ゾロ短編 | ナノ


くず

朝焼けの空の光を浴びる展望室。
ずいぶんと幻想的な光景を前に、イオナは今にも泣き出しそうな声で呟いた。「酷い…」と。

布団と呼ぶには柔らかで、マットと呼ぶには弾力のないそれの上で、衣服を纏わぬ男女が二人。昨晩、いったいなにがあったのかなんてのは、いちいち確認しなくとも明白だ。

仰向けに横たわる男と、ぺたんこ座りをして胸元をシーツで隠す女。ほんの数分前に目を覚ました二人は、その瞬間からずっとこの状態だった。

「酷いよ…」

か細い声でイオナは繰り返す。

けれど、その言葉をぶつけられたはずのゾロは特に悪びれた様子もない。

「抱けつったのはそっちだろ。」

めんどくさそうにそう言うと、寝転がったまま床に落ちていたブラを拾い上げ、イオナに向かって投げつける。迷惑そうに、だるそうに。

飛んできたブラが、ぺちんと顔にぶつかる。酷く屈辱的にも思える仕打ちだが、彼女はそれについては何も言わない。

「だからって…酷いよ。」

込み上げてきた涙を必死で堪えている。そんな弱々しい表情を浮かべ、震える声で「酷い」と繰り返す。

「別に酷くもなんともねぇだろ。」

「でも…」

「俺がたぶらかしたってのなら謝るけど、勝手に抱かれにきたヤツに下げる頭はねぇよ。」

優しさなど一切感じさせない、素っ気ない物言い。ゾロらしいと言えばそれまでだが、イオナにとってそれは刃物よりも鋭く心を抉る。

「恨むなら、呑めねぇ酒を煽った自分を恨めよ。」

ブラの次はショーツだった。唐突に飛んできたそれは、顔に当たった後、ぽてりと膝の上に落ちる。

きっとゾロは「とっととそれを身に付けてどっかに行け」と言いたいのだろう。けれど、彼女はその意図を汲み取ろうとはしない。

「初めてだったの…に…」

グッと下唇を噛み、眉間を寄せて俯くイオナ。

絞り出すようなその声と本気の落胆を思わせるその仕草に、さすがのゾロもいたたまれ無さを覚えたのか、彼女からフイと顔を背ける。

「酔ってたから覚えてねぇかもしれねぇけど、俺は何度も確認したぞ。」

「そんなの…」

「知らなかったんだからしょうがねぇだろ。」

イオナ自身、自分が悪いと理解しているのだろう。ゾロの呆れたような、困ったような口調を耳にした途端、シクシクと泣き始めた。

二日酔い特有の頭の鈍さ。脳がふやけてしまったかのごとく、少しの振動が響いてくる。おまけに、胃の辺りに残るどんよりした感覚のせいで、呼吸をするのも億劫で。

けれど、なによりも違和感を覚えたのは、下半身。大切な人にしか触れられることはないと信じて疑わなかった、その部分。

よりにもよってどうして、ゾロなの…

ジンジンとした痛みは本物で、処女膜が裂けたせいか足を動かすとそこは微妙に痛む。

なにより、あられもない姿の自分に気がついたそのすぐ後、隣にいるのがゾロであると気がついた瞬間に、腰は抜けてしまっていた。

本来ならば、めんどくさがられている時点で撤退するべきなのだろうが、そうすることもできず──イオナはただシクシクと涙を溢す。

「泣くなよ、めんどくせぇな…」

「ごめん…なさい。」

どうして処女を捧げた相手に邪険されてしまっているのだろう。情けなさから、余計に涙が込み上げる。

私の理想の初体験は…

イオナは初恋の相手の顔を思い浮かべる。そうすることで、更に自分の心が壊れていくとも知らず、ただ、恋い焦がれていた相手の横顔を鮮明に思い出していた。
…………………………………………………………

