一途な君のこと | ナノ

お誘い

イオナとゾロは、ラストまでのスタッフと入れ違いに店を後にする。

出勤してきたばかりのやいやいくんがイオナをデートに誘おうと頑張る一幕もあったが、それを許すほどゾロも脇が甘いわけではなく──エリカの余計な二言、三言も手伝って、なんとなく嫌な雰囲気のまま店を後にする結果となってしまった。

イオナは気遣わしげにゾロをうかがい、ゾロもまたイオナの不安げなオーラを感じ取り申し訳なさそうに眉を潜める。

「休みだな。」

「え?」

「だから、クリスマス…。」

「うん、そうだね。」

イオナはまっすぐ進行方向を見据えたまま小さく頷く。バイト終わり、ゾロが殺気だったのは、やいやいくんがイオナに話しかけたから。ではない。

クリスマスという単語を耳にしたからだ。

単なるデートの誘いであっても良い気はしない。それでも、イオナが相手の誘いに乗らないことを、ゾロは理解していた。

だからこそ、二人の会話については目を瞑る気でいた。口を挟む気も一切なかった。もちろん聞き耳を立てる気はないが、それでも聞き入ってしまう。

そんな状態のゾロの存在に気がついていながら、 やいやいくんはいけしゃあしゃあと言ってしまったのだ。

「クリスマス。いや、空いてないならいつでもいいんだ。一度でいいから─」と。

それは起爆剤であり、地雷でもあった。

ふざけんなと叫びたい気持ちを堪えつつ、壁を殴ったゾロをみてエリカは爆笑する。「先越されてやんの。」と。

どかんと壁を殴る音はもちろん、イオナややいやいくんにも聞こえていた。

「あんたが遅いから」とゾロの怒りを煽るエリカと、口にこそ出さないが状況を考えろと憤るゾロ。イオナは固唾を呑み、やいやいくんは『一応』覚悟を決める。

しかし、それ以上の衝突はなかった。

それもそのはず。やいやいくんは「一度でいいから─」までしか言っておらず、お誘いの言葉はまだ口に出来ていないのだから。

エリカからの冷やかしの態度を受け、自分のとった行動が子供っぽかったと反省したゾロは、何事もなかったかのような風を装い二人の間に割ってはいる。

「もう、話しはいいだろ。」

「え?いや、まだ…」

「帰ろうぜ。」

「うん。」

不完全燃焼気味のやいやいくんがイオナを呼び止めたそうにするが、イオナがそれに気がつくことはない。彼女の意識はすでにゾロに向いており、戸惑いを隠しきれない表情で踵を返したゾロを追いかけた。

そして、二人は無言のまま帰宅路についた。

それから数分間はなんともぎこちない雰囲気だったのだが、ゾロか開口したことにより、また別の緊張感が二人の間に立ち込めた。

「予定、入れたか?」

「うぅん。ゾロは?」

期待半分、不安半分。イオナはそんな調子で問い返す。それにあわせて視線を俯けたのは、自信の無さの表れのように見える。

その反応が"デートに誘われたい"と強く思っているからこそのものであると、ゾロは理解する。理解した上で、あっさりと切り出した。

「ごめんな。別でやってるバイトが入ってんだわ。」と。

「そっか…って、え!?別のバイト?」

純粋に落胆した後の動揺。目を真ん丸くするイオナに対して、ゾロは笑いかける。

「なんだよ。」

「そんなの知らなかったから…」

「日曜日の昼間に、子供らに剣道教えてんだけど。まあ、バイトってほど稼げてはねぇな。どっちかつーと、ボランティアみたいな感じか。」

「知らなかった。」

デートに誘われなかった虚しさより、新しい情報を得たことに対する感動の方が強いのか、イオナは驚きと関心の入り交じった表情でゾロを見上げる。

「どうかしたか?」

「向いてそうだなあって。」

「何が。」

「剣道とか、子供に教えるとか…」

「そうか?」

「うん。」

イオナからみて、自分はどんな風に見えているのだろうか。厳つい外見や素っ気ない態度から、誤解されることも多いため、子供相手のバイトを『向いている』と言われるのは初めてだった。

予想以上に美化されているのではないかと疑いつつ、ゾロは苦笑う。もちろん、嫌な気はしていなかったが。

「見に来るか?」

「いいの?」

「つまんねぇかもしれねぇけど、それでいいなら…」

剣道をやっている人間だったり、類い稀なる子供好きだったりすれば、この誘いは喜ぶかもしれない。

けれどそのどちらにも属していないイオナが、何故か嬉しそうな顔をする。その様子は、期待に胸を膨らませているようにも見える。

ゾロは胸中で首を傾げる。

イオナのことだ。「どうして私中心じゃないの!?」と罵ったり、「そんな下らないことに誘うなんて!」とキレたりすることはないだろう。

けれど、落胆した顔、もしくは困った顔くらいはするかもしれない。愛想を尽かされるまではいかなくとも、多少ぎくしゃくはするかもしれないとゾロは考えていた。

(全部、杞憂に終わったな…)

予想外に喜ぶイオナを横目でうかがいつつ、胸中でそう呟いたゾロは、唇の端から白い歯を覗かせる。

「邪魔にならないなら、行きたい。」

謙虚ながらも、積極性を感じるイオナの笑顔。その愛くるしさに、さらに頬を緩めるゾロの歩みは無意識のうちに早足になる。

「あんまり期待すんなよ。すんげぇ、つまんねぇから。」

忠告を聞いているのか、いないのか。うん!と深く頷いたイオナの頬は僅かに赤らんでいた。

……………………………………………………………

深夜。

繰り返されるイビキに満たない寝息に心をなごませていたイオナは、腰の辺りに回されたゾロの腕にそっと触れてみる。

筋肉質すぎるために弾力はあまりなく、空気がめいいっぱい入ったボールを押している時のような反発がある。

日焼けしている上に筋肉質という、どうにもゴツゴツしていそうな雰囲気に反して、その肌はどちらかというと滑らかでキメが細かい。

男の人の方が綺麗な肌の人が多いというのは、強ち間違っていないのかもしれない。

イオナはゾロを起こさないよう慎重に、その腕の感触を楽しむ。

今流行りの細マッチョとは異なる、雄々しい体格であるとは以前から思っていた。無駄な脂肪は一切なく、まだ隆起した筋肉にも見かけ倒しの無駄さは感じられない。

性的な欲求を刺激される、肉欲的な意味で魅力のある体つき。

エリカに言わせてみれば「ホモホモしい」らしいのだが、イオナにはなんのこっちゃ理解できなかった。

なにより、最初はゾロのこの腕の筋肉に惹かれたというのが事実であり、あのままの感じで居たとすれば互いの気持ちなどは置き去りに、身体だけの関係に陥っていただろう。

そうならなかったのも、これまで散々悩んだのも、感情の動きがあったせいであり、ゾロがそういった方面でがっつかなかったおかげ。

しばらく温かな感触を楽しんだイオナは、クリスマスの誘いを思い出し胸をときめかせる。

剣道をしている時のゾロは、子供たちと接している時のゾロは、一体どんな風なんだろう。と。

不安が解消された訳ではない。
過去の問題が消失した訳ではない。

それでも一時的にイオナの心は華やぐ。本人の口から新しいことを知れた興奮と、誘ってもらえたことに対する喜びから。

それは一時の麻酔のようなものだったが、それでも、それだけでもイオナにとっては十分だった。

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