クリスマス
トイレに逃げ込んだゾロは、頭を抱える。昼間から、なんて気持ちになってしまっているのだろうと。
「すげぇ、可愛いな。とか、んなこと、言えるかよ。」
誰だって、予期せぬ状況を目の当たりにすれば、脳より先に身体を動かしてしまうものである。
瞼を持ち上げて一秒後。
ボヤけた視界が鮮明になった途端に飛び込んできたイオナの格好は、ゾロにとって脊髄反射のトリガーを引くに充分なものだった。
驚いた時に無意識にビクリと身を震わせてしまうように、その光景にいち早く反応したのは下半身。
もしかしたら最初からそうなっていたのかもしれないけれど、今となっては確認のしようがない。ただ、この状況がバレるのを怖れ、ここへ逃げ込んだということだけは事実である。
可愛かった。抱き寄せ、ベッドに押し倒してしまいたくなるほどに。
イオナだって、ある程度自覚しているはずだ。もし無自覚なのだとしたら、危険すぎる。
彼女への想いが強すぎるせいでそう思うのか。はたまた贔屓目なしにイオナがかわいいだけのか。
今のゾロには冷静な判断ができない。
ただ頭の中をグルグルするのは、『似合ってると思う?』とはにかむイオナの笑みと、いつもよりずっとシンプルで気合いの入ったその服装だけ。
「これ、どうすんだよ…」
そう呟いたところで、誰がどうしてくれる訳でもない。
クリスマス当日だというのに、悶々とした感情のせいで思考は鈍り、決意は揺らぐ。昨日から考えがブレすぎる。これがイベント効果というヤツなのだろうか。
ゾロは深い溜め息をつく。きっと自分が喫煙者なら、今、この瞬間に、煙草に火をつけていただろうと思う。
本日会う予定の、ヘビースモーカーな友人の顔を思い出し、ゾロは唇の片方を持ち上げた。
彼くらい女性の扱いを心得ていれば、ここまで耐えなくても済んだのだろうか。イブの夜までに距離を詰め、かっこよくリードできたのだろうか。
ゾロの頭の中では、その光景が明滅する。女はもちろんイオナで、男の方は女好きでヘビースモーカーな友人だ。
無意識のうちになんでこいつが…と殺気立つ。
脳みそはまだ寝惚けているのか、自分が想像したシチュエーションにすら妬いてしまう。イオナは俺のだ!と、叫びたくなる。
ドアの向こうから「ゾロ、スープ冷めちゃうよ?」と彼女の声。そこでやっと、自分がおかしな方向に思考を巡らせていたのだと気づかされる。
「バカだろ、俺…」
いつの間にか、下半身は膨張をやめている。微かに悶々とした感情が残っているけれど、耐えられないものではない。ゾロはすぐさま考えるのをやめてしまった。
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トイレから出て、洗面台へと向かう。独り暮らし向けのワンルームのせいか、ここにまで美味しそうな香りが充満している。
冷たい水でワシャワシャと顔を洗う。脳の覚醒と同じだけ大きくなる理性で、心と感情をコーティングする。喉までスッキリしたくて冷たい水で口を濯いだ。
「ごはん、食べられそう?」
コンロの前に立つイオナは、例のワンピースの上から赤いチェックのエプロンを身につけている。相変わらず愛らしく、思わず視線を伏せてしまう。
「あ、あぁ。」
こたつの天板の上に乗せられた食器には、サンドウィッチとサラダが盛られている。テーブルの中心には本当に小さなツリーが置かれていて、その回りにはさらに小さなサンタクロースとトナカイがいた。
フォークやスプーンの入った篭の底には、クリスマスカラーのナプキンが敷かれていた。いつもと変わらない篭でも、ちょっと敷物を変えただけでずいぶんとイメージが違って見えた。
「食べよっか。」
キッチンから戻ってきたイオナが、テーブルに一センチ角に刻まれた根菜の浮いたスープの入ったカップを乗せる。いつもとは違う洋風のメニュー。そのどれもが彩り豊かで、いかにもクリスマスカラーだ。
「おう。」
ゾロは短い返事をして定位置に座る。エプロンを外したイオナもその向かい側、彼女の定位置に腰を下ろした。
そして、照れ臭そうに笑って見せる。
「メリークリスマスだね。」
「あぁ。」
気の効いた言葉がでない。どうしようもないほどに頭が上手く回らなかった。コーティングしたばかりの理性は、すでに剥げかかっている。
頭で考えていた以上に、イオナを好きになってしまっているらしい。頭で想う以上に、本能で彼女を求めてしまっているらしい。
もとより忍耐強い質だ。
この関係でも平気だと何度も思ったし、誰よりもイオナを大切にしたいと思っていた。
だというのに、今、感情という奴は理不尽な方向へと向かっている。全力でアクセルを踏もうとしている。この思考はきっと、相手の気持ちなどお構いなしに動いてしまうのだろう。
跳ね上がった心拍数。息苦しさを感じながら、ゾロはなに食わぬ顔を取り繕って両手を合わせる。
「いただきます。」そう呟いた自分の声は、驚くほどに息が詰まっていた。
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