら、悲しいやらでやっぱり泣きたくなった。
完全にネガティブに負けた彼女に向かって、ゾロは 唐突に「あぁー、それなんだけど。」と話を切り出した。
あまりに気まずそうな物言いをするものだから、思わず視線をあげてしまったイオナ。彼女の目をみて、ゾロは少しだけ困ったように笑う。
どうしたの、とは聞かない。小首をかしげてみせると、躊躇いがちに彼は言った。
「別れてきたんだわ。」と。
最初なにを言われたのかわからず、イオナはポカンとなった。そのあと、ジワジワその言葉の意味が染み込んできて、なぜ?どうして?の単語が脳内で乱舞する。
「は、はい?」
「終わらしてきたんだよ。何度も言わせるな。」
嘘だ。嘘ばっかり。あんなに楽しみにしてたくせに。あんなに想ってたくせに。愛してるって言ってたくせに。
ゾロはこちらの反応をうかがうような素振りをみせる。けれどうまいリアクションなんてできっこなかった。
喜んではいけない。そうわかっているのに、何故、こうも胸は騒ぎたてるのだろう。それでいて、目頭が熱くなるのは何故だろう。
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