一途な君のこと | ナノ

糸口

パントリーで気だるげにスマホを弄るエリカ。彼女から少し離れた位置で、ゾロもまた険しい表情でスマホを弄っている。

それまでの二人にこれといった会話は無く、だからといって気まずい雰囲気という訳でもない。特別、会話をする必要もなかっただけ。

しかし─

「イオナ、熱出してたんじゃないの?」

唐突なエリカの問いかけを、ゾロは「まぁな。」と受け流す。その返事を聞いたのが他の誰かなら、それ以上追求しないであろう声色。けれど、彼女がそんなことで引くはずがなかった。

「なんで来させたの?大丈夫なわけ? 」

「大丈夫って訳でもねぇけど。」

「じゃあなんで?」

「熱もないし、家で一人で居させるよりはマシだろ。ここて忙しくしてる方が。」

不満げなエリカの追求に、ゾロは渋々といった表情で答えるが、その返事の内容は"すでに用意されていたもの"であるかのように角がない。

それを訊ねられることを予想していたのではないかと勘ぐってしまうほどに、優等生的な返答だった。

エリカはその用意周到さに感心しつつも、更に一歩踏み込む。

「やっぱ、イオナの様子おかしいんだ。」

「おかしいっつーか…」

眉間にシワを寄せつつ放たれた、歯切れの悪い返事。それ以上、言葉が続かないことはその行間で理解出来る。エリカは外に誰もいないことを確認するかのように少しだけ間を開けた後、本題を切り出した。

「今日、昨日の男に会ってきたのよ。」

「どうやって。」

「昨日会ったとき、社員カード首から下げてたから。名前も会社もわかってたし。会社まで足を運んでみたの。」

なんという行動力なのだろうか。
普通の感覚があれば躊躇うであろうことをやってのけ、ドヤ顔で語るエリカにゾロは尊敬と呆れという相反する感情を抱く。

それでも反射的に、「迷惑とか考えろよ。」と言いかけたが、「私みたいな可愛い女子大生が会いに来て、迷惑がる社会人なんて居ないしね。」という彼女の言葉に遮られてしまった。

「すげぇ自信だな。」

「向こうも喜んでたわよ。君みたいなデンジャラスな娘と知り合えて、とっても光栄だって。ついでに昼食までおごって貰っちゃった。」

ちょっとだけ嬉しそうな顔をするエリカの態度のせいで、尊敬の感情は流されてしまう。彼女はゾロから向けられているジト目など、一切気にならないのだろう。本気なのか、冗談なのかわからない話が交じりつつも、話は続く。

「あの男、中学ん時のイオナのこと知ってるみたい。今のイオナちゃんも可愛いけど、中学生の頃はもっと幼な可愛かったんだよ。とか抜かすから、おもわず「死ねよ。ロリコン犯罪者」って。そしたらなんか、犯罪者はやめてとかって慌てんの。ロリコンはいいんかい!っておもわず突っ込んだわ。」

ヘラヘラと口真似付きで語られる事実に、ゾロは渋い顔をする。

ほぼ初対面の面識ない女子大生にロリコンであることをカミングアウトする男。そしてその人に「死ねよ。」と吐き捨てられるエリカ。そのどちらの感覚も理解できず、また意味がわからない。

なにより、なんでそんなロリコンとイオナが─

「まあ、ロリコンなだけあって、今のイオナには興味ないみたいだし、安心していいから。」

「いや。普通、安心できねぇだろ。」

「それでも、昔のことなんて気にしたって仕方ないじゃない。それともタイムスリップして、幼な可愛いイオナを守りに行くつもり?」

「そうじゃねぇけど…」

イオナが男を知っているということは、頭では理解している。それでも、心の部分がそれを認めたがらない。いや、認めたがらないと言えば語弊で、その感情は『嫉妬』に近いのかもしれない。相手がイオナの心に残るような"もっとも古く"の存在であるのなら尚更だ。