イオナはこの船に乗った時、すでにサンジに恋をしていた。 一目惚れというヤツなのだろう。煙草をふかしながら、海を眺めるその横顔に心を浚われたのだ。

風になびくブロンドの髪。海からの照り返しを拒むかのように細めた目。煙を吐く度に色っぽく形を変える唇。

その全てに持っていかれてしまったイオナは、逆ナンのごとく彼に声をかけ、弾丸的にその船に乗り込んだ。

海賊になることにおいてのデメリットなどを考える余裕はなく、ただそばに居たい一心で追いかけてしまっていた。

それなのに…

いつか出逢える大切な人のために、キープし続けていた初体験。それを安易に、"捨てて"しまった。しかもその相手は、大好きな彼と犬猿の仲であるゾロ。

いくら酔っていたからといって、その事実は消しようがなく、こちらの記憶がなかったところであちらは全てを覚えているだろう。

考えるほどに情けなくなる。
自分の愚かさにも、間抜けさにも。

恥じらいや戸惑いに胸を高鳴らせることなく、あっけなく終わってしまった初体験。そこに夢などあるのだろうか。簡単に身体を開く女に価値なんて…

自己嫌悪と、自暴自棄。涙は崩壊したダムのごとく溢れてくる。

「もう泣くなよ。俺とヤったことなんて黙ってりゃバレやしねぇよ。」

「そうじゃなくて…」

「どうせ俺とのなんて覚えてねぇんだろ。だったら、処女と変わんねぇっての。」

励ましなのか、蔑みなのか。
めんどくさそうに吐き出された台詞に、イオナは奥歯を噛む。

起こってしまったことを、無かったことになどできない。もし、この初体験を無かったことにできるのならばそうしたいと思う。けれど、それは叶わぬこと。現に、処女膜は破れてしまっているのだから。

なにより、処女膜うんぬんより気持ちの問題でもある。

ゾロのこの言い様では、大切な人のために『処女』であろうとしたこと自体が無価値なものだと言われているようで悔しかった。

イオナは涙を堪える。

ゾロを恨んでもお門違いであるとわかってはいるが、それでも敵を作らないと心を保てない。自責の念に押し潰されてしまう。

無意識の内に心を守ろうとする力が働く中、ゾロは更にイオナを追い込むようなことを口にする。

「責任取れとか言うなよ。俺はお前の惚れてる男みたいに、フェミニストじゃねぇんだよ。」

「知ってたの…」

「そりゃあんだけデレデレしてたら…」

「全部知ってて、抱いたの?」

「全部?なんのこと言ってんのか知らねぇが、お前が女にゃ無差別なはずのエロコックに相手にされてねぇってことくらいは…」

ギュッと胸が絞られる。"端から見ていてもそうだったのか"と、改めて思い知らされる。薄々感じていたことであったとしても、ダイレクトに伝えられるのは虚しくて哀しいことだった。

感情の限界を越えてしまったのか、こらえなくても涙が出ない。押し黙るイオナをチラリとうかがい見たゾロは、躊躇いもなくあっけらかんとした調子で言う。

「俺としては、すぐにヤれてラッキーだったぜ。」と。

最低なことを言われていることは、もちろん理解できた。軽く見られていることも、下に見られていることも明白だ。けれど、そこに食って掛かる気力がない。

「そっか…」

イオナは溜め息をつくかのようにポツリと呟いた。キレられることを期待していたのか、ゾロは驚いた顔をする。

「なんで言い返さねぇんだよ。」

「どうして、かな…」

そう呟き、わずかに微笑んだイオナ。そんな態度に、ゾロが少しだけ嫌な顔をするがイオナは気がつかない。

「大切だったのに、大切にしてたはずなのに、なんかもうどうでもよくなっちゃって…」

「へぇ。」

「そんな程度だったんだよね。」

完全に壊れた。そう思われてもおかしくないほど、彼女の目は朗らかだった。さっきまでメソメソ泣いていたほと思えないほど朗らかで、霞んでいる。

そんなイオナを、しばらくの間まじまじと見つめていたゾロは、小さく舌打ちした後言い放つ。

「そんなだから相手にされなかったんだろ」と。

それは悪態のようであってそうでない。若干の後ろめたさのニュアンスを含む台詞だったのだが、それが伝わっているのかいないのか。

イオナは「ほんと、そうだよね。」と諦めたように微笑んだ。


prev | next