ゾロ短編 | ナノ


ペットボトル

6限目の授業が終わって、数名の友人と部室へと向かっていたゾロの視界の縁に、見知った顔の女子生徒の姿が収まった。

渡り廊下の端にちょこんと佇む様子は誰かを待っているようで、なんとなく退屈そうにもみえる。けれど、それに干渉するほど彼女とは親しくはない。

友人たちはそれそれが忙しくなく口を動かしているし、ゾロはそのいちいちに相づちを打たなくてはならないという義務があった。

そのくだらない義務を放棄するために連れを放り出して彼女に駆け寄るという手もあったけれど、そうすると今度は彼女と何を話していいのかわからない。

共通の友人がいるだけの、得意科目すらも知らない相手。今思えば、制服姿をみるのは初めてかもしれない。そんな微妙な距離感の相手と、世間の男子高校生は一体なにを話すのだろう。

ゾロばぼんやりとそんなことを考える。そのうちに友人への相づちは蔑ろになっていたし、視界の中心に彼女を納めてしまっていた。

ハッとして進行方向へ視線を戻そうとしたそのタイミングで、どことなくさ迷っていた彼女の視線が自分を捉えた。

妙な緊張感に身構えてしまう。
その一瞬の動揺を誤魔化すようになんとなく片手を挙げてみせると、彼女はぎこちなく唇の端を持ち上げ小さく会釈した。

他人からみればずいぶんよそよそしい態度にみえるだろうけれど、彼女はいつもこうだ。

イオナという女子がこうした笑い方しか出来ないことを、ゾロはなんとなく知っていた。

「あの子、誰?」

二人のやりとりに、ゾロの隣を歩いていたお喋りな友人が目敏く反応する。

彼が聞きたいのは彼女の名前ではないことは考えなくてもわかる。関係を聞かれているのだろうし、こちらはそれに答える義務があった。

けれどそれに答えるタイミングがない。
イオナは親しみの欠けた硬い表情のまま、ゾロの方へと駆け寄ってきた。それは予想外の展開だったし、想定しようのない状況だった。

「あの…」

唖然とするゾロの前にたったイオナは無理矢理笑って見せるけれど、やっぱりぎこちない。

頭一つ分頭の位置が違うのだから当然だったが、その表情とも相まって彼女がなんだかとても小さな存在に思えてきた。

それでいて、視線は合いそうで合わない位置に固定されていて、相手の顔なんて見ないと決めているのかと聞きたくなるほどに頑なだった。

人間関係に柔軟でない相手は嫌いじゃない。むしろ自分を鏡で見ているような気がしてくる。ゾロの頬は無意識に緩くなった。

「どうした?」

「これ。」

「ん?」

イオナは半分顔を持ち上げた。それでも視線はまだ合わない。どうにも完全に顔を見ないようにされているらしい。

彼女が差し出していたのは500ミリリットルのスポーツ飲料水だった。唐突なことに首をかしげる。

「なんだこれ。」

「お返し。」

「は?」

ゾロの周りの空気が10秒。いや、3秒だけ静止した。いつもなら大袈裟に口を挟んできそうな友人すら、傍観に徹している。それほど不釣り合いな状況だったのだろう。

ゾロはペットボトルへと落としていた視線を持ち上げる。すると、イオナがあからさまに視線を横に反らした。そのコンマ一秒遅れた反応から、こちらの顔を見ていたということはなんとなく理解できたれけど、問題はそこじゃない。

ポカンとするゾロに彼女はもう一度「こないだの、お返し…。」 と、照れ臭そうに呟く。

その物言いたげな、なんとも言えない表情を前にゾロはピンッときた。鮮明な記憶が甦ってきた。

「こないだって、あのボーリングの時のことか?」

イオナは安堵した様子でコクりと頷く。

先週の日曜日、中学の友人たちとその連れの女子数名とでボーリングに行った。定期的に遊ぶそのメンツには同じ高校の女子がいて、そのうちの一人がイオナだった。

ボーリングの最中、バイトの給料日後だったこともあり、全員にジュースを奢ったことをゾロは連続的に思い出す。

あの時の物言いたげなイオナの表情は、なんとなく印象に残っていたし、今日、気がかりに思った理由はそれだったのかもしれない。

ゾロはペットボトルを受け取りながら、「サンキュ」と呟く。イオナはやっぱり目を合わせてはくれない。心なしか頬が赤いようにもみえたけれど、本当にそうなのかはわからない。

彼女はもう一度コクりと頷くと、くるりと身を翻しこちらに背を向けてしまった。

なんとなく呼び止めたいと思う。

けれど、それをイオナの背中は必要としていないようにみえた。というのは言い訳で、実際は友人たちの前ではそうすることができなかった。

ちっぽけなプライドからその瞬間を逃してしまう。

小さくなっていくその華奢な身体を視線で追いながら、ゾロは手元に残されたペットボトルを握り締める。

奢ったジュースは350ミリリットル。貰ったジュースは500ミリリットル。その差はたった150ミリリットルだというのに、どうしてこんなに重たいのだろう。

「何?追っかけの娘?」

「いや…」

「じゃあ、彼女とか?」

「そうじゃねぇけど…」

やっと冷やかしモードに戻った友人。もしかするとイオナに遠慮していたのかもしれないし、あの無言すらも冷やかしの一環だったのかもしれない。

ただそのどちらであってもゾロには関係なかった。

友人たちに視線を向けることなく、ゾロは網膜に焼き付いたイオナの姿を見据える。

130円奢って、160円で返されたら、またなにか奢らないといけないじゃないか。そんな馬鹿みたいなことを考えながら。

ただひたすらにその不安定な感情を突き詰め──

「今は彼女じゃねぇけど…」

自分のちっぽけなプライドに火を着けるため、ゾロは友人たちの前で宣言する。

「来月くらいにはたぶん、そうなる奴。」と。


END







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