酔っ払いも悪くない「ほら。もうやめとけよ。」
「らいじょーぶ、らいじょーぶぅ…」
溜め息混じりのゾロの声に、イオナは呂律の回らない口調で返事をし、顔の前でヒラヒラと手のひらを振る。
なんでコイツはいつもこうなんだ。
後ろ首に手を当て、眉間にシワを寄せたゾロは胸中でぼやく。
酒癖の悪さももて余すところだが、なにより問題なのは、彼女から溢れだす甘ったるい雰囲気。
妖艶とはほど遠いが、それでもどこか色っぽさがあり、その禍々しさにほだされそうになる。
だらしなく投げ出された脚。裾のめくれたスカートから覗く真っ白な太ももや、シャツの襟元からチラチラうかがえる黒いブラの装飾。とろりと濡れた瞳と、甘い息を漏らす唇。
言い出したらキリがないが、とにかく視界に入るなにもかもにひたすら警告音を鳴すしかない。
そんなゾロの緊張も葛藤も露知らず、イオナは小さなグラスに注がれた淡褐色の酒を口へと運ぶ。
もうやめておけと何度声をかけても無駄だった。
ちょっとしたことがきっかけで始まった宴はすでに終盤──というより、甲板に残っているのはゾロとイオナの二人だけ。
他のクルーたちは各々のタイミングで寝室へと引っ込んでおり、この二人が床に就いていなくともすでに宴は終わっているも同然。
いつまでも甲板で飲み続ける必要はないのだが、二人はこの場を動くことなく酒を煽り続けていた。
「ほら、俺ももう寝るから。」
「そんなことないよぅ。ゾロはまだ飲めるに決まってる〜」
「また吐くぞ。やめとけ。」
「やだやだやだ〜」
彼女の酒癖が悪いのは性というヤツだろう。ただ、きっかけを作ったのは自分であることをゾロは重々承知していた。
=====
数か月前
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暇をもて余したゾロはイオナに飲み比べをしないかと声をかけた。
ぶっちゃけ相手は酒にさえ強ければ誰でもよかったのだが、ナミを誘うとサンジがうるさいからくらいの理由で彼女を選んだのだ。
『のみくらべ?』
『おう。お前強いんだろ?』
『強いって言うか。一定量までは酔わないってだけで…』
『ばーか。それを強いつーんだろ。』
不安げな表情で飲み続けるイオナ。彼女のグラスが空になるたびに酒を継ぎ、結果的には吐くまで飲ましてしまった。
2、3日二日酔いで床に伏していた辺り、本当にしんどかったのだろうとは思うのだが。
あの日から、イオナはあからさまに酔っぱらうようになった。
一度そういう姿を晒すことで、"酔っ払ってはいけない"という自制心が解かれ、わりと開放的な心構えとなったようだ。
もしかしたら最初の頃に全く酔わなかったのは緊張からくるもので、酒に対する耐性があるなしの問題ではなかったのかもしれない。
今となってはなにが原因かなんてことはどうでもよく、問題は酔っ払ったイオナをあしらうのが非常に難しいということだった。
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現在
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「ほら立て。歩けるだろ。」
どうしようもない。言い聞かすのを諦めのっそりと立ち上がったゾロは、イオナの細腕をグイグイと引っ張る。
引きずっていくのは可哀想なので、せめて立ち上がってくれたらと思うのだが─
「抱っこ〜」
──彼女にそんな気はなく、猫のようにまとわりつき甘えてくる。両腕を左右に伸ばすそのポーズは酔っ払いの目には毒だった。
「………っ、するかよ!ばかか!!!」
「なになに?照れてるの?」
彼女はゾロが動揺したのを悟ったのか、ニタァとした無垢すぎる笑みを浮かべ顔を覗き込む。
そういう一つ一つの仕草に悪意はないのだろうが、本当にこの女は…。とぼやいてしまいたくなるのは許してほしい。
「あのなぁ…」
「ゾロぉ、ギュッして。」
「は?」
「前みたいにギュッして。」
前っていつだ?と聞きかけてやめた。
そういえばこないだ偶然でくわした海軍と戦闘になったときに、イオナを抱き寄せたような気もしないでもない。
