一途な君のこと | ナノ

連休一日目

土曜から始まる三連休。
金曜、土曜、日曜の夜は打ち上げや飲み会の二次会としてよく利用されるため、カラオケ屋はひどく忙しい。

イオナが働くのは、ゾロの出勤予定だった金曜の夜と日曜の夜の二日間。

土曜の夜に休めるだけでも喜ばしいことなのだが、彼女の気持ちは出勤日数とリンクしていなかった。

早めに出勤したイオナは休憩室のテーブルに、だらしなく身体を伏せている。

制服姿で頬を台に張り付けてスマホを弄る様子をみれば、すでに修羅場後のようにしか見えないが、もちろん勤務前。

画面をスクロールさせるために指先は上下に動いているものの、やはり覇気はない。

出勤してきたエリカはそんなイオナをみて、呆れたように笑った。

「ヤル気出しなさいよ。今日は忙しいんだから…」

「わかってるよ…」

友人は今日もフロントとしての勤務。

今思えば、仕事のできる彼女がフロアとして出勤して、イオナがフロントを担当すればよかったのだ。

エリカがあの時「アンタが教育係をやればいい」とゾロに言ったのは、そこに気づかれる前に先手を打ちたかったからだろう。

彼女の頭の回転の早さにはいつも驚かされる。

エリカはまだ着替えてもいないのにイオナの隣に腰を下ろすと、覇気のない顔を覗き込み、ニタッといやらしい笑みを浮かべた。

「あんた寝れてないんでしょ?」

図星だった。
ここのところ元気のないゾロのことが気になったし、それ以上にあの「愛してる」が何度も脳内で響いて、この都度胸が痛くなって眠れなかった。

今晩、彼は夜光バスで恋人のもとへと向かう。
彼女と会えばやることなんて1つだ。

あの笑顔が誰かに向けられる。あの大きな手が誰かを抱き寄せる。あの声が誰かの名前を呼んで、誰かに優しい言葉をかける。

彼はこの三連休を利用して、なにものにも変えられない温かな時間を過ごしてくるのだろう。

嫌でもそんなことばかりを考えてしまって、羨ましいやら、悲しいやらの、なんとも言えない感情で気持ちが押し潰されそうだった。

それでゾロに元気が戻るなら、その時間が幸せなら別にいいじゃないか。

そう思いたいのに納得が出来ない。
ゾロの幸せを喜びたいのに、全然上手くいかない。どうしようもない感情が胸いっぱいに押し寄せ、苦しくて仕方なかった。

そんな堂々巡りのうちに朝がきてしまったのだから仕方がないだろう。探るような友人の瞳から目を反らし、「別に」と言葉を返す。

「恋してんねぇ。」

からかうような台詞にドキリとした。

自分はこれまで恋人へと想いを貫くゾロに感銘を受けているつもりだった。自分にはない感情を大切にしている彼だからこそ、惹かれるものがあると感じていた。

それは恋愛ではなく単なる『憧れ』で、ワガママな恋人あってのゾロだと考えていた。

それなのに…

イオナは自分の中にある"どうしようもない感情"の存在の意味を知った。あまりにも自然に膨らんでいくものだから、気がついてすらいらなかった。

「寝取っちゃえばよかったのに。」

実にエリカらしい発想だ。彼女の性格上、横恋慕だったとしても「私の方が幸せに出来る!」と断言して奪ってしまうだろう。

例えその根拠はなくても、自信満々に言い切ってしまう彼女は本物に勇者だ。

イオナは自分と友人の『違い』に小さく笑う。

「それじゃ本末転倒だよ。」

「どういう意味?」

本気で意味がわからない。そう言いたげなエリカに「秘密」とだけ告げ立ち上がる。

恋人を大切にしているゾロだからいい。
簡単な押しで奪えてしまえるような男なら、それはもう惹かれていた彼ではない。

もし仮に自分が恋をしているとすれば、その相手はゾロではない。彼の持つ『愛情』に対してだ。

イオナはまるで言い聞かせるみたいに自分の中でそう断言した。

…………………………………………………

忙しくなると上手く動けない人間がいる。
きっと頭で考え過ぎて身体が動かなくなるのだろう。実際にはどんなに考えたって、やらなきゃいけない量は変わらないのだから『適当』にやり過ごしていくしかないのだ。

イオナはすでに混乱した厨房の隅で、せっせとドリンクを用意していた。料理を取りに来たスタッフに「先にこっちを」と運んでもらうのだ。

ガスの前には二人(どちらか片方は本来、ドリンクを用意する担当なのだろう)もスタッフがいるが、なにをどうしたいのかただ必死にあたふたしている。

インカムからは催促の声が響き、イオナが捌いているドリンク以外、厨房は大混乱。今の状況が実にマズいのは一目瞭然だ。

退店ラッシュが終わったばかりのところに、本日二度めの入店ラッシュとオーダーラッシュだっため多少の混乱はあってもおかしくない。

それでも二人もキッチンにいて、この有り様は酷かった。

そんな悲惨な状況をイオナが静観している理由は簡単で、厨房であたふたしている二人のうちの一人がやいやいくんだったから。もう一人はこないだゾロとイオナの関係をどうこう言っていたアイツだ。

