ツァイガルニク効果
話の流れがあちこちへ飛ぶ、長い、長い、説明の間に、ゾロはブラックコーヒーを2杯もおかわりした。
客としてお世話になることはあっても、あちら側で勤めたことのない彼にとって、それは理解し難いことだったり、違和感を覚えざるを得ないことだったり。
当時、女子高生だったエリカをスタッフの恋人だからと店に出入りさせていたという話も、その女子高生が言い出した『ツケの回収方法』を実践してしまう大人たちの頭の緩さも理解に苦しむ。
なにより、その『ツケの回収方法』は完全に違法であり、なによりそれが今回の騒動の原因であり─
ただ、話の腰を折るのは嫌なので、なんとなく聞き流していたのだが、イオナの話となるとそうはいかない。
客としての立場と店側の人間としての立場を使い分けているエリカのと違って、彼女はただの客であり、同時に客寄せパンダでもあった。
「イオナの無愛想さって、見る人がみるとミステリアスに見えるらしいのよね。憂いがあるというか…。だから攻略好きがほっとかないみたい。それをうまい具合に利用して、あの店は金儲けしてた。たぶん、イオナは気がついてもないんだろうけど。」
まるでそれが自然の摂理であるかのように語るエリカは、ずいぶん毒されているのではないか。はたまた、自分が世間知らず過ぎるのか。
ゾロには判断できなかった。
判断出来ない代わりに問いかける。
「なんだよ、金儲けって…」と。
一瞬頭を過った『管理売春』という言葉。それを打ち消したく訊ねたのだが、どうやらこの問いかけを彼女は待っていたらしい。
「簡単な話。イオナには今夜はタダでいいよ。好きなだけ飲んでいって。って声かけて、男と引き合わせて。ちょっと会話させといて、あの娘の分の会計も男に持たせんの。ぼったくりってほどじゃないけど、そこそこの額吹っ掛けてたみたいよ。」
「それ詐欺だろ。」
「そうでもしないとやってけないのよ。景気がいいわけじゃないしね。イオナはすぐ持って帰れるような娘じゃないから、男も燃えちゃって。すぐに食いついてくる女よりもいいんだって。不完全なものに対して執着しちゃう…あれ、なんだっけ。ツァイ…ガ、なんたら効果。」
「ツァイガルニク効果な。」
「あぁ、それそれ。」
エリカは「よく知ってたわね。」と呟き、二杯目のフラペチーノのホイップをスプーンですくう。出来立てでないクリームはトロリと形を崩すが、彼女は気に止める様子もなくそれを口へ運び、また言葉を続ける。
「ただ無口ってだけなのに、男は勝手に"勘違い"して、期待して、本気になる。勝手に本気になって、口説きにかかって。でもいざ手にはいるとつまんなくなるんだって。なにも言わない、感情が見えないって。店側は、次の客に紹介できるって、ありがたがってたけど…」
「なんだよそれ。」
「イオナって吉原遊女みたいでしょ?床入りまでにお金が必要で、手にいれても手に入らない。違いっていたら、媚びないとこくらいじゃない?まぁ、それがまた燃えるらしいんだけど…」
気分が悪くなる話だ。ゾロは込み上げてくる苛立ちを、コーヒーで腹の底へと流し込む。
「こないだ付き合ってた男とは、そんなんでもなんだかんだで続いてたからさ。わりと会話も成り立ってたみたいだし、なにより相手がイオナにぞっこんでべったりだったし…」
「こないだっていつだ?」
「こないだはこないだよ。」
含みのあるエリカの言葉に、ゾロはこめかみに浮かぶ青筋を痙攣させる。そんなあからさまなリアクションこそが彼女の目的なのだが、今の彼には余裕がない。
「エリカ…、あのな。」
「あんただって、こないだまで彼女居たでしょ。おまけにイオナの前でラブコールしてたし。過去まで束縛できると思ってんの?」
ぐぅの音もでない正論。ゾロは罰が悪そうに「るせぇよ。」と小さく呟き、視線を伏せた。
「別れたのは二週間とちょっと前。あえて言うなら、アンタが可愛い可愛いマリたんのために迷走してた頃。で、相手の男はストーカー気質で今でもイオナを探してる。」
「はぁ?」
「イオナってば、自宅もバイト先も相手に教えてなかったみたいでさぁ。別れ話の後に、スマホ買い替えて完全に関係を絶ち切っちゃったらしいの。店も、男も。それで…」
