ゾロ短編 | ナノ


友達以上、恋人未満

「また、アイツのこと考えてるんだろ。」

不意に声をかけられ、ハッとする。いつの間にか、箸を握ったままフリーズしてしまっていたらしい。イオナは鍋をつつきながら唇の端を持ち上げたゾロの顔を睨み付けた。

いつも、コイツは図星をついてくる。

まるでなんでもお見通しと言われているようで、心底腹が立つ。けれど、イオナは言い返すことができない。それはきっと立場の問題だ。

ゾロはイオナの覚えた苛立ちを、沈黙を受けて感じ取ったらしい。エノキを摘まんだ箸を手元の皿に運びつつ、チラリと様子をうかがった。

「相変わらず、料理が下手だよな。イオナは。」

「…………。」

今日、イオナが作ったのは塩ちゃんこ鍋だった。けれど、ゾロはそれを一口食べた瞬間に立ち上がり、冷蔵庫へ直行してぽん酢を持ち出してきた。

つまりはそういうことで、今もドバドバと皿にぽん酢を流し込んでいる。

「そんなにかけたらマズいと思うけど。」

「ぽん酢は旨いだろ。」

「量の話をしてるんだけど…」

「………。」

また、チラリと顔色をうかがわれた。ゾロは無駄に空気が読める男だ。ズカズカと心の内に踏み込んでくるけれど、引き際を弁えている。

相手の感情をギリギリまで煽るくせに、いざとなると会話の軸をずらしてしまい、絶妙にはぐらかしてしまう。

普段の様子こそ知らないけれど、少なくともイオナに対してはそうだった。

「今日はなにが言いたかったの?」

「別に。どうせ暇にしてんだろうなと思って。」

「どうせって…失礼すぎる。」

「いいだろ。暇なもん同士。」

黒い液体から引き上げられたエノキは、二日前の煮物みたいに黒い。けれど、ゾロはそれを美味しそうに頬張った。もう訳がわからない。

「味覚、おかしいんじゃない?」

「お互い様だろ。」

「そんなこと…ない。はず。」

イオナは皿によそってしばらく経ったつくねを箸の先で半分に切り、その一つを口に運ぶ。ほとんど素材の味だった。鶏の匂いが口いっぱいに広がる。

「な、ヤバイだろ。」

ゾロは半笑いの顔でぽん酢の瓶を差し出してきた。きっと不味いものを食べた時特有の、ズバリ絶妙な顔をしてしまっていたのだと思う。

素直にそれを受けとると、ゾロは鼻を鳴らして笑った。

「人に出す前に味見しろよ。」

「勝手に来たくせにご馳走になってるんだから、黙って食べなよ。」

「それ、変な日本語だな。」

「そうかな。」

確かに違和感はあった。けれど、どこがおかしいかはわからない。きっとゾロも同意なのだ。二人は頭のレベルがよく似ている。

それ以降は無言で鍋をつついた。おいしくないものを無駄に量産しても、ゾロはすべて食べきってくれる。冷蔵庫にある限りの調味料で味を変えて食べているところをみると、気を使っている訳ではないのだろう。

ただお腹が空いているだけなのか。
もしそうならばファーストフード店にいけばいい。わざわざイオナの部屋に顔を出す理由とはなんなのだろう。

すでに彼女の箸は止まっている。なにも言わず、無言で食べ進めるゾロの様子をぼんやりとうかがっていた。鍋の底が見えてくる。ぽん酢の瓶は3分の2を消耗していて、それだけの努力が理解できた。

ゾロが最後の白菜を、もはや謎の液体としか言い様のない塩ちゃんこスープからすくい取る。黒っぽい液体にそれを浸す様子を見ていると今さら罪悪感に苛まれた。

彼が高血圧になったとしたら、きっと自分が振る舞った料理のせいだろう。

そんなことを考えていると笑けてくる。考えていることが馬鹿馬鹿しい分、心地いい。その原理は理解できないけれど、ゾロと居るとよくこんな気持ちになる。

最後の一口、茶色の白菜を頬張った彼は、チラリとこちらをうかがった。なにか言いたいことでもあるような目配せだ。イオナが目を逸らすと、ゾロはモグモグしながら御馳走様でしたと呟いた。

