ゾロ短編 | ナノ


「な、なに?」

「別にイオナがこのこと忘れたいってんなら、俺も忘れてやるけど──」

(忘れたいどころか覚えてねぇよ!)

突っ込みそうになり我慢する。この言い方からして、ゾロは全てを覚えているのだろう。

いたたまれない。ほんとに…酷い。

「私さあ、変なこと言ってた?」

声が震えてしまう。もう、今にも泣いてしまいたい気分だ。視線はゾロの履いているスリッパの爪先へと向けたまま、あげることができなかった。

一拍の間の後に、腕を掴んでいた手が離れる。

きっとその手は今、うなじの辺りを雑に掻いているのだろう。それは学生の頃から、彼が困ったときにやるいつもの癖だった。

「変かどうかはわかんねぇけど、あれこれ愚痴ってたから、じゃあ別れろよって俺が言ったら急に電話し始めて…」

「電話…?」

「あぁ。たぶんあれ彼氏だろ?すげぇ酷く罵った後、私はもっといい男と付き合いますので。って捨て台詞吐いてたぞ。」

「なぁ、なぁ、なんでそれ止めてくれなかったの?」

思わず、バッと顔をあげて問い詰める。ゾロはやっぱり困ったような顔をして、首の後ろに手を回していた。

眉を寄せて視線をキョロキョロさせるその仕草は、学生時代から変わっていなくて懐かしさを感じる。

それでも、

「別れたがってたし、止める必要ねぇだろ。だいたいあっちが悪いんだし…」

ゾロの口調は感情が読み取れないくらい淡々としていて、なんだか不思議なほどに落ち着いて聞こえた。

「電話切った途端に、今度は俺に向かって「言われた通りちゃんと別れたから責任取れ。」って言い出したんだよ。」

「誰が!?」

「イオナが。」

なんにも言えない…。

返す言葉がみつからず、口をパクパクさせているとゾロの手が頭にポンッと乗せられた。

「あんま気にするなって。誰にだって八つ当たりしたい時はあるもんだろ。」

八つ当たりどころの騒ぎじゃない。そう言いたいのに、腕に込められた力がその気持ちを否定してくる。

「…彼女とかいないの?」

「俺?ずっと居ねぇけど…」

「あの可愛い後輩は?」

「ったく、それ、何年前の話だよ。卒業してすぐ別れたっつーの。」

「そーだったんだ。」

白い歯をみせて微妙な笑顔を作るゾロ。

なんで今さら…と言いたげな表情に見つめられ、なんだかバツが悪くなる。慌てて目を反らすと、ワシャワシャと頭を掻き混ぜられた。

「なんでもいいけど…。忘れろっつーなら忘れてやるし、責任取れっつーならちゃんと取る。どうするか選べよ、イオナが。」

(せ、責任って…どうやって?)

反射的に口から出そうになった言葉を、その寸前で呑み込んだ。そんな質問は野暮に決まってる。

もうそこそこ大人だ。こういうときの『責任』がどういうものかは、わかっているつもりでいる。

じわじわと顔が赤くなるのがわかった。

過去の恋だったはずなのに、今でも錆び付いてはいなくて、まるであの頃のまま時間が止まっていたかのように、胸が鼓動を早める。

そんなイオナの気持ちに気がついているのか、いないのか。ゾロは追い討ちをかけ始めた。

「変わってなくて安心した。」

「なにが?」

「いつでも衝動的に突き進むとこだよ。それで後悔するのに反省しねぇし。今だってどうせ"恥さらした"とか思って後悔してんだろ。」

図星過ぎてどうしようもない。

「人の心…、読まないでよ。」

「そういうとこ、すげぇ可愛いと思うけどな。見てて飽きねぇし。」

「…………ッ!」

「顔真っ赤にして睨むなよ。なんで、口説いてんのにキレられなきゃなんねぇんだよ。」

「………ッ!バカっ!!!」

ボッと涙が溢れる。慌てて手のひらで拭うけれど、どんどん溢れてくるから意味がなかった。

「昨日誘ったのはそっちだけど、抱いたのは俺だ。酔ってたっつーのもあるけど、言い訳はしねぇよ。」

「やめてよ。」

ブンブンと顔を振って否定する。これは何かの間違いだ。夢だ。絶対におかしい。

嬉しいはずなのに受け止められないのは、一度ゾロを相手に失恋しているからか。はたまた、長く付き合っていた恋人の浮気を目の当たりにした直後だからか。

頭の中は混乱していた。

「相変わらず素直じゃねぇな。」とぼやいたゾロの腕が、腰に回される。そのまま抱き寄せられそうになった途端、反射的に腕を突き出し抱擁を阻止した。

「考えさせて…」

「はぁ?」

「時間が、時間が必要なのっ!」

客観的にみれば、まるで別れ話中のとあるヒトコマのような光景だったろう。

呆気に取られた様子のゾロをほったらかして、シャワー室に逃げ込む。

湯の温度も確かめないで、蛇口を全開まで捻ってへたりこんだ。

『責任を取る』

それは、ゾロに交際の意思があるということ。酔った勢いで理不尽なことを言い出す自分を受け入れてくれるということ。

それを理解してもまだ、心が不器用なイオナは、その意味を咀嚼しきれていなかった。

(どうしたらいいのよ…)

なにもかもを受け入れられないまま、シャワーから放たれる水が床に叩きつけられる音だけが響き続けた。


END


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