ゾロ短編 | ナノ


どのくらいこうしているんだろう。

小さなおちょこを手のひらで弄んでいたイオナは、一人黙々と酒を飲み続けるゾロへと視線を向ける。

何か会話があるわけじゃない。

けれどそこに居心地の悪さはなく、むしろ、なんとなくここに居ることが自然なような気がして、座り込んだまま動けないでいた。

今さらゾロの前で酒を飲むことを躊躇う必要はない。もうすでに一度、醜態を晒した挙げ句に、身体の関係まで持っているのだから。

イオナはおちょこに残っていた酒を喉に流し込む。最初こそ辛味が喉に痛かったが、すでに麻痺していて逆にその刺激が心地よく思えた。

空のおちょこを膝の上におろすと、無言のままお酌される。それは「もっと飲め」とでも言うようなテンポの良さであり、何か言いたげな表情のまま無言を貫くゾロからの、精一杯の誘導のようにも思えた。

イオナは険しい表情で酒を飲むゾロに訊ねる。

「したいの?」と。

途端に、ゾロはプッと霧吹きのように酒を噴いた。イオナはその反応に驚き目を丸くするが、同様に驚いた様子のゾロは手の甲で口を拭いながら、額を汗で濡らす。

「急に、何言い出すんだよ。」

「酔わせたそうにしてたから。」

「だからって、んなこと聞くか?普通…」

「だって、もうすでに普通な関係じゃないって…。」

言われたままの言葉を返すイオナに、その鉄仮面に焦燥を滲ませていたゾロは、苦々しい笑みを浮かべる。

それは呆れを含むものであり、同時にこの展開を楽しんでいるようにも見える表情だった。

「バカにしてんのかよ。」

「そうじゃない。でも…」

今のリアクションはちょっとおかしかった。そう言いそうになったイオナは、慌てて口を閉ざす。そう言ってしまった時点で、バカにしていることになるような気がした。

「でも、なんだよ。」

「なんでもないよ。」

「そんな風には見えねェぞ。」

ゾロはイオナの真意を探るかのように、目を細める。そんな表情をしたからと言って、本心を口にするはずがない。それをわかった上でそうしたのは、プレッシャーをかけるためだろう。

知らず知らずのうちに駆け引きが起こっていることに気がつくことなく、イオナは視線から逃れるように目を伏せる。

その隙をつくように、ゾロがイオナへと手を伸ばした。

脇に腕を差し込まれたことに気がついた時にはもう遅い。抵抗をする暇もなく、身体は簡単に持ち上げられる。あっという間に、ちょこんと降ろされたのは、ゾロのあぐらの上だった。

恋愛を覚えた女の子なら、誰もが憧れる体勢。

お互いの好意を確かめ合うためだけに存在する、スキンシップを楽しむための体位のようにも思えるのだが──想像していたよりも、ずっとイオナの心は"ときめかない"。

それでも─

座っている位置の関係から、わずかではあるが見下ろす側となったイオナは、ゾロを見下げる。

「あの…、んっ」

なにを言うつもりだったのか。躊躇いがちに開かれたその唇に、ゾロは自身のそれを押し当てた。

温い唇の温度も、舌が弄ばれる感覚も、嫌いじゃない。イオナは瞼を閉じて、それに応じる。口内に広がるアルコール臭すらも心地良かった。

どこからともなく沸き上がる安堵感。
その陰では不思議と落胆が蠢く。

それでも自問自答をする暇はない。心の隅で広がりつつあるその不純物を掬い取るように、イオナはゾロの首に腕を絡ませた。

ほんの数秒の口づけ。それで得られるものは少ない。

物足りなさを残したまま離れた唇の代わりに、ギュッと身体を抱き寄せられる。後ろ頭を押さえる手のひらで何度か髪を撫でられると、むず痒さと同時にホッとするなにかがあった。