なんとも言えないモヤモヤを胸中に溜め込みながらも、ゾロは喉元で燻る煮えきらない思いを飲み込む。

「ロリコン野郎とイオナがどんな関係だったか。なんて、詮索しちゃダメよ。まあ、簡単に言えばイオナに初めて出来た彼氏の"お友達"らしいんだけど…。」

詮索するなと言いながら、サラリと関係を言ってのけるエリカ。その切り出し方やニュアンスは『それ以上の何か』が存在することを匂わせていた。

「その彼氏ってのが、当時大学生で、家庭教師だった男らしいの。しかも、彼女持ち。イオナの母親の仕事上の関係者の教え子だったらしくて…」

エリカの口から語られる話は、ずいぶんとオブラートに包まれたものだった。

初めての彼氏に裏切られていたこと。それを知った上で、イオナは彼を好き続けたこと。信頼を寄せ続けたこと。

そして、その彼氏が唐突に行方を眩ましたこと。

それ以降、イオナの雰囲気が変わってしまったというところまで話終えたところで、ゾロの機嫌はずいぶんと悪くなっていた。

イオナにとってそれは忘れたいほどに嫌な思い出のはずなのに、どういう訳か、その過去に嫉妬してしまっている。

そんな自分の感情にイライラを募らせる彼を察してか、エリカは少しだけ宥めるような口調で続ける。

「私が思うに、その男に未練があるわけじゃないと思うけど。」

「じゃあ、なんで。」

「イオナはさ、誰かに好かれる自信がないんじゃないの。一番になれる自信が。」

「そんなの─」

「彼氏に手を出そうとした女を徹底的に追い込んだ私が言うのもなんだけど、イオナは相手に非があると思わないタイプの人間なんじゃない?ことあるごとに、自分がダメだからって思っちゃう。好きな相手の前では特に。」

ロリコンからの入れ知恵なのか、はたまた本当にエリカの見解なのか。ゾロにはその微妙なラインを見極めることができない。けれど、エリカの言っていることは充分に的を射ていた。

これまでのイオナとのやり取りの中で感じていた『違和感』に、当てはまりすぎるのだ。

「イオナったら、最近、私に対してわがまま言わなくなったの。昔はすぐに「嫌」とか、「無理」とか言ってたのに、今じゃはぐらかしてばっかり。こっちとしてはやりにくいんだけど、嫌われたくないって思ってもらえてるなら…」

どうでも良い相手には強い態度でいられる。そのくせ、大切に思った相手に嫌われることにはずいぶんと臆病で、どうしても自分を出せなくなってしまう。

マリのように好きな相手を振り回し、傷つけることでその愛情の深さを確かめるタイプがいるのだから、その反対がいてもおかしくない。

もっとも、イオナの場合、愛情の量を確かめるどころか、自分に対する愛情があるかどうかすら知ろうともしないのだが─

「その初彼のせいっていうより、持って生まれたものっていうか、育ってきた環境のせいっていうか。イオナはとにかく甘えベタなんじゃないかとと思うんだけど…?」

エリカはゾロの顔を覗き込む。ボーッとしていたせいか、突然の迫ってきた異性の顔に、思わずのけ反ってしまう。

「な、なんだよ。」

「どう思う?って聞いてんの。」

「どう思うって言われてもな…」

イオナが何をしても拒みそうにないということは、薄々感じていた。仕草や表情の機微でなんとなく、"嫌がっている"、"困っている"というのは理解出来るものの、"照れている"のか"泣きそう"なのか微妙な時も多々ある。

なにより、昨日今日の振る舞いを考えると、なかなか本心を聞き出すのは難しそうだ。

「あんたみたいな野暮な男が彼氏だったら、私はきっとピアスを開けまくってるわ。」

「なんでピアスを…」

「イライラしたら自傷すんのがイチバンでしょ。でもリストカットなんてしてたら、厨二病拗らせてるみたいだし…」

「別にリストカットと厨二病は関係ねぇだろ。」

「でも、ファッション性がないじゃない?ピアスなら自傷も楽しめて、おしゃれで、気が向いたら穴は塞いじゃえばいいし。」

「…もっと身体を大事にしろよ。」

ゾロは、素っ気なく言いながらも心の底からエリカのメンタル面を心配する。いつもあっけらかんとしているが、なにか闇を抱えているのかもしれない。

そこら辺は今の彼氏がなんとかしてくれているのだろうが"また別れたら"それはそれは荒れるのではないだろうか。

一瞬にして、そんな余計な詮索まがいなことを始めてしまう。その理由は簡単で、彼女が失恋を繰り返す度に泥酔している姿を目撃しているから。

エリカの荒れっぷりを思えば、イオナの情緒不安定なんて可愛いものだ。

「あんたに言われなくても、私はいつだってセックス出来るだけの綺麗な身体は準備してますぅ。」

もうこの話は打ち切ることにしたらしい。なんの脈絡もないような過激な冗談を口にするエリカに対して、ゾロは呆れた顔をしつつ考える。

今後、イオナとどう接していけばいいのだろうかと。

「まあ、あんたが多少ヘマやったところで、イオナはあんたを嫌いになったりしないと思うけど。私と違って依存しやすいタイプみたいだし。」

エリカはぶっきらぼうな口調でそう言い放つと、何かを思い出したかのようにパントリーを後にする。その背中に向かって、お前だって彼氏にベッタリだろ。心の中で突っ込みながらも、なんとなくその忠告に感謝していた。

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