その声はいつもよりずっと低い。
ぽん酢の酸味のせいか。それとも、これから重たい話をするつもりである警告か。

それはきっと後者だった。
イオナは崩していた脚を畳み、正座になる。
ゾロは喉を鳴らして水を飲んだ。

その音は嫌な何かに向けてのカウントダウンのようだった。

「もう諦めろよ。」

グラスから口を離してすぐ、彼は低い声で呻いた。言いにくそうにするのなら、言わなければいいのに。反射的に言われた言葉の意図を汲み取れたのは、すでに心の準備が出来ていたから。

「今さら諦められない。これは意地なの。」

「こんなとこで意地張ったってしょうがねェだろ。」

「今張らないで、いつ張るの?」

「そんなの…知るかよ。」

ゾロが呆れた顔をする理由はわかる。だからこそ、イオナは彼から目を逸らせなかった。対照的にゾロは視線を下へ向けたままで、こちらを一瞥しようともしない。

「応援なんて出来ねぇからな 。」

「わかってる。」

「手伝いもしねェ。」

「最初から期待してない。」

「また飯ィ食いにくるし、遊びにも誘う。」

「好きにすればいいじゃない。」

神妙な面持ちで、なんて勝手なことを言っているのだろう。なんだか可笑しくなってきた。思わず口元を緩めると、彼もまた唇の端を持ち上げた。

「今日、泊まるわ。」

「布団ないよ。」

「コタツでいい。」

ゾロは照れ臭そうに笑う。他の人がみたなら、そうは思わない表情かもしれないけれど、少なくともイオナにはそういう風に見えた。

ゾロがいそいそとコタツの布団に潜り込む。独り暮らし用の小さなコタツなのだから、当然ながら彼の身体の全ては入らない。突き出てきた大きな足が、イオナの膝に乗せられた。

「ゾロはなにが言いたかったの?」

もう一度、同じ質問をしてみる。彼は「別に。」とだけ呟いた。顔が見えているのと見えていないのとでは、言葉の感じが違ってくる。相手の顔が見えない会話の方がお手軽だ。

イオナはゾロの足の裏に触れ、あまり深くない土踏まずを親指の腹でぎゅっとと押さえた。靴下越しの分厚い皮膚。何が原因なのか随分とそこは硬い。

さらに強く押さえると、突き指したみたいに指が痛くなるけれど、それに合わせてゾロが低く呻いた。こんな時、なんとなく悪戯したくなる。

「彼氏持ちの女の部屋に入り浸るなんて、ゾロってもの好きだよね。」

「なんだって…、いい、だろ…っ。」

「私のことが好きだからって、ちょっとまずいよね。そういうの。」

冗談っぽく言ったはずなのに、妙な沈黙がうまれた。ゾロは否定しなかった。すぐに否定してくれなかった。「何言ってんだ。」と笑ってはくれないし、「思い上がるなよ。」と鼻を鳴らしてくれない。

それが意味するところは一つ。

こんななずじゃなかった。冗談のつもりだったのにと、動揺してしまう。嫌なほどに心拍数が跳ね上がる。

指に込める力が無意識に緩まった。

「…るせぇ。」

数拍遅れて放たれたゾロの声は、どう聞いたって違和感の塊だった。思い上がりじゃない。そう言われているようで、頭が痛い。脳は考えることを投げ出してしまった。

イオナは言葉に詰まる。

きっとゾロは「バレていたのか。」とでも思っているのだろう。でも違う。からかいたかっただけで、ただの冗談だ。そんな心中など今の今まで気がつきもしなかった。

どうしよう…

困惑したイオナ同様、ゾロもまた押し黙ったままだった。

気がついていないのと、意識していないのとは違う。 気がついてしまったら、意識してしまうじゃないか。

慣れているはずの無言が重たい。ゾロを相手に沈黙に耐えられないと感じたのは初めてのこと。

急かすような時計の秒針の音だけが、カチカチと鳴り続けた。

END


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