大好き「痛い。」
ポツリと呟いたイオナの頬に触れているのは、刀の鞘。もっと状況を明白に説明するとしたら、ゾロの腰に差してある鞘の先端が、わずかに紅潮した柔肌をぷにゅりと押し潰していると言った方がいいかもしれない。
ささやかな揶揄に憤り、勢い任せに斬りかかったゾロと、負けてなるものかと受けて立ったサンジ。その双方に目配せをしながら、イオナは少しだけ困った風に笑った。
普段のゾロとサンジなら、がむしゃらに攻防を繰り返し、ナミに雷を落とされるのが定番だ。けれど、今は違う。鞘に突かれたばかりの頬を擦りつつも微笑むイオナの横顔に、刀と靴底を交えたままに静止している。
どちらか一方が引けば、もう一方が痛手を負う。そんな素人喧嘩をしていたわけじゃない。
双方アホではないので、引こうと思えばいつでも引ける。それでもそのままの体制をキープしているのは、仲裁の声が余りに場違いだったから。
呆気に取られるとは、こういうことを言うのだろう。
そんなどうしようもない雰囲気の中、イオナはゆったりとした調子で言う。
「不意打ちだったので、面食らいました。」
「あぁ…、そ、そうか。つか、悪かった。」
「いえ。」
ゾロとイオナの間に、なんとなく和やかな空気が流れる。申し訳なさと困惑が入り交じる表情が、のほほんとした笑顔に晒されているせいで、完全に攻撃性は失われていた。
最短距離で憤慨した直後に毒気を抜かれたせいか、どうしていいのかわからない。そんな様子で、ゾロは口角をわずかに持ち上げる。
サンジにおいては、「かわいいイオナちゃんが面食らったつってんだろ!反省しろ!」とのたまっているが、原因の一角を担っている男の言うことではない。
イオナはちょこんと小首を傾げて、サンジへと顔ごと視線を向ける。そのやわらかな眼差しに晒されたせいだろうか。彼は野次を飛ばしていた口を閉じた。
「サンジさんってば、ツンデレなんですから。」
「ツン、…デレ?」
「えぇ。」
イオナはにっこりと微笑む。壮絶な喧嘩を始めようとしていたことなどなかったかのように、やわらかな笑顔を向けられたので双方どうしていいのかわからない。
ただ、イオナの放った『ツンデレ』という単語の破壊力だけはすさまじく、ゾロは静かに目を細め、サンジは困惑ぎみに受け答えする。
「だってそうでしょう。ゾロさんのお誕生日に、ゾロさんの好物を作って差し上げて、ケーキまで用意していたじゃないですか。」
「それは…」
決してサンジの意思ではなかった。料理も、ケーキも、ナミの指示だ。なにより、ゾロはケーキのような胃が重くなるような甘い食べ物は好きではない。
ケーキにおいては、嫌がらせととらえられても仕方がない代物だ。けれど、少なくともイオナはそうとらえなかったらしい。
「いつもいつも皮肉を口になさるのは、誘い受けというヤツなんでしょう?かまってほしいあまりに、辛辣なことを言ってしまうだなんて…」
ゆったりとした口調で紡がれる言葉たちには、一見、毒気はない。けれど、その意味を深く考えるほどに、違和感を覚えざるをえない。
ゾロとサンジは一度顔を見合わせたあと、イオナの放った言葉の意味を考え直す。そして、どうしようもないほどの吐き気に襲われた。
「イオナちゃん、あのね…」
「素敵ですね。」
「なにが…」
「今の息のあった目配せ。とっても、リアルです。」
「……………。」
何をどう勘違いすればこんな発言に繋がるのか。ゾロもサンジも、不本意ながらに嫌なことを想像してしまい、さらなる不快感に晒される。
「俺、部屋に帰るわ。」
「夕飯の仕込みが…」
ゾロは刀を引き、サンジは足を下ろす。背を向けあった二人を交互にみて、イオナが頬をポッと染めたがそんなことには気がつきたくない。
「どっちがどっちなんでしょう。」
二人が部屋をあとにした後、そこに残されたイオナは独り言のように呟いた。それに答えるように、ゾロと入れ違いに部屋に入ったナミがいう。
「なにいってんのよ。リバに決まってるじゃない。」と。
「あぁ、確かに二人とも……うん。そうですね。」
うっとりした様子で、赤く染まった頬を押さえる。きっとその脳内では、生々しげな妄想が繰り広げられているのだろう。
「そんな。ダメですよ。まだ。」
イオナは幸せそうに、身をくねらせる。ナミはその様子をみて、ニヤニヤしていた。
その一方で、イオナの呟きを耳にしたわけではないゾロもサンジが、同じタイミング、それぞれの場所で大きく身震いしていた。
END
prev |
next