一途な君のこと | ナノ

きっかけ

平日の深夜。
とあるカラオケ店の休憩室。

この店のバイト店員であるイオナは、スマホを片手にケーキを頬張っていた。

本来ならばフロントで受付や会計を請け負わなくてはならない時間なのだが、彼女は堂々とサボりに徹している。

バイトリーダークラスの人間にバレれば一発アウトだろうが、イオナはサボることに馴れているのか、特におどおどするわけでもなく平然としていた。

ケーキを口に運んでは、スマホの画面をスクロール。特におもしろいことがないようで、彼女の表情はどこか退屈そうだ。

そんな彼女をさらにうんざりさせるのは、ピカピカと光るライトとメール受信音。

[新着メール1件]

これを見るたびに溜め息が漏れる。誰が送ってきたかなんて、確認しなくてもわかった。

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[受信] 彼氏

今晩逢える?

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イオナと彼は付き合って2週間。

身体の関係のみを求める彼女にとって、心の繋がりを要求する今の彼氏はめんどくさい男でしかない。

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[送信]彼氏

バイト忙しいの。ごめんね。

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めんどくさいと思うのなら、別れてしまえばいいのだろうが、別れ話をするのがめんどくさい。次の男が出来て初めて、「あぁ、切らないと」となるのが定番だった。

なにより、この男は特に食い下がってきそうなので、適当にあしらって諦めてくれるのを待つ方が適切なのではないかとイオナは考えている。

ヤりたいときに逢えればいい。
恋愛なんてセックスするための通過点。
そんなのに夢中になるなんて…

「ばっかみたい。」

イオナはそうひとりごちると、テーブルにスマホを投げ出し、半分ほど残っていたケーキをフォークの先で弄ぶ。

今月から新たにメニューに加わったそのケーキは、秋の味覚とあってひどく人気だ。一度食べてみたいと思っていたタイミングで、たまたま厨房に取り残されていたのでこうして拐ってきた次第である。

イオナはフォークについたクリームを舐めながら、これで税抜き500円はちょっと高いだろうと考えていたところで遠くから足音が聞こえた。

ケーキを食べていたことがバレれば、また給料から差し引かれてしまう。その上サボりがバレるだなんて、めんどくさいことだらけじゃないか。

イオナは物音を立てぬよう、入口の様子をうかがう。もし誰かが入ってきても、空間を区切るパテーションがあるため姿をみられることはまずない。

机にある彼女のスマホが、再びピカピカと光り始めたタイミングで、誰かが部屋へ入ってきたのがわかった。

紅茶とケーキを両手に持ったイオナは、パテーション越しに気配を悟られぬよう移動する。

目的地はロッカースペースのさらに奥にある、小さく区切られた更衣室。

ここなら、絶対に覗かれる心配がない。

半畳ほどの空間で身を小さくしたイオナが息を潜めたと同時、ロッカースペースの更に向こう、先程まで彼女がいたであろう場所から椅子を動かす音が聞こえた。

誰…?

この時間に休憩はまずない。夜更けに出勤してくるようなバイトの人間もいない。

「あぁ、この人もサボりか」と、イオナが確信したと同時、向こう側にいる人物が話し始めた。

「もしもし、あぁ、俺だ。」と。

どうやら、フロアスタッフの男が誰かと電話をし始めたらしい。このままでは盗み聞きするはめとなってしまうが、こちらに過失はない。

向こうが勝手に、ここ(休憩室)が無人だと思い込んだのが悪いのだ。

イオナは紅茶を口に運びながら、状況が好転するのを待つことにしたのだが。

「だからよ、無理なんだって。いや、泣くな。…頼むから。あ?悪ぃ冗談やめてくれよ…。」

やけに低姿勢な男の声にイオナは驚いた。

顔の見えない相手と誠心誠意の話し合いだなんて、めんどくさくないのだろうか。

だいたい相手はバイト中なのをわかってないのか?知っててゴネているならすごくモラルに反してるだろう。

自身の所業については完全に棚上げし、まるで自分はモラリストであるようなことを考える。

それにプラスして、機嫌を取るような、あやすような物言いをするから相手が付け上がるようなことになるのではないかと男にダメ出しをする。もちろん胸の中でだが。

「頼むから。な?そーだよ。俺も。あぁ。」

(駆け引きしてんのかな…)

