一途な君のこと | ナノ

ごめんなさい

イオナの様子がおかしい。
きっかけは11月のシフトで間違いないのだが、原因はそれではないのだろう。ドアのある方、パテーションに背を向けるかたちでパイプ椅子に腰かけていたゾロは、いそいそと休憩室を後にするイオナを見送りながら、深い溜め息をつく。

あれから3日。別に無視されている訳ではない。普通の会話もあるし、まかないは作ってくれるし、逢えない日にはメールのやり取りだってした。それでも感じるこのよそよそしさは決して気のせいではないはずだ。

まだタイムカードを切るには早い時間だというのに、とっととカードを機械に通し、フロントへ向かってしまったイオナ。

なにが原因なのかわからないだけにもどかしく、歯痒さから沸き立つ苛立ちが募る。

「ここんとこイオナに避けられてんでしょ?」

小さく舌打ちをし、スマホをポケットから取り出したゾロに向かってエリカは言う。

ロッカー側から出てきた彼女は、制服のブラウスのボタンの上2つを閉じてはおらず、そのざっくり開いた胸元からは不自然な鬱血がいくつものぞく。

それがキスマークだとわかったゾロは、なんで見せつけるんだと胸中でぼやき、呆れた目を彼女へ向けた。

「やっぱり、避けられてるんだ。図星過ぎてなんにも言えない?だとしたら、痛いとこついてごめーん。」

全くもって反省の色の見えない謝罪をしたエリカは、ゾロの向かい側に腰を下ろすと、楽しげな表情でジト目を見つめ返す。

彼女のこの図太さについては、苛立ちの対象を越え、尊敬してもいいレベルだ。

ゾロは表情を固くしたままなにも言わない。しばらく見つめあっていた二人だが、痺れを切らしたらしいエリカがからかいまじりに訊ねる。

「なになに?それで原因はなんなの?もしかして、勃たなかったとか?」

「なんでそーなんだよ。」

「やっと喋った。ほんと無口な男って可愛くない。あんたといると8割り方私が喋ってる。ほんと喉乾くのよ。」

「だったら話しかけるなよ。」

「嫌よ。気になるじゃない。女は好きなの。人の不幸で飯が旨いの。あんたらの喧嘩で私はジェットコースターに乗りたい欲求が抑えられるの。」

「喧嘩じゃねぇよ。ただ…」

イオナの様子が一方的におかしいだけだ。とは続けられる訳がない。口ごもったゾロをみて、エリカは少しだけ得意な顔をした。

その瞳はSっ気に満たされており、その気のある男ならドキドキしそうな妖艶な目配せが追加される。18そこらでこんな顔を持っている彼女はさすがと言えるが、どちらかといえばS寄りの性分のゾロとは相性が良くない。

挑発的な彼女のオーラにイラッとしたのは言うまでもなく、だからといって苛立ちをぶつけるわけにもいかず、彼はスマホに視線を落とした。

「いいの?避けられっぱなしで。」

「良くはねぇよ。」

「じゃあ、考えてみたら?イオナがなんであんな風にあんたを避けるのか。」

「考えて分かれば苦労はしねぇって。」

「そう。それは残念。」

珍しくあっさりと引き下がったエリカの態度に、ゾロは違和感を覚える。思わず顔をあげてしまうが、彼女はすでにスマホの画面とにらめっこしていた。

まるでこちらには関心がない。とでも言うように。

宛が外れた。そう思ってしまうのは、彼女のヒントを期待していたからだろう。無意識のうちに他力本願になってしまっていた事実に、ゾロは自嘲めいた笑みを漏らす。

考えてわからないのなら、イオナに直接聞けばいい。それくらいわかっていた。それでもそうしない理由は簡単で、彼女に嫌われるのが怖いから。イオナの言葉で拒絶されるのが怖いから。

