この部屋に人を招くのは、初めてのこと。
ゾロから缶ビールの詰め込まれた重たいコンビニ袋を受け取ったイオナは、彼を玄関の外で待たせ先に部屋にあがった。
ザッと部屋を見渡した後、何事もなかったような顔をしてゾロを招き入れる。
定番の「散らかってるけどどうぞ」の言葉と、それに返事をするかのような「お邪魔します」の言葉。
まさか自分がこんな風に誰かをもてなす側になるとは。
他の女の子の部屋に比べて可笑しなところはないだろうかと、少しだけ不安に思った。が、彼の関心は別に向いていた。
いそいそと靴を脱いだゾロは、下駄箱の上にある水槽へと目を向け眉を寄せる。
「なぁ、コイツって…。」
「ウーパールーパーだけど。」
「動かねぇけど、生きてんのか?」
「死んでたらそこに居ないよ。」
「そりゃそうだよな。」
よほど気になるのか、指の先で水槽をコンコンとつついてみたり、ウーパールーパーに向かって「おい」と声をかけてみたり。
「これ、何食うんだ?」
「ウーパールーパーの餌だよ。」
「まんまだな。」
また飼い始めて1ヶ月ということもあり、固体は小さく見た目は弱々しいが半年もすれば世間一般に知られているような立派な成体となる。
水棲生物に興味のない人は、こんな小さなウーパールーパーの姿をみることはないだろう。ゾロからすれば珍しくて仕方なかったらしく、興味津々だ。
しばらく夢中になって観察していた彼は、餌をピンセットで摘まんで与えるところを見せると感嘆の声をあげ子供の様に目を輝かせていた。
気がつけば近距離でその横顔をみつめていたことにハッとする。二人きりなんだと思い知らされ、ドキドキは加速した。
怒り任せとはいえ、独り暮らしの部屋に誘うようなことをしてしまったこと。それをゾロはどう捉えたのか。少しだけ不安になった。
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特にインテリアにこだわってはいない1Kの部屋。無難な色を組み合わせただけの空間に入ったゾロは、もの珍しげにぐるりと部屋を見渡す。
「綺麗にしてんだな。」
「散らかるとめんどくさいし…」
「でた、めんどくさい。」
ベッドの脇、テレビの向かい側の位置に腰を下ろしたゾロは、悪戯っぽく笑う。自分のテリトリーの中に、彼が居るというのは不思議な感じがした。
彼はテレビの棚に並べられた食玩コレクションを、「なんだこれ」とまじまじと眺め始める。触っていいものなのか、迷っているようだ。
自宅でみるゾロの姿に緊張しつつ、イオナはデザインの違ういくつかの皿に買ったばかりのおつまみを開けていく。
もちろんグラスも皿も揃ったものはない。誰も招かないのだから当然と言えば当然だ。
それらを低いテーブルに並べ、彼の隣に腰を下ろす。缶ビールの入った袋を横に置いたイオナは、そこから二本取りだし彼に一本差し出した。
「そのままだけど…」
「おう。」
二人は各々プルタブを持ち上げる。プシュッと景気のいい音が部屋に響く。どちらからとも言わず、缶と缶とぶつければ、当たり前に乾杯の声が重なった。
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最初の一本のペースが早かったせいか、はたまた疲れのせいか。酔いが回るのが早い。それでも飲み続けるのは間がもたないから。
「なんか意外なとこだらけだな。」
感慨深げに呟いたゾロもまた缶を口に運ぶペースが早い。帰り道こそ饒舌だったが、飲み始めてからはほとんど喋っていなかった。
「なにが。」
「イオナが。」
「どこが変だった?」
「変とは言ってねぇよ。」
「じゃあなに?」
「お前、酔うとめんどくさがれるタイプだろ。」
「そんなことないけど。」
