噂と溜め息
相変わらず無愛想な口調だった。
ゾロは電波の向こうで、イオナがどんな顔をしていたのだろうかと考える。短い会話だったし、話した内容と言えば「ちゃんと仕事しろ。」くらいだ。それでも予想外のタイミングで声を聞けるというのは、妙にドキドキさせられる。
ベッドの上で寝返りを打ったゾロは、通話終了画面を見つめ、目を細める。寝る予定でいたのに、突然の着信。おまけにバイト先からと知り、慌ててスマホを耳にあてた。
かと思えば、聞こえたのはエリカの声で、またからかわれるのかとムッとしたのは言うまでもなく。
それでもイオナの声が聞こえた途端、眉間に込めていた力が不思議と抜けた。無愛想で、素っ気ない声にホッとする。電話越しに泣かれてばかりだったゾロにとって、それはすごく新鮮なことであり、同時に緊張するものでもあった。
『イオナは遊んでた。』
それを聞かされた時は、マリの遊びグセのこともあり多少戸惑ったが、だからといって今の感情がそう簡単に無になるはずがない。
それにイオナからは、強い自己顕示欲が感じられない。どちらかと言えば投げやりでいながら、保守的で、消極的だ。
チヤホヤされたい訳じゃない。
男が好きだという訳でもない。
貢がせていた訳でも行為に溺れていた訳でもない。
それでも男と遊ぶというのは違和感がある。
ふと、自身の過去の愚行を思い出したゾロは、ことあるごとに「めんどくさい。」と口にするイオナの顔を思い浮かべ、小さく溜め息をついた。
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水曜の夜。ゾロが出勤すると男のスタッフたちは気まずそうに目を伏せた。逆に女のスタッフの方はどこかテンションが高い。
勤務の重なることがなく、普段はすれ違い際に挨拶を交わす程度の昼間のスタッフまで、なんだかんだと話しかけてくる。
あまりの居心地の悪さに、ゾロはたまたまそこにいた男のスタッフに何事かと問う。すると、彼はちょっとためらいがちに口を開いた。
「イオナちゃんが、イメチェンしたんだよ。で…」
「イメチェン?」
「まぁ、そこはいいんだ。でな、イオナちゃんが可愛くなったって俺らが話してたら…」
そこで彼は化粧の濃い女のスタッフを顎で指し─
「あれがあんなビッチのどこがいいんですかぁ?とか言い出して。」
おいおい、イメチェンなんて聞いてねぇよ。ゾロは どこか緊張感なくそんなことを考える。けれど、そんな彼の心情になど気がつきもせず、男のスタッフの方は言いにくそうに言葉を続ける。
「俺らもあんなケバいのの言うこと信じらんねぇし、は?みたいな感じだったんだけど…」
続けられた話によると、イオナはよくない店に通っていたらしく、そこでエリカと知り合ったらしい。その店では地下で薬やらパーティーやらが行われており、イオナもまたそれらに関わっているのではないかという話だった。
ゾロは言う。
「それ、あり得ないだろ。」と。
普通に考えて、身近にそんなことをしている人間がいるとは思えないし、なによりイオナはめんどくさがりではあるが、根が真面目だ。そのことは一緒に仕事をしていたゾロがよく知っている。
しかし、スタッフの方はどこか落ち込んだような様子で言う。
「それがさぁ、エリカちゃんがその店に女の子を引接するようなこととしてて、それでガチッぽいって…」
ゾロは思わず「黒幕はお前かよ。」と、頭に思い浮かべたエリカに向かって毒づく。けれど口からは無意識のうちに、相槌が漏れていた。
「イオナちゃんってそんな感じじゃないようにみえるけど、でも、なんか影があるっていうか。言われてみれば…みたいな。」
確証なんてなにもないことで、陰口を言われている。チャラチャラした女から聞いた「もしかしたら」、「可能性が」の話を鵜呑みにして、イオナを卑下される。この二つにおいて、酷くイライラした。
