一途な君のこと | ナノ

不確定な感情

休憩に入ったイオナは、休憩室のパイプ椅子に腰かけると契約社員から手渡された翌月のシフトを眺める。今月に比べて出勤数は多いが、大学に影響がでるようなシフトではない。

エリカはすでにそれを受け取り確認を済ましていたようで、とくに関心のないのかコンビニで買ってきていたらしいサンドウィッチのパッケージを開封している。

彼女はどうにもパン食派なようで、買い食いする際にはサンドウィッチを好む。右手にサンドウィッチ、左手にスマホがずいぶんと様になっていて愛好歴の長さを物語っている。

イオナはとくに食事を用意してなかった。いつも通りまかないを作るつもりだったからだ。けれど、今はシュンとしたやいやいくんが厨房にいる。忙しい時間はゾロとエリカに任せていたせいか、暇になって明け渡された厨房は居心地が悪いらしい。

おまけにエリカから「なんかおごりなさいよ。」と言われ、怯えているとか。

そんな負のオーラの温床に飛び込んでまで、なにかを作る気にはなれず、ひとまず飲み物だけでやり過ごす。最悪ゾロが休憩に入る時に何か作って、つまみ食いすればいいと考えていた。

「今月、あんまりかぶってないね?」

イオナは、目にも止まらぬ速さで親指を動かし続けるエリカに声をかける。彼女の視線は画面に釘付けのままで、もちろん親指の動きが止まることもなく、ただめんどくさそうに口だけを動かす。

「あぁー。私とはかぶってないんじゃない?」

「なにその。私とはって…。」

「確認してみなさいよ。」

サンドウィッチを租借しながら言葉を紡ぎ、その上で意識はスマホに夢中で。なんともお行儀の悪い食事風景たが、いつものことなので特に気にしない。

イオナは言われるがままにシフトを隅々まで確認し、「えっ」と小さく声をあげた。

「私に感謝しなさいよ。」

「待って。これ…。」

「いいでしょ?その方が。」

エリカはニヤッと笑う。その笑顔は完全に悪戯っ子のそれで、親切心で何かをした人間の顔ではない。

「よくないよ?合わせたと思われるよね?あからさますぎるよね?」

「あからさまもなにも、あんたたちがべったりなのは周知の事実じゃない。」

「だからってさすがにこれは…。」

「じゃあ、あんたはアイツが他の女と仲良くしててもいいのね。他の女に言い寄られても平気なのね?」

それとこれとは違う。そのくらいのことは多少混乱していても理解できる。けれど、言い返す気にはなれなかった。どう転んでも、まだ言葉にしたくないことを口にしてしまいそうだったから。

イオナはシフトのプリントされた用紙に視線を落とす。普段よりずっと出勤数の多いシフト。勤務数が増えたのはケバ子の抜けた穴を埋るためでもあるのだろうが、まるっきりゾロと被せられているのは完全に故意だ。

うれしい。けれど素直に喜べない。

ゾロの存在が、自分の中でどんどん大きくなっていく。かけがえのない存在になっていく。

それが怖くて仕方なかった。

好きになるほどに、大切に思うほどに、不安が大きくなっていく。最初の頃には感じなかったドロドロとした感情が、次から次へと溢れてくる。

そばにいるときには温もりで充たされるのに、一度離れると不安で仕方なくなってしまう。時間が空けば落ち着くけれど、会う間隔が短くなれば感情の整理がつかないまま顔を合わせなくてはならなくなる。

嫌なところを見せてしまうかもしれない。
嫌われることを言ってしまうかもしれない。

めんどくさい女になりたくない。
重い女になりたくない。

考えるほどに何をどうしていいのかわからず終いで、完全に空回りだ。

「あんたって思ってたよりグズよね。」

不安そうな顔をしていたせいか、エリカに呆れた顔をされる。それでも、自分を変える自信はなかった。

一つ一つの動作に緊張して、些細なことでドキドキするような想いは叶えない方が幸せなんじゃないか。ほどほどの感情の中で生きる方が安定していられるんじゃないか。

そばに居たいと思う反面で、そんなことを考えてしまうのだから自分は本物のグズなのかもしれない。

イオナはシフトを折り畳み、ポケットにしまう。ゾロとそばにいられることはなによりうれしい。それでも怖くて仕方がないのだからどうしていいのか全くわからなかった。
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─過去。

自分が不器用なのはわかっていた。

どうしていいのかわからない。
それでもなんとかしないといけない。

だから一生懸命に尽くす。
だから操り人形にだってなる。

それで好きでいてもらえるならこれくらい平気だ…
大丈夫、大丈夫だ。

イオナはグッと身を固くする。
逃げることだってできたはずなのに、心の繋がりだけを求めて瞼を閉ざす。都合の悪いことからは目を背ける。

そうすることしか選べない自分を嫌いになりながら。
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恋愛には駆け引きが必要だ。

でも本当に好きな相手にわざと素っ気なくなんて出来ないし、騙すようなことも出来ない。

遊びの相手と本命とでは『心持ち』が違うのだから、どうしたって小器用になんてなれない。

イオナは少し前を歩くゾロの後を追いかける。今日は帰りの時間が被る予定ではなかったのだが、彼が無理矢理エリカと入れ替わったのだ。

「貸しがある。」だの「借りは返した」だのと言い合っていたが、最後はエリカが折れた。イオナにとってはハテナが飛び交うような会話だったのだが、二人の間では話が繋がっているらしくエリカの方が部が悪い様子だった。

「こっちであってるか?」

「うぅん、そこは右。」

「あぁー。そういやそうだったような気もするわ。」

ゾロはまだ家路を覚えていないため、イオナにいちいち確認しながら、足を進める。それが当然のようにわざわざ家まで送ってくれるのはうれしいけれど、今日はいつもに増して気持ちが落ち着かなかった。

「あのさ、ゾロ。」

「ん?」

「シフト…、なんかごめん。」

「なんだよ。藪から棒に。」

「迷惑じゃなかったかなぁ…と。」

恐る恐る言葉を紡ぐイオナがおかしかったのか、ゾロは口元をほころばせる。少しの間の後、「別に。」とそっ気のない口調で言うと、足を止め振り返った。

突然のことで足を止めきれなかったイオナの身体は、肩に添えられたゾロの手によって受け止められる。

「どうせやったのはアイツだろ。」

「そうだけど…」

「俺と一緒じゃ不満か?」

「違う。そうじゃなくって…」

うまく説明できない。自分の気持ちや感情が、間違っているのか、正しいのかがわからない。なにより、漠然とした心情を表現できる言葉が見当たらなかった。

口ごもる彼女の額にゾロはチョンッとデコピンする。最大限に力加減されたそれによって、イオナは俯けていた顔を上げてしまう。

視線が噛み合った途端に、彼は困ったように笑うと、小さく肩をすくめた。

「とっとと帰って寝るぞ。今日は疲れた。」

それはいつもと変わらない口調で放たれた、なにげない一言。それなのに、「そんな顔をするな。」と言われたような気がして、イオナはコクりと頷いて見せた。

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