眉を寄せ、首を傾げるイオナを見てゾロは困ったように笑う。テンポのいい会話は、圧倒的にイオナの語調が強い。ゾロからすれば絡まれているように感じてもおかしくない調子だ。
「だいたいどんなイメージを持たれてたのか知らないから、わかんない。そんなこと言われても。」
「まぁ、確かにそうだわな。」
ずっと自身の手元に向けていた目を、ゾロへと向ける。視線が噛み合うと、サッと目をそらされた。
「もともと悪いイメージはなかったんだぜ。けどどっか取っ付きにくいっつーか、掴み所も見つからない、周りを寄せ付けない感じが強かったんだよ。ちょっと生意気そうな空気も出てたし。」
「生意気とか失礼な…」
「けど、話してみたら案外かわいいとこも多いし、なによりすげぇ居心地よかった。話してて疲れねぇし、おもしろい生き物飼ってるし…」
生き物は関係ないだろ。
思わず胸中で突っ込むが、そんなことはおまけだ。居心地がいいと言われて悪い気はしないし、単純にうれしかった。
「今は私のこと掴んだ気でいるの?」
酔った勢いでつい聞いてしまう。さすがにこの質問はまずかったのか、ゾロは少したじろいだ。
「んなこと言ってねぇよ。けど…」
「けど?」
「距離が縮んでる自信はある。家まで上がっちまったし。」
照れているのだろうか。こんな歯切れの悪い物言いをする彼は珍しい。
「ゾロが初めてなんだよ、ここに来たの。」
「まじかよ。」
「大まじですけどなにか?」
目を伏せたままの彼は「いや…」と小さく呟いた後、口角を持ちあげた。
油断したらとろけてしまいそう。
「彼氏とか来たことねぇの?」
「別れ話が拗れて、待ち伏せとかされたらキツいでしょ?だから絶対に家の場所は教えないの。」
「ふーん。じゃあダチとかは?」
「友達が別れた男にバラしちゃうかも知れないから教えない。女の子って付き合う男で変わっちゃうから気が抜けないし。」
自分は何をベラベラと喋ってるんだろう。このままでは暗に「あなたは特別です」と匂わせているのと変わらない。あざと過ぎるじゃないか。
もちろんそう気がついた時にはすでに遅い。
「待て、じゃあなんで俺は…」
「逆に何でだと思う?」
「俺に聞くなよ。」
ゾロの頬が少しだけ赤いのは5本目のビールのせいか。酔っぱらっているのにハッキリしている頭は、中途半端にしか状況を読み取れない。
あからさまに目を合わせようとしないゾロ。彼は誤魔化すように、缶を口に運ぶ。その横顔も、上下する喉仏も、ごつごつした指も、全部がかっこいい。
ぼんやりした肌に淡い熱が駆け巡る。
「やっぱ、勘違いじゃねぇよな。」
「何が?」
「俺と似てる。」
「誰が?」
「イオナが。」
急に大真面目な顔して何を言い出すのか。「嘘だぁ。」とクスクスと笑うイオナをよそに、ゾロは一気にビールを煽った。
しばらく無言のまま二人してビールを飲み続けた。このまま昏睡してもいい暗いの心構えで、飲んでいたイオナはいろいろな面において鈍くなっていた。
「ねぇ、聞いていい?」
「ん?」
「どうして彼女の浮気わかったの?」
無邪気に訊ねる彼女をどう思ったのか。ゾロはまた困ったように笑ったあと、イオナの頭の上にポンッと手のひらを乗せた。
「あれは浮気じゃねぇから。」
「へ?」
「本気だから隠す気もねぇんだよ、どっちも本気。だからわかってほしいみたいなことだろうな。」
「そんなの…」
「わかんねぇだろ。俺にも理解できなかった。」
全くもって堪えてないような口調だが、そんな交際の仕方をされて、それでも傷つかない訳がない。
「向こうに大切にしてもらえつったら、泣いてすがるから余計な。意味わかんなくなったわ。」
理不尽な話すぎて、言葉もでない。きっとゾロもまだこ困惑しているのだろう。少しだけ複雑そうな顔をしていた。
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