石橋を叩いて渡るという言葉があるが、まさしくそれだ。急に詰め寄っては拒絶されるかもしれない。そうなる前に、理由を、原因を突き止めておきたい。

ただゾロの場合、叩きすぎて壊しかねない領域にまで達しているような気もする。それを知ってかしらずが、エリカはさりげなくヒントをくちにした。

「そういえば、あんたって、マリ様と連絡取ってたりするんの?」

「なんだよ、急に。」

「いやぁ。男って昔の女とも連絡取ったりすんのかなぁと。参考までにね。」

「参考ねぇ。」

「取るの?取らないの?」

「取ってねぇよ。話すこともねぇし。」

「ふーん。」

エリカはジロリとゾロをうかがう。そのタイミングで彼も顔を上げていたため、嫌な感じで目が合った。

「じゃあ、未練はないんだ。」

「あるかよ。そんなもん。」

「イオナにそれは話した?」

「話したもなにも…」

そこまで発したところで、話が繋がっていたことに気がついた。ハッとした顔をするゾロに向かって、「ビンゴっ。」と呟いたエリカはやはり楽しげな顔をしていた。
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バイトが終わったのが日付の変わる時間。イオナはいつもと同様に、ゾロと家路についていた。普段と少し違うのは、彼が少しだけ苛立っていること。

「今日、やいやいと何話してた?」

「別に。相談に乗ってただけ。」

「相談って?」

「他人からされた相談だもん。よそには持ち出せないよ。」

「へぇ。」

不満げな彼の気持ちもわかるが、ちょっと繊細な内容なだけにゾロには話しにくかった。やいやいくんのプライバシーなどどうでもいいが、元セフレちゃんとの性事情など複雑に絡み合っているため、口にするのも億劫なのだ。

「仲いいよな、アイツと。」

「そんなことないと思うけど。」

「スキスキ言ってくる奴に優しくすんのって、オーケーサイン出してるようなもんだろ。」

「何が言いたいの?」

「別に。」

いつもは大人びているゾロが、余裕なく不貞腐れている。反応に酷く困った。それでなくても口数が減っていたイオナは、さらに口を閉ざす。それが余計にゾロを苛つかせるとも知らずに。

部屋に入った二人は無言のまま。
イオナはその重苦しい空気が嫌で、けれど、どうしていいのかわからずやはり無口になってしまう。

先ほどの会話の感じからして、ゾロはやいやいくんと話していたことを怒っているのだろう。確かに、ゾロと話しにくいから彼と話していた。けれど、悪いことをしている訳じゃない。

だって、別に"付き合ってる訳じゃないんだから"。

胸中でそう呟いて、泣きたくなった。ゾロとの関係について、この3日間ずっと考えていた。けれど、その悩みの全てがその台詞で片付いてしまうのだ。

追及する権利も、縛る権限もない。
今の関係では現状を受け入れることしかできない。
それがどんなにもどかしくても、辛くても、耐えなくてはいけない。

じゃあ一歩を踏み出せるかと言えば違う。

振られて全てが終わる可能性がある。付き合ったところで、関係がうまくいくとは限らない。

今の条件だからこそ、心地の良い関係が築けているのかもしれないのだから。

それが自制心なのか、思い込みなのかもわからない。

言葉にするには複雑で、感情としてはよくあるもの。焦燥感と似ているようで似つかない。このモヤモヤはどう吐き出せば楽になれるのか。

泣きたくなった。

不安でグラグラする心を押し潰すのは、この部屋の空気。ゾロの放つ重圧。自分のネガティブな思考回路。

イオナは反射的に立ち上がる。
涙腺が崩壊しそうだった。

逃げ出そう。ひとまず浴室に逃げ込もう。頭を冷やそう。焦りが混沌から意識を引き離そうともがく。落ち着けば妙案が浮かぶはずだと、根拠もなく考える。

なにも言わず、その場から逃げようとした彼女の身体は、腕を掴む力強い手によって引き留められた。


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