一途な君のこと | ナノ

立ち上がろうとしたイオナの腕は引き寄せられ、そのままゾロの方へと倒れこむ。突然のことに驚いた彼女は小さく悲鳴をあげ転倒を拒んだ。その結果、身体はベッドへと投げ出された。

反射的に身体を起こそうとするが、乱暴に肩を押され仰向けにベッドに押さえ込まれる。頭の横、マットが沈んだのは彼が腕をついたからだろう。

「逃げるな。」

ゾロは低く唸る。眼前に迫った彼の表情からは感情を汲み取ることができない。眉間に寄ったシワも、こめかみの青筋も、小さく舌打ちを漏らした唇も。

普段とは異なる乱暴な動作と、鋭い視線にイオナは息をつめる。

「なんで俺を避けた?」

「いや、別に…」

「答えろよ。」

なにかいわないといけない。それなのに言葉が出ない。その代わりに熱いものが込み上げ、鼻の奥をツンとさせ、目頭をじんわりと濡らした。

避けていたつもりはない。

でも、傷つかないために、やり場のない感情をぶつけてしまわないために、一定の距離を保とうとしていたのは事実。

でもそれを伝えてもいいのだろうか。

もし伝えてもかまわないとしても、どれを言葉にすればいいのかわからない。どこまでなら吐き出していいのかわからない。

一度口火を切ってしまえば、余計なことまで言ってしまうのでないか。

考えれば考えるほどにグルグルするばかりで、結果的には彼の求める答えを口にする余裕など生まれない。

「ごめん、なさい…」

「謝れなんて言ってねぇよ。」

「でも…、だって。わかんないんだよ。」

どうしても伝えられない。言いたくない訳じゃなく、言えないだけ。不器用な自分に対するもどかしさに、胸が締め付けられる。

「そんなつもりなんてなくて。ただ、見ちゃったから。着信画面に、名前が。でも、そんなの追及出来ないから……。」

ぐちゃぐちゃだ。頭の中も、心も、顔も、全部ぐちゃぐちゃで、なにもかもめちゃくちゃで。

「別にわざとみた訳じゃないのに、罪悪感だらけで、それでも、気になって…、」

言葉の途中で、胸板にトスンと重みが乗っかった。視界からゾロの姿は消え、代わりにギュッと身体が締め付けられる。

「俺が悪かった。」

首筋に熱い息がかかり、それ以上を遮った掠れ声が鼓膜を揺らす。本当はもっと伝えたい。けれど、しゃくりあげてしまって言葉が続かない。

きっとゾロはそれを悟ったのだろう。
宥めるように、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「着拒はしてたし、番号も消してた。けどアイツ、2台スマホ持ってたみたいなんだよ。もう一つの存在なんて知らなかったし、当然、番号なんて聞いたことなかったし。けど、登録されてたんだな。それに気がついたのはあの日で、五十音順ですぐ出ねぇように名前の前に記号入れてあって、だから知らなかった。わかってすぐ消したから、もうデータはねぇよ。」

坦々と話しきった彼は、一拍の間を置いて、少しだけ困った風に「なんなら番号変えたっていい。」と付け加えた。

「そこまでしなくてもいいよ。」

「でも嫌なんだろ?」

「別に、嫌とか、そんなんじゃなくて…」

顔をみなくてもいい会話は幾分か楽だ。ゾロの声音も、いつものからかい混じりのそれに戻っている。その口調を耳にした途端、あのいつもの笑顔がポンと頭に浮かんで、不安で澱んでいた心が晴れやいだ。

恋しいと思うのは自然なことで。
どんなに感情を押し殺しても消えない感情で。

互いの胸元で互い違いの鼓動が交差する。腰に腕を回してみると、思った以上の厚みがあった。ギュッとするとおなじだけの力が返ってくる。自然と涙は止まっていて、口元が綻ぶ。

「でも、ちょっと嫌だっただけ。」

「ほら、やっぱ嫌だったんじゃねぇか。」

「勝手に画面見てごめん。」

「見えたんだろ。しゃあねぇよ。それより─」

さらに強く抱き締められ、息苦しくなる。それでも不快に感じないのは、相手がゾロだから。負けないくらい腕に力を込めると、彼はフッと息を吐いて笑い続ける。

「黙ってられる方が辛ぇんだけど。」

「ごめん。」

「別に責めてねぇよ。ただ、…いやっ。やっぱなんでもねぇわ。」

照れ臭そうに言葉を濁すゾロに、あえてそれ以上問いかけない。

こうして正面から抱き締められるだけで充分で、ありきたりの言葉よりもずっと安心できる。どんな台詞よりも価値があるように思えた。

瞼を閉じて呼吸のリズムを感じる。彼の安堵したように吐いた熱い息が、首筋にくすぐったい。

「ゾロ…」

「ん?」

「なんでもない。」

「そーかい。」

言い逃した。否、あえて言わなかった。

もう少しだけこうして抱き締めていて欲しいから。
もう少しだけ鼓動を重ねていたいから。
もう少しだけ今の体温を感じていたいから。

それ以上のことをしなくても充分に幸せで…。

離れるなんて無理だ。
誰かに譲るなんて無理だ。
諦めるなんてできっこない。

込み上げてくる感情は口元を綻ばせ、涙を誘う。泣き笑いの顔を隠すために、その体温にずっとすがり付いていた。

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