再び瞼を閉じるイオナ。
その耳元でゾロは小さく呟く。

「謝んなきゃなんねぇことがある。」と。

それが無言で飲酒し続けていた理由なのだろうか。もしそうだとしたなら、可愛いところもあるなと思う。

「なに?」

「こないだ言ったこと。あれ、嘘だ。」

「……。」

イオナは何も言えなかった。というより、ゾロの囁く声の響きが妙に鼓膜に心地よく、自分の声でそれを上書きしてしまうのが嫌だったために、押し黙っていた。

そんな無言をどう捉えたのか、ゾロは続ける。

「ほんとは惚れてねェし、好きって訳でもない。」

「……。」

「でも、たぶん。大切には思ってる。どの程度って聞かれても、答えらんねェけど…。まだ頭ん中がゴチャゴチャしちまってて、俺は…」

ゾロはポツポツと本音を語る。

帽子を取るために柵を越えたイオナをみて、「死のうとしているのでは」と焦ったこと。強引にエッチをしてしまった後ろめたさから好意を口にしてしまったこと。

その両方が、自分の立場や面目のためではなく、イオナの存在を意識しすぎた結果であること。

「身体が勝手に動くっつーか、なんでなんだろな。俺自身、まだハッキリわかってねぇから…。」

よっぽど悩んでいたのだと取れる語り口に、イオナは口元を無意識にほころばせる。そして、首に絡めていた腕をほどき身体を離すと、ゾロの額に自身のそれをくっつけた。

そこを濡らしていたのは、緊張からくる冷や汗なのか、それともまた別物なのか。 イオナは思わず笑ってしまう。

それと同時に、こんなことくらいで、驚いた顔をするゾロはかわいいと思った。

「知ってたよ。」

「……?」

「嘘だって知ってた。」

「じゃあ、なんで…」

ゾロは目を丸くする。イオナは小さく肩を竦めるジェスチャーをした後、続けた。

「たぶん、嬉しかったんだと思う。」

「は?」

「嘘でも好意的な言葉がうれしかった。たぶん…」

意味がわからない。とでも言いたげな表情を浮かべるゾロ。その表情からは許された安堵というより、困惑の方が大きく現れていた。

「初めてだったから。そういうこと言われたの。別に言われて嫌になる言葉でもないと思うし…」

「そうか…」

「だから、謝らなくていい。」

「…わかった。」

ゾロはしつこく問い詰めるようなことはしない。まだ納得出来ていない表情をしながらも、イオナの言葉に頷いた。

なんとなくの無言。その時間を誤魔化すように、再び後ろ頭を撫でられる。数度上下した手のひらに力が込められ、促されるままに唇を寄せる。

チュッと短く重ねるだけの口づけのあと、鼻の頭をくっつける。そしてまた唇を重ね、舌を絡ませた。恋人同士がするような、甘い動作。

やはりどこかむず痒い。
でも、嫌だとは思わなかった。

ゾロは好きじゃない相手ともこんな風に出来るんだな。と、自分のことを棚にあげて考える。途端に、さっきと同じ落胆が胸中で澱みを広げる。

不思議で不思議で仕方なかった。
気持ち良いことをしているはずなのに、どうしてこんなにも胸を濁らせるんだろうと。

「イオナ?」

「なに?」

「嫌か?」

「うぅん、嫌じゃない。」

首を横に振ったイオナは、自分からゾロの唇に自身のそれを押し当てる。このまま行為になってしまっても構わないとすら思っていた。

けれどその口づけは、また短く終わってしまう。

「お前、俺のことどう思ってる?」

「え?」

「え?じゃねぇだろ。」

渇いた笑いは動揺からなのだろうか。ゾロらしくない質問に2、3秒呆けていたイオナは、慎重に言葉を選ぶ。

「好きじゃない。でも、こうしてると安心する。」

「それ、俺のこと好きなんじゃねぇの。」

「ちが……っ!」

違うと言いかけた唇は、ゾロによって塞がれる。他の人としたことがないのだから比べようはないのだが、この触れ合う感触が心地良いのは確かだった。

「否定すんなよ。」

「どうして?」

「モチベーションが上がる。」