そんな上等技術を駆使した男女関係など経験したことのないイオナは、難しい顔をして考え込む。

電話の向こうでこの人の恋人はどんな風に声を上げているのかと。

「わかった、今度の連休な。約束する!」

(ほう…)

胸中で感嘆の声が漏れた。

約束なんてあっさり破ることが出来るのに、彼は自身の言葉に絶対の意味を込めているのがわかる。

その勢いは「命を賭けてでも会いに行く」とでも言うようだ。

聞き耳を立てるなんてよくないと分かっていながらも、終盤にはそんなことはどうでもいいと思っていた。

聞かれている方からすれば情けない姿を晒しているわけだから、「そうですか。どうぞ、お好きに」とはならないだろうが、本人に詰め寄るような真似をしなければ問題はない。

ケーキを食べながらではあるが、彼の熱心さに感銘を受けたのは間違いない。ような気がする。

「あぁー。」

脱力仕切った男の声が聞こえた。電話が終わったのだろう。

男が休憩室から出ていくのがわかり、イオナはいそいそと元居た場所に戻る。

置き忘れていた、自分のスマホは相変わらず光り続けている。

うっとおしい男の顔を思い出し、なんだか急に苛立ちが込み上げた。イライラするのだってめんどくさいのに…

「しつけぇよ。」

イオナはひとりごちるとスマホの電源を落とし、ケーキをひとすくい口に運んだ。

この時はまだ、電話をしていた彼が一体どんな人物がなのか、バイト仲間の顔を覚える意欲のない彼女は全く知らなかった。

そんなイオナの前にそれらしい人物が飛び込んできたのは、閉店後のミーティングが始まる少し前。

他のバイトに頭を下げ、しきりに連休の休みを代わってくれと頼んでいる男をみつけたのだ。

深夜帯のフロアスタッフは人手不足で、連休中の休みはなかなか取れない。それに引き換え、イオナのいるフロントはスタッフが充実しているため、比較的余裕のあるシフトが用意されていた。

働く意欲のあまりないイオナにおいては、当然のようにまるまる休みをもらっている。

どうしても人手不足の時はフロントの人間がフロアに出るように言われているのだが、彼女は全く仕事内容を知らないのでそれがなかった。

なので、彼が熱心に頼み込む姿をみたところで他人事でしかなかったのだが。

「遠距離中の彼女から別れ宣告されたらしいよ。」

隣に座っていたエリカが、ニヤケ顔で教えてくれる。

彼女は高校生の頃からここでバイトを続けており(オープニングスタッフだったらしい)、バイトの中では古株だ。誰とでも分け隔てなく接することのできる上に、情報通で仕事が早いことでの信頼もある。

