一途な君のこと | ナノ

「あの…」

女子高生ににゃんこ言葉で甘えると定評のある店長の苛立った顔が、イオナへと向けられる。脳内補正で猫耳がプラスされ、また笑いが込み上げた。

笑わないように、吹き出さないように、彼女は慎重に言葉を発する。

「その日、入れ、る、よ?」と。

噛み噛みになってしまったのは仕方ない。猫耳店長の怪訝な顔がおもしろ過ぎるのだ。

イオナは吹き出す寸前のところで、店長から目を反らし、視線を電話男の方へと向ける。彼が浮かべていたのは、驚きと喜びが伝わってくる子供みたいな笑顔だった。

「ほんとにいいのか!?」

うわっ!この顔いい。
めっちゃカッコいいじゃん。

確認の言葉にコクコクと頷きながらも、イオナの笑顔にポカーンと見惚れてしまう。

ヤりたい、抱かれたい、触れられたい…

セックスをしたいと思うことは幾度となくあったが、この人がいい!と感じることは本当に珍しい。

初めてに近い感情にイオナはときめきを隠せないでいたのだが。

「忙しい日に、フロントしか出来ない人間をフロアで使ったって意味がない。邪魔だ。お前には無理だ。」

店長の荒々しい口調が雰囲気をぶち壊す。

(意趣返しかこの野郎!)

不倫旅行のクセに!と言ってやりたい衝動をこらえ、イオナが冷ややかな目を店長へ向けたと同時に「んじゃ、明日からフロアやらせれば?馴れるでしょ。」とエリカが気だるそうに口を挟んだ。

「私はどっちもやれるんでイオナと替わってあげる。イオナの教育はゾロがしたらいい。はい、この話おしまい。」

ということらしい。

ここで初めて、電話男くんがゾロという名であることを知ったイオナは、スマホに視線を落としたエリカをまじまじと見つめる。

いったいどこまで気づいているのだろうかと。

それにしても店長はなめられ過ぎているのではないかと思う。一度本社で研修でもしてきた方がいい。ついでに、不倫相手との関係もちゃんと清算すべきだ。

ゾロが感謝の言葉を口にしたような気もしたけれど、手元のスマホが震えたのでイオナは画面に目を向けた。

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line画面

(エリカ)なんで替わんの?

     ヤリたいから(イオナ)

(エリカ)は?

    タイプだった(イオナ)

(エリカ)呆れた。趣味悪w

     ゾロだっけ?(イオナ)

(エリカ)そうだけど。マジなの?

       ( ´,_ゝ`)プッ(イオナ)

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顔文字を送信した段階で、隣からあからさまな溜め息が聞こえたがイオナは気にしない。

エリカだって口を挟んだ時点で気がついていたはずだ。私が下心なしで動くわけがないと。

気持ちいいセックスがしたい。イオナがそんなことを考え始めた時点で、すでにミーティングは始まっていた。

反省点や改善点について意見を出し合うのが目的なのだろうが、店長が一方的にバイトをドヤすだけとなってしまっている。

彼は人の上に立つ器ではないのだろう。

完全に店長を下に見ているイオナは、自分のスマホの画面が光っていることに気がついた。

この店ではいつもパーティールームでミーティングを行っていた。BGMが消せない上、スタッフの控えている厨房からは遠いのでめんどくさいといわれているのだが、店長は何故かここを好む。