「そう思うなら勝手に思ってればいいだろ。俺が聞いてんのはなにがあったかだ。いちいちお前の見解なんか求めてねぇよ。」
思わず語調が強くなってしまう。相手があからさまにしまったといった顔をしたことで、ゾロはやってしまったと後悔した。
「つい感情的になっちまった。悪ぃな。」
「いや、別に俺は…」
ここで変に自分が庇えば、イオナはさらにいわれのない余罪を突きつけられることになるだろう。
罰が悪そうな顔をするスタッフの肩をポンポンと叩き、ゾロはその場を後にする。腹の虫は全く収まらなかったが、今自分が抗議したところでなにも解決はしない。
「エリカはともかく、イオナが薬なんて…」
コンビニ弁当の添加物を気にする発言をしていた彼女が、身体に悪いことしかない薬物に染まるとは思えない。
そんな気持ちからそう呟いた彼だったが。
「そういや、エリカって…」
ともかくと除外していたはずの人物に持病があったことを思い出し、なによりその人物が結構な地雷であることを思い出し、休憩時間にでも彼女に連絡をしてみようと考えた。
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休憩中。
予想外の味方にゾロは困惑し、迷惑していた。
「な?だから絶対におかしいだろ?」
「うっせぇよ。」
「なんだよ、ゾロ!お前、イオナちゃん信じてないのかよ。」
「信じるもなにもただの噂だろ。」
「噂でもイオナちゃんは傷つくんだよ。だから俺らがなんとか…」
エリカに電話して持病の件について確認したいのに、やいやいくんが「免罪だー」と食い下がり話にならない。もとより、噂など信じてもいないゾロだったが、それを声高々に口にするほど愚かではない。
「お前が騒げば騒ぐほど、お前のセフレはイオナを叩くだろーよ。」
「セ、セフレってなんの…」
「セフレはセフレだろ。」
「違う!確かに何度かヤったけど、それは。」
しどろもどろになるやいやいくんに向かって、ゾロは舌打ちする。彼が騒ぎ立てるほどに、イオナの噂は拡散されるだろうし、根回しを周到にされると撤回が面倒になる。
おまけにイオナに対して、「俺が味方だよ!」などというアホな連絡を彼が入れ、当人の耳にこの噂が入ってしまわないかというのもまた心配だった。
「一度だろうが、いっぱいだろうが、付き合ってもないバイト仲間を抱くような無責任な男に、イオナがなびくかよ。」
「それとこれとは関係ないだろ!」
「嘘つけ。ここでイオナにいいとこ見せたいだけだろ。打算が見え見えなんだよ。ちっとは頭使え。」
弱い犬ほどよく吠えるというが、やいやいくんは本当によく突っかかってくる。1つ下とは思えない落ち着きのなさに、ゾロは思わず苦言を呈した。
どうやら図星だったようで、彼は顔を真っ赤にして「もういいよ!」とぷんすか。こういうタイプの男は、芯の太い姉さん女房をもらうべきなのではないかと思う。
ゾロはポケットからスマホを取りだし、アドレス帳からエリカの番号を探す。
いつまでもその場にいるやいやいくんに対して、どっかいけよと言うか言わまいか悩んでいたところで、偶然にも彼の方から口を開いた。
「あの話、絶対変なんだよ。」と。
「どうしてそう思うんだ?」
「だってエリカちゃん酷い気管支炎じゃん。煙草でも発作がでるのに、薬なんてそんなの…最悪、死んじゃうんじゃないかって。」
なんでエリカの持病のことを知っているのかと訊ねようと思ったがやめておいた。ゾロ自身は、彼女の口から聞いていたので、彼もまたそうだろうと思ったからだ。
「今から電話して聞いてやるよ。」
「へ?」
「俺もその意見には同感だな。ただ、アイツがおかしな連中とつるんでるのも事実だから、期待はしすぎるなよ。」
ゾロはスマホを耳に当てる。しばらくの呼び出し音のあと、気だるそうなエリカの「なによ…」という呻きが聞こえた。
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