一途な君のこと | ナノ

クリスマス

ゆったりとした足取りで二人はバス停へと向かう。冬特有の薄暗さを補うためか、まだ日はあるのに街灯には光が灯されている。吐く息はどうしたって白く、手袋越しでも指先は悴んだ。

剣道教室からの帰り道。

「退屈だっただろ?」

ゾロからの気遣いの言葉に、イオナは肩を竦めてみせる。

期待通り、剣道をするゾロの姿をみることができた。袴姿は想像よりずっとかっこよかったし、汗に濡れた額やその表情は瞬きを忘れてしまうほどに色っぽかった。中学からの友人にも紹介してもらえ、特別な気分を存分に味わえた。

けれど、得たものはそれだけではない。

小学生という生物の無邪気さ。それは必要なほどにイオナの精神力と体力を消耗させた。

「いつから付き合ってるの?」とか、「どこが好きなの?」とか。そんなとっても愛らしい質問から始まり、「もうキスはした?」とか「どこまでしたの?」という下世話なことまで、藪から棒に訊いてくる。

相手は小学生なのだからはぐらかせばよかったのだろうけれど、『ゾロの恋人』と勘違いされていることに困惑していた脳ミソは恐縮しきってしまっていて、上手く機能しなかった。

どう返答していいのかわからず押し黙ると、高学年の子たちは勝手な解釈で冷やかしてくるのだから始末が悪い。

高学年の年齢になるとずいぶんと発達していて、エッチな妄想だって出来る年頃なのだ。女の子はきっとそこにロマンチックまで添加しているに決まっている。

自分が常日頃からしている期待を見破られているような気がしはじめて、さらに気恥ずかしさは増した。

憧れの混ざる冷やかしというのは、エリカから浴びせられる皮肉とはまったく毛色が違う。

自分の頬がいまだにカイロのようにホカホカしていることが、どうしようもなく居たたまれなかった。

「あのさ…」

「ん?」

「どうして、否定しなかったの?」

首だけ振り返ったゾロは「なんの話だ?」と言いたげに眉を潜めた。バスが来るまでには時間がある。イオナは足を止め視線を伏せた。

恋人と紹介されて嫌な気持ちはしなかった。「恋人?」と聞かれ、否定されなかったことは、むしろ嬉しかったのだと思う。

けれど、周囲を騙しているような罪悪感がなかった訳じゃない。どんな顔をするのが正解なのかもわからなかった。

自分が何者なのか。
ゾロにとってなんなのか。

『照れ』や『混沌』から解放された途端に、潜んでいた『焦燥』が押し寄せた。

「私、ゾロの彼女じゃ、ないよ。」

無理矢理に声を絞り出す。目頭が熱くなる。鼻の奥がジンとして、泣いてしまいそうになっていることに気がつく。

「私…」

「まだ興奮してるだろ。」

「え?」

反射的に顔をあげてしまう。ゾロは困ったような顔をして、それでいて唇の端を持ち上げていた。いっそ、胸に飛び込んでしまい。そう思わせる、親しみのある表情だ。

剣道教室で先生をしている時には見せなかった、ちょっとだけキザな顔。これまではそれが素だと思っていた。けれど、こうしてみるとそれが本当の素なのかどうかわからない。

剣道をしているゾロが本物なら、バイト中のゾロはいったい何者なのだろう。

どうしようもない方向に思考が傾き始めている。そうわかっているのに軌道修正できない。

脳ミソが興奮しているから?
感情が高ぶっているから?

目まぐるしく思考が回転する。この場から立ち去りたいと思う。けれど、足は鉛のように重い。ゾロは身体ごとイオナに向き直った。

「普段のイオナなら、そんなこと聞かなねェから。」

「……………。」

「行こうぜ。」

悴んだ指先になにかが触れた。そう気がついた時には、手を引かれていた。ゾロは手袋をしていない。けれど、薄いピンクの手袋越しにその熱量が伝わってきた。

「ゾロ…」

「クリスマスに泣くなよ。」

「だって…、」

「珈琲でも飲もうぜ。」

はぐらかすようにゾロは早足になった。ブーツでそれに合わせるのは大変で、握られた指は寒さで痺れていて変な感じがする。

けれど、嫌じゃない。

相変わらず、頭はグルグルしていた。感情は良くも悪くも大きく弾んでいるし、普段よりずっと貪欲だ。

小学生の無邪気さに触発されたのかもしれない。

ワガママになっても、ゾロは今のまま傍にいてくれるのだろうか。

「私は紅茶がいい。」

「わかった。買ってくる。」

人気のないバス停で握られていた手は離された。ゾロは大きな荷物をベンチに置くと、一人で少し離れたところにある自販機へと向かう。

その後ろ姿をみていると、やっぱり胸が熱くなって仕方がなかった。


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