休憩室では狭いからと言っているが、実際のところはわからない。

ボリュームの抑えられたBGMにイオナのスマホから漏れる着信音はうまい具合で紛れているが、手に伝わる振動は間違いない。

[着信] 彼氏

イラッとした。

めんどくさい人間というのは、本当にめんどくさい。めんどくさい存在になるために生まれてきたのではないかと疑いたくなるほど、めんどくさい。

さきほど見せつけられたばかりの恋愛へのひた向きな姿が頭を過り、イオナは自嘲めいた笑みを浮かべつつ身を屈め、通話ボタンを押した。

「あぁ、イオナちゃん?」

嬉しそうな声だ。めんどくさがられているのに、それに気づくこともしないで、すごく嬉しそうな声をあげる。

やっぱりイライラした。

「今、バイト中なんだけど。」

「わかってる。でもどうしても、会いたくって…」

店長が熱弁を振るう声と、受話器越しに聞こえてくるなよなよした彼氏の声。

どちらにもイライラした。

「今日、どうしてもダメ?」

「気分じゃない。」

「俺のこと嫌いなった?」

あぁ、イライラする。

断るのには時間がかかりそうなので、一度相手をした後、あしらう方が楽かもしれないと考えたイオナは「わかった。会うから。」と気のない声で告げる。

「ありがとう。愛してるよ。」

「うん。じゃ…「イオナちゃんは?俺のこと…」

「はいはい、愛してる、愛してる。」

これ以上声を聞いたら「死ね!氏ねじゃなくて死ね!」と叫んでしまいそうなので、イオナは一方的に通話切った。

そのタイミングでミーティングも終わり、二重の苛立ちから解放される。バイトたちがだらだらと部屋から退室し始めたところでエリカが口を開いた。

「いまの会話酷くない?」

「なにが?」

「あんたの電話よ。あんなめんどくさそうな「愛してる。」なんて聞いたことないわ。」

「仕方ないよ、めんどくさいんだもん。」

呆れたように眉を寄せる彼女に向けて、イオナは肩を潜めてみせる。

会いたくもないのにワザワザ会いに行かされるのだ。彼の一方通行な愛を受け止めてに行くのだ。

めんどくさくて死ぬかもしれない。そうなれば酷いのは彼の方だ。いや、むしろそうならなくても、メールで断りを入れた事柄について、電話を寄越す彼の神経そのものが一番酷いに決まっている。

わざわざ口には出したりはしないが、イオナの気持ちの半分くらいはエリカに伝わっているのだろう。

彼女はそれ以上にも言わなかった。

スマホをポケットに入れ、欠伸をしながら立ち上がったイオナ。彼女の正面にはゾロが立っていた。

顔をあげた瞬間に現れたイケメンに、イオナと表情が固くなる。

「まじでありがとな!」

手を握ってきそうな勢いで彼は言う。

顔の距離がすごく近くて、さっきした色っぽい妄想とも合間って、彼女の身体は一瞬にして火照った。

「でも、仕事教えてくんなきゃできないよ。」

「フロントの人間もフロアは出来んだろ?」

ゾロが眉間にシワを寄せ不思議そうな顔をする。それがまたかっこよくて、さっきまで苛立っていたのが嘘みたいに気分が高揚した。

問いかけに返事もしないで正面に立つバイト仲間にに見惚れているイオナを見兼ねて、エリカが助け船を出す。

「イオナが入店したとき、フロント急募だったから研修やってないの。暇になってからも、フロアはやらないの一点張りだったし。一から教えなきゃダメよ。」

「まじかよ。」

そこまでとは思っていなかったのか、彼は少しだけ不安そうな顔をした。それもまたかっこいいのだから、本当に罪な男だ。どうでもいいから、今すぐ脱いでほしい。

スケベなことを考えなからも、表情には一ミリも出さず、イオナは「頼んだよ。」とまるで他人事のように言う。

それを見てゾロはちょっとおかしなものをみるような顔をした。

「休日忙しいぞ、大丈夫か?」

「あぁー。最悪早退するし…。」

本気なのか冗談なのかわからないトーンでとんでもないことを言うのは、彼の表情を引き出すため。案の定、ゾロは呆れた顔をしてくれた。

「冗談。ちゃんとやるよ。やればできるって…。まぁ、たぶんなんだけど。」

「ならいい。んじゃ、急いでるから、またな。」

たぶんでいいのかよ。

わりと適当な男なのかもしれない。白い歯を見せて笑った彼は、その大きな手をヒラヒラさせながらパーティールームを後にした。

皮膚が厚くて、マメのたくさんある手のひらだった。

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ロッカールームで着替えるようになったのは、ゾロとの会話が終わって15分ほどしてから。狭い空間にスタッフが一挙に押し寄せるのだから、仕方のないことだ。

「やれんの?片付けとか厨房とか。」

「なんとなくその場をやり過ごすのは得意。」

「そんなのでやれるレベルじゃないっつーの。」

エリカと他愛のない会話をしながら、いつも以上にダラダラと着替えを済ます。どうしたって今日は彼氏の家に行きたくないのだ。

ブラウスをクリーニングボックスに投げ込んだところで、エリカが吹き出した。

「ほんと、別れりゃいいのに。」

「まだ次が居ないし…」

「すぐ新しいのができるでしょ?ちょっとの間くらいフリーでもいいじゃん。」

フリーになるのは然構わないのだが、あれが素直に別れてくれるとは思えない。それに今はゾロのことで頭が一杯で、新しい男を探すという選択も選ぶ気にはならなかった。

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