パステル「ねぇ。」
イオナは唐突に向かい側のソファに向かって声をあげる。そこに漂っていた心地のいい静寂は、ぼんやりとした波の揺れを残し取り除かれた。ゾロにとってそれは不満だったのだろう。彼は片方の瞼だけを持ち上げて、「なんだよ」と唇をわずかに動かす。
「そこにある雑誌を取ってほしいんだけど。」
「自分で取れるだろ。」
「これ、塗ったところなの。」
イオナは手のひらを自分の方に向けてゾロへとかざした。爪には5色のパステルカラーがのっている。彼はそれをみて大きく溜め息をついた。
ナミやロビンにも同様の頼みごとをされるせいで、慣れっこにでもなっているのか。断るという選択肢が存在しないことを知っている風だ。その潔さも彼の魅力のひとつかもしれない。
予想通りのゾロの反応に、イオナは内心吹き出してしまいそうになりながら、不満げな表情を上目使いに覗き見る。目が合うとゾロは気まずげに視線を雑誌へと向けた。
実際のところ、トップコートを塗ってからすでに15分は経っている。部屋にこもっていたシンナーの香りだって、ずいぶんと遠退いていた。
中まで乾いているとは言いがたいけれど、雑誌をめくる程度なら問題ない状態。サンジならともかく、ゾロがそれに気がつくことはないだろうというのが、イオナの読みだった。
もちろん、その読みは当たった。ゾロは気だるげに腰を浮かせる。雑誌を取るためだ。
「こっちでいいんだな。」
「そう。それの真ん中くらいのページ。」
「俺がめくるのかよ。」
「だって剥げちゃうんだもん。」
「ったく…」
聞こえるか聞こえないかで溢れる溜め息。不満げな表情はみていて楽しい。気を緩めたら頬が緩んでしまいそうで、イオナはばれない程度に下唇を噛んでみた。
対照的にゾロは相変わらずの仏頂面。こんなものは読みたくないと言いたげな表情をしながらも、適当に雑誌のページをめくってくれ、こちらに開いてかざしてみせてくれる。
「そこじゃないよ。」
「めんどくせぇな。」
「こっち、隣にきて。」
「はぁ?」
「近い方がいいから。」
驚いているのか、呆れているのか。目をまん丸くするゾロをみつめたまま、イオナは寝そべっていた三人がけソファから脚をおろしてみせる。
ゾロは2、3秒の沈黙の後、ポツリと呟く。
「諦めろよ。」と。
すでに視線はそっぽへと向けられていて、目が合うことはない。けれど、そのどこをみているのかわからない横顔もまた魅力的だった。
イオナはソファから腰をあげる。ゾロは立ち上がったイオナを一瞥したのち、居心地悪そうに首の後ろを掻いた。
その様子はどうみたって隙だらけ。
魅力的で甘酸っぱい。
ギュッとしたくなる衝動は胸の中に閉じ込める。
その感情はまだ早すぎる。
「諦めないもんね。」
わざとらしいくらいの明るい調子でそう声をあげ、有無を言わせぬ態度でゾロの隣に腰を下ろす。
「ほら、ちゃんとめくってよ。」
「…急かすなよ。」
なにか言いたげな顔をしたまま、ゾロは雑誌のページをめくる。「そこじゃない。」「めくりすぎ。」だと文句を言いいはするものの、イオナがみているものは雑誌ではない。
「いったい何が読みたいんだよ。」
「秘密。」
「ったく…」
ゾロはめんどくさそうに後ろ頭をかく。至近距離で見るその癖は、照れ隠しのようにもみえた。
END
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