呆けた顔をするイオナの頬にチュッと唇を寄せるゾロ。一見、たらし男のやり口のようにも取れるが、照れ隠しのようにも思えた。

「好かれてるって思った方が…、その、なんだ。……惚れやすい、だろ?」

「……。」

それはきっと、これから好きになる努力をする。という意味なのではないか。イオナはそう捉えたために、反応できないでいた。

「くっつくのは、たぶん、それからでいいはずだぜ。」

ギュッと抱き合っていながら、『くっつく』という表現はなんだかおかしい。けれど、その単語の意味を理解できないほどイオナはおバカではなかった。

「でも、それは、周りが許さないと思うな…」

「周り?」

「ゾロがサンジさんに話したんだよね?」

「……なっ!」

なんで知ってるんだよ。ゾロはそう言いたいのだろう。酷く動揺している彼の言葉を待たず、イオナは続ける。

「ナミちゃんにからかわれた。あんな脳みそ筋肉、どうやって落としたの?って。」

「な、なんでナミが!?」

ゾロがわなわなと震える。怒っているのか、羞恥に悶えたいのかよくわからない。

「やっぱり、ゾロ気がついてなかったんだ…」

「……?」

「サンジくんとゾロが話してる時、ナミちゃん、同じ部屋に居たんだって。」
…………………………………………………………………………

夕飯前。

イオナは生け簀の前でぼんやりしていた。特になにかやるべきことがある訳でもなく、なにかを考えているわけでもなく。ただ、ぼんやりとしていた。

そこにやってきたのは、笑いを堪えきれず肩を揺らすナミだった。彼女はイオナを見た途端、「あ、いたいた。」と意地悪く言った。

「どうかしたの?」

「どうかしたの?じゃないわよ。あんた、何時の間にアイツと寝たのよ。」

「………?」

全くもって意味がわからないと言った表情で、小首を傾げるイオナに対して、ナミは今しがた目にした出来事についておもしろおかしく話して聞かせた。

「笑いこらえるの大変だったんだから。」

「そうなんだ…」

「サンジくんも驚いてた。私がいる場所でそんな話されても困るわよね。リアクションに。」

「……。」

ナミのからかいの言葉たちに、顔色ひとつ変えずに耳を傾けるイオナは、なにを思っているのか自身の爪先を眺めていた。
……………………………………………………………………

現在。

「ナミちゃんにいろいろからかわれた。」

淡々と出来事を語るイオナのせいか、ゾロの反応がやけにオーバーに見える。ワシャワシャと頭を掻いたゾロは、頭を抱えたまま呻き声をあげている。

普段のどっしり構えた態度とは異なる、隙だらけのゾロの姿。それは妙に愛くるしく、見ていて飽きない。

しかし、それもある程度で収まり、5秒もすれば冷静さを取り戻していた。

「悪かった。」

「なにが?」

「からかいのネタ提供しちまって…。」

それでもやはり、悔やむ点はあるのだろう。ゾロは頭を抱えていた手を、イオナに回せないでいた。宙に漂わせたあと、だらんと下に下ろしている。

せっかく色っぽい体位でいるのに、反省や懺悔ばかりの二人。それをお互いがどう思っているのかはわからない。

イオナはゾロをギュウと抱きしめる。

「いいよ。」

「でも…」

「ちょっとだけ嬉しかったから。」

「は?」

「俺のって言われるの、悪い気しなかった。」

淡々と言い切るイオナ。途端にゾロが短く笑いを漏らす。はにかんでいるのか、呆れているのか。そんな曖昧な笑いに、イオナは胸中で首を傾げたのだが。

ゾロはそれを知ってか知らずか、ポツリと呟く。

「やっぱ俺のこと好きなんじゃねぇの。」

「それはない…」

「だから、否定すんなって。」

ゾロの浮かべた苦笑に混ざる甘さ。

それに引き寄せられるように、イオナはゾロの薄い唇に口づけた。



END









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