一途な君のこと | ナノ

おあずけ

『─今戻りますっ。』

インカム越しに聞こえたイオナの声は、動揺を隠しきれていなかった。これを使っての呼び出しは予想外だったのだろう。

仕事を円滑に行うためにあるインカムを私情に使うことは躊躇われる。それでもあえて使用したのは、やいやいくんに対する牽制でもあった。

「何か、あった?」

急いで戻ってきたらしいイオナは、わずかに息を切らしている。あれからそこまで時間が経っていないところをみると、同じフロアの部屋にいたことがわかる。

ゾロは無意識にイオナの手元へと視線を向けた。身体の横で握られた拳。その両方に包みのようなものはなかった。

「別に。用はねぇけど。」

「ないの?」

「あぁ。」

なんとなく見透かされてしまいそう気がして、イオナの顔を直視できない。伏せた視線の縁に彼女の不思議そうな表情を映すので精一杯だった。

「用事がなきゃ、呼んじゃダメなのかよ。」

それでも口先だけは強気になる。捨てるように言葉を吐くと、イオナはクスクスと笑って「別に。」と呟いた。

「バイト中だろ。仕事しろよ。」

完全にブーメランなことを口走り、居たたまれなくなる。イオナに背を向けると、彼女は背伸びをして肩口から顔を覗き込もうとしてきた。

「なんだよ。」

「別に。」

「…………ったく。」

珍しく積極的に絡んでくるイオナ。その笑顔に見惚れてしまいそうになりながら、ゾロは思った。

誰かがクリスマスプレゼントを渡そうとしたくらいでここまで焦るのなら、自分も何か用意しておけばよかったと。

………………………………………………………

バイト終わり。
寒空の下を二人はゆったりとした足取りで進む。

「なんか欲しいモンとかないのかよ。」

「水槽のアクセサリーはこないだ買っちゃったし、特にないかなあ。」

「水槽のアクセサリーって…」

インカムを私情で使わないようにとコッテリ指導を受けたゾロだったが、それについての後悔はいっさいしていない。

「シノクニも大きくなったからね。もともと外掛け式のフィルターだけじゃ弱いから、投げ込み式入れてあげたんだけど…」

「ヘェ。」

イオナがよくする水槽の話はイマイチよくわからない。それでもずっと聞いていられるのは、それを話している時の彼女がとても楽しそうにしているからだろう。

「ほんとは上部式にしたかったんだけど、最初は小さかったし、そこまでする必要もないかなと思ったんだ。最初はね。」

「最近、輪をかけてでかくなったよな。」

「それ。ウーパールーパーは食べさせるほどに大きくなるみたいでさ。逆に1ヶ月くらいなら絶食もさせられるって。」

「まじか。」

イオナに許可を取ってではあるが、シノクニにたくさんの餌を与えていたのはゾロだ。まだ食うのかよ。と思いつつ、食い付きがいいうちは食べるだけ与えていたのだけど、最近の巨大化はそれが原因だったのかもしれない。

食べ過ぎは万病の元とも言うし、食べさせるほどに出すので水を汚すし、これからは回数を減らすことにしようと思った。

イオナの家にいるウーパールーパーは、ネットで見かける生体より顔の横にあるエラの軸がやけに短く、フサフサも弱い。

特性上、再生力が強いらしい彼らだけれど、幼少期に受けた影響は成長してもでてしまうらしい。

小さなカップに入れたまま、死なない程度の世話しかしてもらえなかった生体はその時に受けたダメージを多少なりと引きずってしまうのかもれしない。

実際、イオナの飼育しているシノクニは、昔の写真をみてみるに、小さな頃からそんな感じの見た目をしている。

頻繁に水換えや掃除をしているイオナをみているために、早く治ってくれればと思い、餌を積極的に与えていたのだが、それがそもそもの間違いだったようだ。

「1ヶ月絶食して病気になんねぇのか?」

「問題ないみたい。夏場は水温の上昇でストレス感じてるから、あえて餌をほとんどあげないで飼ってる人もいるんだって。それに、もともとハ虫類とか、両棲類とかって、そんなに食事しないんじゃなかったっけ?」

「さぁ?」

公園のベンチに腰を下ろしていると、野良猫やハトが寄ってくる程度には動物に好かれるタイプのゾロだが、彼らについて詳しいとは言いがたい。

小学生の頃に祭りでもらった亀や、田舎で捕まえてきたザリガニを飼育したときもそうだった。思い返してみると、気がついたら水槽から居なくなっていた彼らのことを気に病んだ記憶もない。

それらを飼育するのに知識が必要だなんて考えたこともなかった。

「ちゃんと世話されて、シノクニも幸せだな。」

「そうかな。」

「そうだろ。」

イオナが大切にしている両棲類と携わるようになってから、ペットとして定番の犬や猫でなくても、意思の疎通ができるようになるのかもしれないなと思うようになった。

水槽を覗き込むと、土管中からノソノソと出てきて顔をあげるその立ち振舞いは、こちらを意識してのこととしか思えない。

「つか、欲しいモンの話は?」

「あぁ、そっか。」

「なんにもないってことはねぇだろ。」

「ゾロは?欲しいものないの?」

「俺は特には…」

「そっちもないんじゃん。もう。」

完全にイオナはこの話題をはぐらかすつもりでいたのだろう。話を戻したところで、意図していたところからはすぐに反らされてしまう。

「欲しいものの一つも言えない人に、「なんにもないてことはねぇだろ。」なんて言われると思わなかった。」

からかいまじりに口真似してきたイオナ。プクッと膨らませたほっぺとその横顔は、どこかうれしそうだ。クリスマスの影響を多少なりと受けて、浮かれているのだろうか。

「バカにしてんのかよ。」

「してないよ。ただ、なんで欲しいものなんて知りたがるのかな?って。」

「それは─」

クリスマスプレゼントを用意していなかったから。なんて率直なことを言ったら笑われてしまうだろう。

なにより、今回はなにもしないと決めたのは自分自身だ。やいやいくんにちょっかいを出されそうになったことに今さら焦ったところで、それでは逆にかっこがつかない。

「何聞いたって俺の勝手だろ。」

ゾロはボリボリと首の後ろを掻く。やけに強い視線を感じたけれど、そちらに顔を向けることはしない。進行方向に目を向けたまま。

「聞かれる方はなんで?って思うけどね。」

「うっせぇよ。」

そっけなくしても、イオナに狼狽えた様子はない。むしろ、その雰囲気を楽しんでいるようで、嬉しそうな彼女をみていると自分まで柄にもなくワクワクしてきてしまいそうだった。

「明日、楽しみ。」

「剣道教室がか?」

「うん。」

白い息を吐きながら、頬を緩ませるイオナ。こんな笑顔を向けられて、どんな反応をしろと言うのか。いつもと変わらないはずのバイト終わり。それでも、こうして隣を歩いていると強くなる感情に理性が浚われそうになる。

(まだ早い、だろ…)

自分にそれをわからせるために、特別なプレゼントは用意しなかった。まだ今の関係を続ける必要があると思うからこそ、起爆剤になり兼ねないイベントごとはスルーしようとしたのだ。

頭ではたくさん考えたことも、激しく燃える感情と浮かれたイオナの笑顔のせいで、霧散してしまいそうになる。

これがイブの夜と言うだけで、特別な緊張感があった。

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