ゾロ短編 | ナノ


他人のもの

「ねぇ、ねぇってば。」

熱心にダンベルを持ち上げるゾロの隣で、イオナは嬉々とした声をあげる。

「昨日のアレ観た?ムキムキの芸能人がさあ…」

学校の敷地内にあるジムといえば聞こえはいい。けれど、全盛期の運動部のために作られたそこは、進学校として名を上げた高校には不必要なものとなり、忘れ去られた空間となっていた。

物置のように薄暗くて、湿っぽくて、かび臭い。ついでに男臭くもあった。

それでもイオナがこの廃墟に足蹴なく通うのは、一目惚れした彼がここにいるのが当たり前だったから。

反応のないゾロにただひたすらに話しかける。

毎日、毎日、その無反応の理由を知っていながらも、ただ汗に濡れた横顔を見つめるためだけに、イオナは意味もないことを言葉にする。

痺れを切らしたその人が唇を開くまで。

そして今日も、案の定ゾロは溜め息をついた。

「うっせぇなあ。」

「でも!でもさあ。ダンベル持ち上げるだけなんて退屈でしょ?」

「ちゃんと数を数えてんだよ。何度言えば…」

「あうあうあー。聞こえなーい。」

イオナが耳に手を当てて首をぶんぶんと振ってみせると、ゾロは固く結んでいた口元を少しだけほころばせた。その表情に嫌がってる風はいっさい感じられない。

なんだかんだ言って、子供っぽい女の子がタイプであることはすでにリサーチ済み。イオナが得意気な顔をすると、彼はハッとしたように視線をそっぽへ向けた。

(しめしめ。)

今度はイオナが頬を緩める番だ。

毎日こうして過ごしているうちに、ゾロの意識が自分に向き始めていることは空気で伝わってくる。恋愛における洞察力には自信があった。

本命の『あの娘』なんかより、傍にいる時間をずっと長くして、少しずつ、自分の存在を浸透させて。

「なぁ、イオナ。」

シレッと呼び捨てられた名前。鼓膜を揺らす優しい響きに、心臓がトクントクンと鼓動を早める。いつだって無愛想で優しい。その絶妙なバランスはどうしたって癖になる。

もっと顔がみたい。イオナはソッと立ち上がる。スカートについた砂を払い、ゾロの正面へと移動すると、彼は慌てて視線を伏せてしまった。

チラチラと様子をうかがうような視線がもどかしい。無言の十数秒は駆け引きの時間。それを煩わしく感じたのかゾロは低く呻く。

「お前、やることねぇのかよ。」

「あるよ。」

「だったらなんでこんなところで…」

「だって、ゾロがいるんだもん。」

恥ずかしげもなく、不満げにそう呟いてみせると、ゾロは視線を上げ、どうしていいのかわからないといった顔をした。

チャラそうな見てくれに似合わず、女の子の扱いには不馴れで、とってもうぶで。それ故に丁寧で、繊細で。だからこそ惹かれてしまう。欲しくなってしまう。

「昨日、カノジョにキレられたんだよ。」

「へぇ。」

「毎日ここでお前となにやってんだって。」

言いづらそうなのは、話の内容が内容だからか、それもとダンベルが重いからなのか。そんなことは考えなくてもわかるけれど、あえて気がつかないフリをして軽く反応してみせる。

「ふーん。で、なんて答えたの?」

「知るかよ。って。」

「で?」

「すげぇ泣くから、どーしたもんかと思って。」

「へぇ。」

仲直りするためのきっかけを探しているのか。ゾロは困ったように肩をすくめる。ぶっきらぼうに答えるからダメなんだよなんて、教えてあげない。

なにも言わないでいると、ゾロは大きく溜め息をついた。アドバイスのひとつでもしろよと言うことなのだろうけれど、気がつかないふりをする。

「女ってめんどくせぇよな。」

「そうかな?」

「キレたと思ったら急に泣きだすし、あやそうとしたらさらに怒りだして…。」

恋人の存在をもてあまし始めている。傷つくゾロのことを少しだけ可哀想に思いながらも、イオナはただうんうんと相づちを打ち続ける。

したたかさを忘れてはいけない。
横恋慕の鉄則はいつだって冷酷であること。

絶対に落とさなくてはいけない。
例えそれが他人のものであったとしても。

「私にしときなよ。」

そう言える日がくるまで。

end.


prev | next