心変わり現実は漫画や小説のように、ほどよいタイミングで完結したりはしない。辛い経験が時間の経過と共に遠退いて行くのと同じように、幸せな時間も確実に過ぎ去っていってしまう。
隣に感じる体温と息づかい。幸せなこの一時を失う瞬間が今に訪れるのではと不安になり、イオナは繋いだままだったゾロの手をギュッと握りしめる。
サンジに告白したのが1ヶ月前。当然ながら玉砕し、それ相応に落ち込んだ。頭ではフラれることを理解していたはずなのに、心はそれでも期待していたらしい。こんな辛い経験は初めてだと泣いて、泣いて、喚いてしまった。
そんな心理状態だったせいかもしれない。ゾロとこんな関係になったのは、その一週間後だった。酔いつぶれた拍子に、雰囲気に呑まれて…といった感じで。
自分が好きな相手か。
それとも自分を好きでいてくれる相手か。
裸で目覚めた朝に、そんな選択肢は与えられない。気持ちなどおいてけぼりにして、ゾロと恋仲になることを選んだ。
はずなのに…
今の自分とはいったい何者なのだろう。違う。サンジを好きだと言っていた自分はいったい誰だったのだろう。
そう思うほどにゾロにどっぷりハマっている。「アイツに惚れたままでもいい」といったゾロの言葉はすでに無駄になった。
けれど、そのことをまだゾロには伝えていない。いまだ、失恋に傷ついたスタンスのままであり、なんとなく消極的な態度のまま。
いい加減に心変わりを伝えなくてはいけないと思うのだけど、それがすんなりといくほど自分自身の感情に積極的になれなかった。
フラれてからまだ1ヶ月。傷が癒えたと言えば嘘になる。その相手への想いが消えても、フラれた時に負ったすり傷はいつまでも疼き続けている。
消極的な理由はそれだけじゃない。そんな短い期間で心変わりをしただなんて告げれば、軽薄だと思われてしまう可能性がある。ゾロが好きなのは失恋に嘆く自分なのではと疑っている部分もある。どちらにしても、「自信がない。」それが答えだった。
このままの関係でいいのか。それとも…
目頭がじわりじわりと熱を持つ。泣いてはいけないと思っても、涙は込み上げてくる。同時に鼻を啜らなくてはいけなくなった。
なるべく音をたてないように鼻をすする。
セックスの最中は散々に声をあげられるのに、想いの丈をぶつける勇気は微塵もない。 そんな自分が情けなく、もどかしい。
好きな人の隣でこっそり涙するだなんて、そんな惨めな思いをするくらいなら、想いを言葉にしてしまえばいいはずなのに…
「なにやってんだろう…」
「…ん、どうした?」
「ごめん、起こしちゃった?」
思わずこぼれた自嘲の言葉。それに対する予期せぬ返答に、イオナは驚いた。慌てて涙を拭おうとするけれど、それより先にゾロに顔を覗き込まれてしまう。その拍子に繋がっていた手はほどけてしまった。
涙を見られた。
また哀しげな顔をさせてしまった。
罪悪感で胸がいっぱいになる。
このままでは空気すらも飲み込めない。
「大丈夫か?」
ゾロにギュッと抱き締められると、また涙が溢れてきた。少し痛むくらいに強い抱擁が嬉しい。もう離さないと言われているようで、心地いい。
大好きで、大好きでたまらない。だからこそ、気持ちを伝えられない。失うのが怖いというだけで、ひたすらに臆病になってしまっていて、身じろぎひとつ出来ない。
ただ、繰り返し鼻をすするだけ。ポロポロと頬を伝った涙が枕を濡らすばかりで、歯痒さに下唇を強く噛む。
どのくらいそうしていたのか。「もうやめとくか?」とゾロが呟いた。声が掠れているのは寝起きだからかもしれない。
イオナは慎重に口を開く。
「それ、どういう意味?」
「俺と寝るのが辛いなら、もう…」
それ以上は続けられない。そんな語調と声音はゾロらしくない。言葉とは裏腹に抱擁はギュッとさらに強くなった。
「好きだ、イオナ…。」
すがるみたいに言わないでほしい。どっと溢れる涙が、滝のように頬を流れる。感情任せに嗚咽が漏れ、言葉にならない。
「ゾロ…」
「無理させて悪かった。」
「違ッ、」
「イオナ…」
耳元で囁かれる声が頭の中をぐるぐるする。今がタイミングだとわかっているのに、言葉が出ない。
「ごめんな。」
ゾロが優しい語調で囁いた。
身体を拘束していた力が緩やかになる。
このままでは関係が終わってしまう。焦っても、焦っても声が出ない。涙がたくさん溢れて、言葉がひとつも出そうにない。
好きでたまらないのに、離れる理由。
そんなものがあってたまるかと思う。
イオナはギュッとゾロにしがみついた。ゾロが息を飲んだのがわかる。もう絶対に離さない。そう言わんばかりに肌に爪を立てた。
その成果か、不思議と唇から声が出た。
「嫌ッ。」
感情を喉から絞り出す。心の赴くまま熱烈な感情が、ヒステリックに唇から溢れ出る。
「離しちゃ、嫌。」
「イオナ?」
「やだ。離れちゃダメなの。」
ゾロの驚きと困惑が伝わってくる。けれど、そんなことに遠慮できるほど、今は冷静でない。
「ゾロが好きなの。好きでたまらないの。他なんて見えないのに、今、ゾロが居なくなったら、私っ、大好きなのに…。」
支離滅裂が飛ぶ。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃなのに、それをどうこうする余裕なく、嗚咽混じりに叫んでいると一度緩んでいた拘束の加減が再びギュッと強くなった。
大好きな体温を全身に感じる。痛いくらいの抱擁も、相手がゾロとなるとマシュマロの中にいるように滑らかに柔らかい。
イオナは口を閉じる。
もうそれ以上喚く必要はないと感じられた。
ポカポカした温もりが全身をめぐる。
恋愛の熱は多少高温でも心地いいらしい。
不安から満ちた興奮は、たったそれだけで落ち着いた。3分もこうしていれば、嗚咽もずっと収まってくる。
しばらくの沈黙のあと、少しだけぎこちなくそれでいて強い口調で問いかけられた。
「いつからだ?」と。
きっと涙に動揺して、関係を終わらせようとしたことを恥ずかしく思っているのだろう。もしくは、気弱に振る舞ったことも関係しているだろうか。
そんなことをクリアになってきた頭でぼんやりと考えつつ、想いの通じた幸せをじっくりと噛み締める。
「わかんない。気がついたら、もう、たまんなくなってた。」
「もっと早く言えよ、馬鹿。」
ゾロはフッと息を漏らして笑う。安堵の呼気が耳を掠め、くすぐったい。
「慌てた俺が馬鹿みてぇじゃねぇか…。」
独り言みたいに呟かれた台詞に、思わず笑ってしまう。きっとゾロは眉を潜めているに違いない。それでいて唇からは笑みが溢れているのだ。
いつものゾロで、いつもの私。
切羽詰まった感情はもう忘れた。
たとえ今の幸せが過ぎ去ったとしても、未来の幸せにきっと出会える。ほどよく熱い体温の中にいるだけで、そう思えてくるのだから本当に不思議だ。
END
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