なんとなく彼女がこの話を始めた理由が見えた。
「店側は別に気にしてない。なにより、イオナは表向き、ただの常連でしかないわけだしね。けど男はそうはいかないでしょ?好きで好きで付き合えたのにいきなり捨てられちゃうなんて…」
「それで、俺にどうしろっていうんだよ。」
「もしあのケバいのとイオナの元カレが店で接触してたら、絶対にバイト先はばらされてる。待ち伏せされて、つけられたら大変でしょ?」
淡々と話しているが、その内容は結構重い。ゾロはもしもを予想し緊張感を覚える。けれど、彼にも彼の事情がある。
「俺が方向音痴なの知ってるよな?」
「知ってるけど?」
「送って帰るのはいい。けど、今度は俺が自分ちに帰れなくなるだろ。」
イオナが心配でない訳じゃない。ただ、前回のようなことになった時、自制が効くのかと言われると微妙だった、のだが。
「なに言ってんのよ、泊まればいいじゃない 。泊まったついでに抱いちゃいなさいよ。脚開かせたら、心も開いてくれるかもよ。」
「下世話なことを言うなよ。それに─」
ゾロは思い起こす。イオナのこれまでの行動や、発言、表情の機微を。
「─それ、無理だと思うぞ。」
手を出しても、拒まれはしないだろう。ただ拒まれない代わりに、受け入れてももらえなくなる。今以上の関係は築けなくなる。
確証こそかったが、彼はそう感じていた。
エリカは意味がわからなかったようで「なんで?」と不思議そうにしているが、ゾロはそれ以上なにも言わない。
「とにかくケバいのとは私が話をつける。だから、あんたにはイオナを任せてあげる。任せてあげるんだから…」
ここで彼女はニヤリと笑う。その笑顔にけ警戒を強めるゾロだったが。
「泣かすんじゃないわよ。」
続けられた言葉にほほを緩めてしまう。
「約束してるよ、ツンデレ女。」
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一人カフェに残ったゾロは、4杯目のコーヒーに嫌気が差していた。
いくらおいしいドリップコーヒーでもそればかりは胃が痛い。だからといって、コーラなどの炭酸飲料があるわけがなく──甘いカフェドリンクを飲むくらいならと、飲み飽きたコーヒーの苦味に顔をしかめる。
すでにエリカはバイト先へと向かっており、その際に「十分に時間を空けてから来なさいよ!」と念を押されていた。
そのため、時間を潰すついでに彼女の話していたことについてあれやこれやとか考えていたのだが、やはり一番腹が立つのは、帰り際のエリカが言いはなったこの台詞。
『アンタと一緒に居たとか思われたくないから。おっぱいばっかり見てるし。』
聞かされた時、一瞬ではあるが、何を言われたのかわからない程度には混乱した。だからこそ、ジワジワと腹が立ったし、思い出してもいい気はしない。
(みてねぇっての。)
おもわず胸中で言い返すが、この場にいない彼女に届くはずがない。その時も今同様に胸中で悪態をついただけで、言い返すことはしなかった。どうせ言い返したところで鼻で笑われるだけだろうし、放っておく方が楽だと思ったからだ。
(なんであんな自己顕示欲の強い奴が、イオナみたいに保守的なヤツを気にかけてんだか。)
なんだかんだで相性のいいらしい二人。
そのそれぞれの性格を知っているだけに、あれやこれやと比べてみるが、なにが噛み合っているのかわからず苦笑する。
唯一、気が合っていそうだったのは、服装とか髪型とかそんなところだろう。
エリカほどではないが、イオナもまたそこそこ露出のある服を身に付けていた。家に行った日も、短いスカートをはいていたため、目のやり場に困ったくらいだ。
「ちっとはマシになってりゃいいけど…」
肌を一切露出するなとは言わないが、せめて胸元や太ももの出すぎない服を着ていてほしい。彼女がイメチェンしたという話を思い出したゾロは、そんなことを考えながら、静かに席を立った。
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