助けてやる義理はない。

ドリンクのオーダーが片付いたため、厨房から出ようとしたイオナの行く手を阻んだのはフロントで仕事をしているはずのエリカだった。

彼女は厨房の出入り口に仁王立って「なにやってんのよ。」と低く唸る。イオナがガスの前でテンパっていた二人に目を向けると、彼らは青白い顔でシュンッとしていた。

エリカの剣幕が怖いのもわかるが、さすがに年下の女の子相手にそれはない。

彼女は交互に二人の男を睨み、小さく舌打ちする。

「今日のキッチン当番はどっち?」

「ご、ごめん、俺…」

「どうにか出来んの?」

「無理だと思う…。」

質問に答えるやいやいくんは、まるで夏休みの宿題を忘れていた小学生みたいだ。エリカの剣幕にやられてシュンとする彼に向かって、彼女は言い放つ。

「私とイオナでやるわ、ここ。」と。

イオナからすれば「えぇーっ」である。 めんどくさいことに巻き込まれた。

現在満室の上、入店ラッシュ直後ということもあり、余程のことがない限りフロントが混雑することはない。

だからと言ってフロントの彼女が、厨房の尻拭いとは何とも言えない状況だ。

二人は現時点でオーダーが通っているものを確認、集計する。まとめて作っていけば一気に片付くからだ。

イオナはひたすらガスコンロに張り付いてフライパンと鍋の相手をし、エリカはフライヤーで揚げ物をしながら皿の準備をする。

早くオーダーを片付けたい。ただその一心だった。

クレームになりそうなものもあったが、それらはオーダーを溜め込んだ本人に持っていかせた。

最後に出たのはパンケーキだった。冷凍のパンケーキにチョコソースとホイップクリームでお絵描きしただけのしょうもないメニューだ。

ケーキの上に描くイラストは決まっているが、スタッフはわりと好きな絵を描いている。イオナはやさぐれたパンダの絵を描いた。わりと上手く描け、他のスタッフからも好評だった。

それを持ったスタッフが厨房を出るのと入れ違いに入ってきたやいやいくんは、ひどく申し訳なさそうな顔をしている。

「ありがとう、イオナちゃん。エリカちゃん。」

心底申し訳なさそうに言われて決まりが悪い。なんと返事していいものかわからず困惑していると、エリカが意地悪く言う。

「私、この店ではあんたよか先輩なんだけど。」

「うわぁ、ごめんっ。」

「じゃなくて、下の不始末くらい面倒みてやるっつってんの。ほんとあんたってばかよね。」

慰めたかったのだろう。彼女はポンッとやいやいくんの肩を叩いて厨房を後にする。

その背中はやけにかっこよかった。

……………………………………………

閉店後のミーティングでは、契約社員によってやいやいくんがさんざん吊し上げられていた。別に悪気があってあんなことになったわけではないのだから、ここまで責めなくてもいいではないか。

もしこの場面にゾロがいたならば、「じゃあお前らはその間なにやってたんだよ。」と、言い出すんだろうなとイオナは考える。

彼は自分が間違ってないと自信がある場合に限り、怖いものなしなところがある。筋は通さないと気がすまない質なのだ。

そして、イオナも彼の意見に同意するだろう。

もとより、あの窮地を救ったのはイオナとエリカだ。やいやいくんを責める一番の権利があるのは自分たちだけだとイオナは思う。「私関係なーい」と事務室にこもっていた契約社員に、ここまで偉そうにされるのはイライラする以外、なにものでもない。

無意識にゾロが居てくれたならなぁと考える。

契約社員の怒りは今日の混乱から、普段の彼の勤務態度にまで向き始めた。どう見えても八つ当たりにしか思えない。

恋人に振られた腹いせか、はたまた生理中なのか。めんどくさいから関わらないが、それでも本当に人間的に嫌な奴。

店長がいない際の責任者だかなんだかしらないが、そんなことで偉そうにされても仕方ない。

イオナはポケットからスマホを取り出す。連絡なんてあるはずないのに、待っている自分がいた。気がつけば親指は新着メール問合せを行ってる。

頭の中がどんどんゾロに埋め尽くされていく。

信じられないくらい乙女だ。

新着メールはありませんの表記を確認したタイミングで、突然、契約社員に声をかけられる。

「明日も入れるならバイト入ってよ。」と。

本来ならこんな女の下で働くなんてごめんだとお断りしたいところだが、家にいてもやることなんてない。余計なことばかり考え、憂鬱になるだけ。

「了解です。」と答えた彼女をみて、契約社員は満足そうに笑った。きっと明日も彼女は事務室で引きこもりになるつもりなのだ。

それをわかっていながら引き受けるなんて自分らしくない。感情に振り回されるなんて普通の女の子みたいで嫌だった。

そのままミーティングは終わり、スタッフたちは溜め息混じりで部屋を後にする。だらだらと立ち上がったイオナは、人が減るのを待っていたらしいエリカに絡まれた。

「なんで明日も入るの?」

「暇だし、やることないし。」

「あんた大丈夫?」

いつもならからかうようなことばかり口にする彼女は、やけに心配そうな表情のまま言葉を続ける。

「本気なんでしょ、ゾロのこと。」と。

すぐには言い返せなかった。

別にこのままでいいと割りきっているつもりでいたし、自分が欲しているのは彼ではなく『彼の持つ優しさ』だと考えていたから。

それでも、今の状況を思うと胸が苦しいもの確か。

やっぱり根拠がなかった。

この気持ちを恋愛だとか、愛情だとか、そんな風に断言する訳にはいかない。自分がみているのは恋人とセットのゾロなのだ。

彼個人に好意を抱いているとは思えない。

「ボケッとしてないで、なんとか言いなさいよ。」

「ヤッてみなきゃわかんないかな。」

イオナが思ってもないことを口にしたのは、エリカにバレバレだった。彼女は呆れたように「あの男にそれは無理よ。」と笑う。

「なら一生分からず仕舞いだね。」

そうだ。わからないままでいい。
恋愛なんて駆け引きの上級者だけが楽しめばいいのだ。自分は向いていない。

イオナは肩をすくめて部屋を出る。

ゾロの事を考えないようにするあまり、頭の中はゾロでいっぱいだった。あと2日こんな生活に耐えられるだろうか。

心底不安だった。

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