そと時は腰を抜かしていた彼女を護るために咄嗟にとった行動であり、決して下心があったわけではないので照れる余裕もなかった。
ただ今回は違う。
今抱き締めれば、あからさまに"そういう雰囲気"になってしまうではないか。
歯止めが効かなくなるのが一番怖い。
自制心がどれだけ強くとも、理性を保つことをやめてしまえば一瞬だ。
それでなくても酒が入っているし、イオナを気にかけている自分を意識し始めたばかり。
判断を誤るなんてなにもかもが危険過ぎる。
「ゾロ〜?聞いてるぅ?」
「ぁあ…。なんだ?」
すっかり意識が飛んでいて、腕をグイグイと引っ張られるまで投げ掛けられ続けていた声が聞こえていなかった。
視線を落とし彼女へと目を向けると、真っ青の顔。嫌な予感はしないでもない。
そしてもちろん。
「あのね、吐きそ…うぷっ」
「待て、甲板で吐くな!芝生を汚すな。立て。今すぐ海に顔向けろ。」
「うぐぅ…」
立ち上がる気力も無くなるまで飲むなんて、どうかしてるだろ。
口元に手を添えて俯くイオナを慌てて抱き起こし、海面へと顔をむけさせる。
このまま聞こえてくるであろう吐瀉音から耳を塞ぎたくなるが、身体を支えておかなくてはならないためにそうはいかない。
顔をしかめて遠くをみたゾロの鼓膜を期待通りの気分を害する音が響くことはなく、頬に感じた温い熱。
「ちょ、お前…」
「へっへぇん。嘘っぴー。」
「嘘っぴーじゃなくて…」
薄暗い月明かりの中で、イオナは微笑んでいた。今しがた頬に触れたのが、その艶やかな唇であることは間違いない。
「お前は一体…」
「好きだったよぉ、ゾロ。」
まるで色気のない告白だった。それでも、聞き流すことなど出来ない真っ直ぐな台詞が胸を締め付ける。
動揺など悟られたくないと、咄嗟に思ってしまうのはかっこつけたいからだろう。
「だった。って、なんで過去形なんだよ。」
「んー。なんでだろう…」
ぽわわんとした口調が鼓動を速める。
頬から広がった熱の波紋は耳まで伝わり、頭の中は思考を遮るモヤに覆われ、視界が淡くぼやけた。
それもこれも酔いのせいだと誤魔化しながら、それでも確実にイオナは心の中に入り込んできて。
「ゾロぉ、寒くなってきたねぇ。」
「いやいや、ずっと寒いわ。」
「そーなの?」
慌てて目をそらしても、爪先だって顔を覗き込まれればどうすることも出来ず。
おもわず口から溢れるのは嘆いているのか、ぼやいているの変わらない「あぁー。」という声。
少しだけ。
そうだ、ほんの少しだけ。
酔いのせいだと誤魔化しながら、ほんの少しだけ身を屈める。ほんのわずかに顔を近づけただけで、やわらかな温もりが唇に押し当てられた。
途端に流れ込む高揚感。
重ねるだけの口づけでは物足りなくなりそうで、彼女の唇から息が漏れたのがわかり慌てて顔を離した。
甘えるような視線から目を反らし、唇を腕で拭うけれど、その行為にはなんの意味もない。彼女の感触は確実にそこに残っている。
「ゾロぉ、ごっちそーさん。」
こっちはいろいろと必死だってのに、コイツはどうしてこんななのか。
胸中でぼやき、溜め息をついた後、ゾロは笑う。
「それ、俺の台詞だろ。」
「んー。そうなのかな?」
まるで夢でも語るような、ふんわりした声をあげるイオナの腕を引いて踵を返す。
「部屋戻るぞ。風邪引く。」
「待ってぇ。歩けない…」
「どうせそれも嘘だろ。ほら歩け!」
「嘘じゃない〜」
駄々を捏ねるイオナはどこか嬉しそうで、だから余計に腹が立って、照れ臭い。
それでもきっと酔いが覚めればこのことを忘れていて、彼女はけケロッとしていて。
自分さえ気にしなければ問題はない。
いつも通り、これまで通りに過ごせるだろう。
だから、気にすることなんてない…
気にしちゃダメだ。
言い訳みたいに何度も繰り返す。
それでもわかっていた。
もう気にしないでいられるわけがないと。
だからこそあえて繰り返す。
「気にすることなんてない」と。
END
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