一途な君のこと | ナノ

時の氏神もどき

イオナとエリカはフロント業務をこなしているため、顔を合わせるきっかけがない。

インカムで互いの声は確認しているが、業務連絡用のそれで不満を垂れ流す訳にもいかず、ゾロは淡々と仕事をこなしていた。

イオナはともかく、エリカには聞きたいこと、言いたいことがたくさんある。

店内は適度に忙しいが、その感情が冷めてしまうことはない。むしろ、忙しくなるほどに、エリカの慌ただしい空気をちゃかすような言葉や口調に不満は増幅していた。

だからと言って、仕事をサボれる訳でもなく、ゾロはせっせと空室となった部屋を片付ける。基本的に夜の客は酔っぱらいが多いので、めいいっぱい部屋を散らかしている場合が多い。

隅々まで確認しておかないと、のちのちクレームに繋がることもあるためソファの後ろまで確認していたゾロだったが。

インカムから聞こえるイオナの不安げな声によって、掃除に注がれていた意識が削がれた。

『料理、出せてますか?』

『あの、ごめん。何を急げばいい?』

『クレームは入ってないから。まだ大丈夫。』

彼女の声に反応したのはやいやいくんだ。きっといっぱいいっぱいなのだろう。落ち着き払ったイオナの声に対して、彼の声はずいぶんと弱気で頼りない。

イオナは彼がそうなっていることを見越して、あえて声をかけたのだろう。

ゾロは胸中で「またか」と思いつつ、丁寧に行っていた部屋の点検を終わらせる。

向かう先は1つだ。

掃除用の台車を従業員専用通路に押し込み、階段をかけ降りる。案の定、厨房はてんやわんやで、やいやいくんは青い顔をしていた。

スタッフからの強烈なアプローチがなくなったところで、彼は彼だ。きっと急な流れを上手く受け流せない性分なのだろう。

「さっきまでのテンションはどうしたよ。」

伝票を指折り数えるやいやいくんに、ゾロはからかい交じりに声をかける。彼はビクッと身を震わせたあと、酷く困った顔をした。

「茶化さないでくれよ。今、作らなきゃならないものを確認してるんだ。」

「その間に揚げもん放り込めるだろ。なんでいちいち数字ばっか確認してんだよ。」

「だって…」

「でももだってもあるか。やれねぇなら俺が変わる。」

「でも…」

「忙しいのは慣れてるし、無駄に頭下げることになるよりかマシだろ。」

優柔不断な男は本当にめんどくさい。イオナを口説くときだけ判断力に優れ、積極的になるのはなんとかならないのだろうか。

やいやいくんは戸惑いながらも厨房から離れる。少しだけ悔しそうなのは、それなりのプライドがあってのことだろう。

「俺に一生かけて感謝しろよ。」

冷やかし交じりに声をかけるとムッとした様子で、厨房から出ていった。そのタイミングで、ゾロはフロントの二人に向かって声をかける。

「どっちか上がってこい。」と。
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予想通り、上がってきたのはエリカだった。

まだ満室ではないこの時間にフロントを一人で回すくらいなら、厨房で慌ただしく過ごす方が楽だと考えたのだろう。

二人ともどちらの業務もそつなくこなすが、得意不得意はあるらしい。

エリカは不満げな面持ちで厨房に入ってきたかと思うと、サッと手を洗い、ほどよい色合いとなった唐揚げを油からあげる。そのタイミングでセットしてあったタイマーがなるのだから、彼女の判断は絶妙だ。

「なんで手伝わなきゃなんないの?」

「やれるだろ?」

「フロントスタッフで回しなさいよ。」

「他に出来そうなヤツいるか?」

「いないけど。」

ぶつくさと不満を言いながらも、エリカは唐揚げを油が切れた順に皿に盛っていく。そのついでに、ゾロがバサッと皿に乗せていただけのサラダ菜の位置を調え、呆れたように「センスってもんがないわね。」と悪態をついた。

「人にバイト押し付けて合コンやるだけあって、お前はセンスに溢れてんな。」

「それ関係なくない?」

「関係なかったとしても、俺に皮肉言われんのは甘受しろよ。昨日のはサボりだろ。」

「違うわよ。あれだって重要な買収なの。」

「なんだよそれ。友情が腐敗してんぞ。」

「はぁ?あんな奴ら最初から友達じゃないっての。」

二人はそれぞれのやるべきことをこなしながら、会話を続ける。内容が内容なだけに声のトーンは落としてあるが、その手が休まることはない。

「んなこと言って、アイツらのためにぶちギレてたろ。仲間意識とか持ってんじゃねぇのか。」

「ないない。そんなのあるわけないじゃない。」

出来たものから手の空いているスタッフに運ばせる。ところどころ会話を休みながらも、エリカはろくでもない本心を淡々と吐き列ねる。

「あぁやってキレとかないと、私が怒ってる理由が"悪口言われたから"みたいになっちゃうでしょ?そしたら噂が本当だったと思われかねないし。イメージを塗り替えるならインパクトは重要よ?やるなら徹底的にやっとかないと。」

「…用意周到だな。」

「イオナに纏わる噂もガセで、悪いのもアホなのも屑なのもケバ子一択。本物の敵はケバ子!状態にまで持ってってこその正義ってもんよ。」

ドヤァと得意気に語っているが、言っていることは酷いことこの上ない。確かに、ケバ子に騙されて危ない橋を渡りかけていたスタッフからすれば、エリカは救世主だろう。

おまけに合コンまで開いてくれてたとなれば、彼女の株は急上昇だ。

まさかその優しさの全てが、買収であるとも知らずに両手離しで喜べる女スタッフたちは愚か者なのか、幸せ者なのか。

「おかけで身の潔白も証明できたし、手駒も出来たし、彼氏も出来たし、一石三鳥。幸せいっぱい夢いっぱい。」

「お前、怖ぇよ。」

本当に夢は広がったのだろうか。若干やりすぎな気もするが、指摘したところで、満足げなエリカの気分を害するだけだ。ゾロはなにも聞かなかったことにして、せっせと卵をかき混ぜてる。

盛大な喧嘩のおかげでイオナに纏わる誤解は解けた上に、それぞれに男が出来たなら、変なやっかみや嫌がらせもないだろう。

やっと平穏を取り戻した。

もともと平穏だったかと言われればよくわからないが、イオナがゴタゴタに巻き込まれなかったことだけをみれば『よかった』としか言いようがない。

ただひとつ言えるのは、エリカの親切は簡単に受け入れてはいけない。ということ。

「今度やいやいくんにジュエリー買ってもらおうと思うんだけど。」

「勝手にしろよ。」

「そうよね。それくらいしてもらってもバチは当たらないわ。」

サンドウィッチとフラペチーノを奢らされたり、バイトを押し付けられるだけで済んでいる自分は、ずいぶんと良い待遇を受けているのかもしれない。

この数時間後にやいやいくんから「助けてくれ!」の声がかかることを知らないゾロは、上機嫌なエリカにシラケた視線を向けた。



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