もとはプライベートな友人であり、イオナがここでバイトを始めたのは彼女に誘われたからだった。

「勝手に県外に就職しといて、逢いたい、逢いたいって毎日うるさいんだって。相当ワガママなのに捕まってるわ、あの男。」

エリカの目がウキウキしている。
まるで昼ドラを観てるおばさんみたいだ。

誰彼構わず頭を下げ、頼み込む姿は本当に情けないが、君の熱心さは誰よりも評価しよう。とイオナはやや上から目線で彼に念を送る。

彼は電話の男で間違いない。

あれだけ連休にこだわるのは、彼女がそうしろとゴネたからなのだろう。彼女と約束したからなのだろう。

自分はそれほどまでに恋人を大切に思ったことがあっただろうかと考えかけたイオナだったが、そんなものは頭から吹き飛んだ。

と言うのも─。

緑髪、ピアス、血管の浮いた手の甲。
筋肉質な腕と180cmはあるであろう長身と、なにより魅力的だったのはその横顔。

ただ整っているだけじゃない。

今時流行りの草食系男子とは異なる、百獣の王のような勇ましさみたいなものがあって、顔の作りそのものがいい意味で男臭い。

すごく美味しそうじゃん…

イオナの頭の中では、すでに彼を脱がし始めている。割れた腹筋と均等の取れた胸板、鎖骨の色っぽさまで想像すればよだれが垂れてきそうだ。

彼みたいな男との行為なら、毎晩したって飽きないくらいだろう。

じゃあ何故、彼の恋人は遠距離なんて始めたのか。

まさか、セックスがよっぽど下手なのだろうか。

イオナの妄想はとんでも理論で彼を貶める。

男女の仲を性行為でしか計れない彼女らしい考えではあるが、普通の人が耳にすれば目玉ドコーとなるだろう。

「なぁ、店長。頼むから休ませてくれよ!」

バイト仲間がダメなら店長に、か。

自分にはない彼の熱心さに感銘を受けたイオナは、視線のみで声援を送る。

(がんばれ、一途男くん!見た目はずいぶんと遊んでそうなのに、ワガママ女相手に一途とか、すっごくそそるから。あわよくば一発ヤってみたい!)と。

そんな性欲に流されがちなイオナとは異なり、店長は彼の気持ちなどなんら汲み取る意思はないらしい。

「代われるヤツがいないなら無理だ。」

「でもこの日店長休みだろ!代わってくれよ。」

「この日は、家族と…旅行だ。」

食い下がる彼に悪いと思ったのか、店長は若干躊躇いがちにそう答えた。

途端にイオナの中で笑いが込み上げる。

別に落胆した彼の表情が愛くるしかったからと言うわけではない。もちろん、過去のおかしかった出来事を思い出したのでもない。

ただ…

「ぶ、きゃははははは。」

先日まで女子高生と不倫していたおっさんの口から、家族旅行だなんて高貴な単語が出たことが可笑しかったのだ。

込み上げる笑いが収まらない。笑うのをやめないとと思うのに、肩が震えて仕方ない。

「なにがおかしいんだ?」

店長は自身が笑いを誘ってしまったことに気がついているらしい。後ろめたいことがあるのか声を荒げる。イオナは「いえ…」と顔を反らすが、それで相手の気がおさまる訳がない。

「言いたいことがあるなら言え!」

いい大人が小娘相手にドンッとテーブルを叩く。それがまた可笑しくて、収まりかけていた笑いの衝動が更に上乗せされる。

それでもイオナ若干噎せながら、言葉を絞り出す。

「想像、ゴボッ、以上に、家庭、思ひ、だったんで…。」

「─どういう意味だ?」

顔を真っ赤にして眉を寄せる店長。もしかしたら、連休の旅行は家族とではなく不倫ちゃんと行くものなのだろうか。

イオナが疑い始めたその時、握りしめていたスマホが小さく震えた。

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line画面

(エリカ)バカ、笑いすぎ!

   ウケない方が変(イオナ)

(エリカ)言うな!

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店長そっちのけでスマホをいじる。まだ鼻息荒めの店長だったが、それ以上に電話男はしつこかった。

「休めねぇと困るんだって、まじで。」

バイトを休んで来い!無理してでも逢いに来い!なんて言うような非常識な女のために、ここまで頑張れるのは何故だろう。

彼の恋人はそんなに魅力的なのだろうか。
ほんのちょっとだけ好奇心。

このまま彼がこうしている以上、ミーティングは終わらない。そうなれば、全員帰るのが遅くなる。いい加減うんざりし始めた空気の中、イオナが半笑いのまま腰をあげた。

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