一途な君のこと | ナノ

クリスマス

何も期待していなかったと言えば嘘になる。けれど、何も起こらなかったことにほっとしているのもまた事実。

朝8時。目を覚ましたイオナは、耳を掠める荒い寝息に頬を緩める。身体を包み込む熱量が心地よく、もう一眠りしてしまいたい。密着した部分はよりいっそう温かく、離れてしまうのが惜しかった。

背中に感じる温もりはいつだって優しかった。ゾロの腕の中はなによりも温かくて、どこよりも居心地がいい。時に豪快なイビキだって、煩わしくなんてなかった。

それでも、昨夜はイヴの夜。いつも以上に緊張していた。背後からギュッとされた瞬間、おもわず泣いてしまいそうになったほどに。

どうにかなってしまうかもしれない。そんな強すぎる期待は、無意識にイオナの不安を煽っていた。

何かを得る喜びは、喪う辛さに比べれば微々たるものなような気がする。大切に思うほどに、喪う時のことばかりを意識してしまう。

「そうなってしまいたい」と思う反面で、その後のことを考えると怖くてしかたなかった。

だからこそ、『特別な展開』が用意されていなかったことにホッとした。進展がないことは辛いことではない。少なくともイオナは、今のこの曖昧な状況が好きだった。

「ゾロ、ちょっと…だけ、ごめん。」

まだ彼を起こすには早すぎる。イオナはゾロに気付かれないように、そっとベッドから抜け出す。腰に回された腕をどかすのは、至難の業だった。

今日のイベントは14時からの予定で、朝寝坊しても問題はない。彼女が早起きしたのは、ただ単に準備に時間をかけたかったから。

ベッドから降りたイオナは、布団の中と部屋の温度の差に小さく身震いした。もう少しゾロの隣で寝ていてもよかったかもしれない。

朝の室温の低さはどうしようもない。一人で眠った日より、ゾロの隣で眠った日の方がよほど寒く感じるのは、彼の体温がイオナのそれより高いせいだろう。

「さてと…。」

昨夜は忙しかったせいで、なにもクリスマスらしいことをしていない。午後からは剣道教室があるし、その後もゾロは用事が入っていると言う。

それらしい時間を楽しむには、午前中の今しかない。きっとゾロは昼前まで眠り続けるだろう。

イオナはソッとそこ横顔を覗き込む。昨日はやけにぎこちなかった彼の寝顔は、普段と代わらず無防備だった。

『暖かくなったら、どっか遊びに行こうぜ。』

バイト中に取り付けた約束をふと思い出し、さらに頬が緩む。試作を繰り返したメニューのレシピは頭に叩き込んである。冷蔵庫の中身ものばったりだ。

寝起きの身体はまだ重たい。それでも、するべきことが決まっている日は体調がいい。それが自発的なことであれば尚更だ。

イオナは着替えを持って脱衣所に向かう。
ゾロが泊まりにきている日の朝は台所に立つのが定番だった。けれど、普段よりずっと緊張していることを自覚する。きっと普段は和食が多いのに変わって、今日予定しているメニューは全て洋風だからだろう。

髪を後ろで一つにまとめ、顔を洗う。
高保湿の化粧水を肌に馴染ませながら鏡をみる。

まだ瞼は腫ぼったく、明らかに寝起きの顔だ。
それでも頭がしっかりしていることは間違いない。

「うまくいきますように。」

イオナは鏡に映った自分自身に向かって小さく呟く。

今日はクリスマス。特別なことはなにもない。それでもただの日常とは言い切れない。普段とは違うゾロの一面をみることができる。そう思うほどにモチベーションは上がる一方だった。

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