一途な君のこと | ナノ

連休前夜

イオナがフロアの仕事を初めて2週間。

冷やかされたところで気まずくなることはなかった。むしろ、今まで通りすきでビックリするほどだ。スタッフとの関係も表面上はうまくいっている。

ちなみにやいやいとうるさいスタッフ(通称:やいやいくん)は、少しだけ遠慮がちでありがたかった。

もちろん仕事は順調すぎるほどに順調で、多少忙しくてもたじろいだり、ミスをしたりすることはない。

もとより、彼女の中に「急ぐ」とか、「焦る」という概念がないのが、功を奏していた。

もともとは下心から始めた仕事だったにも関わらず、目に見えて結果が出るのでそれ自体を楽しめていた。

全くやましい気持ちがないかと言えば、そうでもないのだが、イオナ自身はすでにこれ以上の展開を望んではいなかった。

明日からは魔の連休。
ゾロが恋人のために休みを欲しがった日でもある。

イオナがこれまで仕事をなんら問題なくこなせていたのは、ゾロがいたから。迷惑をかけられない。足手まといになりたくない。そんな気持ちがあったから"なんとか"やり過ごしていた。

本質的なめんどくさがり屋はそう簡単には直らない。ゾロに評価されるというメリットがなければ、真面目に働こうという意思は働かない。

いよいよやってくる連休。その際のモチベーションについてイオナは延々と悩んでいたのだが、もっと深刻そうにしている人がいた。

パントリーで汚れた食器やグラスを片付けながら、イオナはゾロの様子をうかがう。やっと大好きな彼女に会えるというのに、ここのところ彼は浮かない顔ばかりしているのだ。

「明日からだね。」

食洗機から出したばかりの熱い皿を拭きながら、イオナは彼に声をかけた。

「あぁ。」と短い返事をする彼は、やはり元気がない。

ゾロは普段からあまり感情を顔に出さない上、無駄口を叩くような軽薄な男ではない。

当人もそれを理解しているらしく、無口でいれば気の沈みはバレないとでも思っているようだが、イオナからすればその無口こそが思い詰めているシグナルだった。

「いいなぁ。私も無理を押して駆けつけてくれるような王子さまが欲しい。」

わざと、らしくないことを口にする。

こういうとき、「大丈夫?」とか「相談のるよ。」なんていう、野暮な女にはなりたくなかった。

イオナの言葉に対してゾロはなにも言わない。その変わりに、可笑しな物をみるような目を彼女へと向けた。

「なによ。」

「いや。別に…。」

ゾロは決して察してくんではない。たぶん、踏み込まれたくない領域を持っている。イオナはなんとなく勘づいていたため、詮索するような真似をする気はなかった。

「私に似合わない?」

「ん?」

「白馬に乗った王子さまは似合わないかな?」

すごく真顔で問いかける。声のトーンももちろん普段通り。決して、「王子さま」なんていう、メルヘンな単語を口にするテンションではなかった。

だからだろうか。彼はしばらく視線を泳がせたあと、プッと小さく吹き出した。

「似合わないとおもってるんだ。」

「いや…、別に。」

「いいよ。似合わなくて。私、馬好きじゃないし。」

拭き終わった食器を棚に戻しながら言うと、ゾロはさらに声をあげて笑った。

「変な奴だな、ほんと。」

「そうかな。」

本当に元気になったわけじゃなくても、ちょっとしたことで笑えるなら充分だと思う。

なにより、彼を心の底から元気にするのは自分の仕事ではない。それを彼女自身、しっかりと理解していた。

すべての皿が棚に収まった後、今度はグラスを拭いてゆく。皿もグラスも多くあればあるほど忙しい時には助かるのだが、暇な時にまで汚れたまま放置してしまうのでどっちもどっちだ。

大量のグラスが乗せられたラックを洗浄機から取り出し、磨いていく。放置されていたココアのグラスは、2度洗わないといけないので厄介だった。

イオナが欠けたグラスを眺めていたところで、ゾロが小さく呟いた。

「変わってんだろうな…。」と。

独り言かもしれないし、何か答えて欲しいのかもしれない。どうしたものかとグラス越しにまじまじとみつめていると彼は呆れたとでも言いたげな顔をして笑った。

お節介かもしれないが一応答えてみる。

「お互い様じゃないの?」

「そうなんだけどな…。」

なにか含みのある言い方に少し勘ぐってしまう。ゾロが目を伏せる。それに合わせて、イオナも手元のグラスへと視線を落とした。

ゾロと関わってからまだたったの2週間。
たくさんの表情を見てきた。

これまで自分が接してきた誰よりも興味が湧く存在。
引き寄せられる存在。

すべてのグラスが透明感を取り戻したことを確認したイオナの口元は自然と緩む。

不安になっているゾロがすごく可愛く思えた。日常的にセンチメンタルな男や、不安感から束縛するような貧弱男は嫌いだ。

けれどゾロのようにメリハリがある人は嫌いじゃない。

むしろ、ゾロがマリッジブルーかの如く、漠然とした不安感にやられている姿は抱き締めたくなるほど愛くるしく思えた。


自分が変わっている。
考え方が捉え方が誰かを想う気持ちが。

それでもイオナはまだ気がつかない。

「今日は何が食べたい?作るよ、なんでも。」

少しだけ大口を叩いた。作れるものなんて限られていて、レパートリーにあるのは小学生の教科書レベルのものばかり。

もしも作れないものを頼まれたらどうしよう。

不安に駆られたイオナだったが。

「オムライス」

なんてことでしょう。
厳つい顔をして彼が口にしたのは、幼児の御馳走メニュー。

途端に笑いが込み上げてきた。

かわいい。愛らしい。すごく、愛くるしい。

「プッ、キャハハハハハッ」

「な、なにがおかしいんだよ!」

「いやぁ、か、かわいいなって…」

「るせぇ、不気味な笑い方しやがって。」

別に彼を軽くみた訳じゃない。バカにしたわけでもない。ただ、すごく意外だっただけ。

顔を赤くして怒るゾロは、さっきより少しだけ元気そうに見えた。イオナは安堵の意味も込めてさらに笑う。

「んな笑うことでもねぇだろ。」

「だって、ゾロってば…」

ゾロは声を荒げる訳でもなく、むしろまんざらでも無さそうな顔でそっぽを向く。からかわれるのが好きだとしたら、彼はMっ気があるのかもしれない。

イオナはそんなことを考え、また笑った。






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